横田等のロサンジェルス・ダイアリー (1995) =11の1=

*** 8月26日 土曜日 ***



   明らかに睡眠不足だな、この感じ。…テープレコーダーに向かって午前三時ぐらいまでしゃべっていたからね、昨夜(というよりけさ)は。

 

   江波さんはきょうも〔編集員募集〕の広告は出さなかった。すっかり忘れていたのか、スペースが足りなかったのか、それとも…。

 

   いずれにしろ、もちろん、話題がそこに戻るようなことを何か、僕の方から江波さんにいうはずはなかった。

 

          ※

 

   話をつづけるよ。四月十二日のこと…。

 

   〔土着派〕の(特に三世の)理事たちは簡単にはひきさがらなかった。会頭に対し、〈あなたは〔日系人〕(ジャパニーズ・アメリカン)を軽視したことはない、と言われるが、じゃあ、どういう人間を指して〔日系人〕と呼ばれるのか、そこをお聞きしたい〉と食い下がった。

 

   会頭はすぐには返事ができなかった。…そういうのって、いきなり質問されると、ふつうは、さっと説明できるようなものじゃないんだろうね。いや、厳しく限定していえば、〔アメリカ国籍を取得した日本人移民〕および〔永住権を持っているだけの者を含めた日本人移民を親にアメリカで生まれ、アメリカ国籍を選択した子とその子孫〕ということにでもなると思うけど、そのとき理事会で問題になっていたのは、どうやら、国籍とか、そういうことではなくて、消費者集団あるいは文化的集団としての〔日系人〕みたいだったからね。

 

          ※

 

   考えてみたんだけど…。

 

   会頭は、日本が経済成長をとげたあとアメリカに渡ってきた、いわゆる〔新一世〕をその〔日系人〕の範疇に入れるべきかどうかで迷ったんじゃないかな。

 

   というのは、編集長から聞いた話によると、この人たちは、永住権を持っているという点では(アメリカ国籍を取得することもできる)〔潜在的日系人〕なんだけど、そのうちの多くは、合法的に働きたいという理由で永住権を取っただけで、全体としては、アメリカに帰属しようという思いが小さく、意識や嗜好がいつまでも〔日本人〕のままだそうだからね。

 

   つまり、〔新一世〕というのは、〔土着派〕が見ても〔進出派〕が見ても、見方によって〔日系人〕に近く見えたり〔日本人〕そのものに見えたりしてしまう、ちょっとややこしい存在らしいんだよね。

 

   だから、そのときの会頭は、〈新一世は日本人だ〉と答えれば、〔土着派〕に〈日本人移民の日系化をよしとしない日本至上主義の意見だ〉と攻撃されそうだったし、一方、〈新一世は日系人だ〉と答えれば、〈意識が日本人のままでありつづける移民がなぜ日系人でありえるのか〉と突っ込まれ、いずれにしても、[会議所]の会頭としての見識を疑われる、という難しい立場にあったんじゃないかな。

 

          ※

 

   会頭のためらいを見て、〔土着派〕は〈ほう、どういう人間が日系人なのかは分からないけれども、とにかく、日系人を軽視したことはない、と主張されるわけですな、会頭〉とちゃかした。

 

   どんな形にしろ上げ足を取られたくない会頭は黙り込んでしまった。

 

   〔土着派〕は矛先を転じ、〈例の雑誌の三月一日号のインタビュー相手には当初、(日本から進出してきている大企業をメンバーにしている[日米ビジネス親睦会]のある人物が予定されていたのに、急に会頭に変更されたということですが、少しでも早く会頭の〔夢〕を公表したい理由が特にあったのですか〉とたずねた。

 

   会頭は〈インタビュー相手の変更は、そういうことがあったとすれば、それは雑誌社の都合で行なわれたことで、わたしが無理やりに割り込んだかのようにいわれるのは心外ですな〉と答えた。

 

   〈そうですか?〉。〔土着派〕の追及はつづいた。〈おたくの広告掲載契約期間が二月の中ごろに急に大幅に延長されたという確かな情報があるのですがね〉

 

    会頭は突っぱねた。〈期間延長は、企業戦略上の必要から行なったもので、インタビューとは何の関係もありません〉

 

          ※

 

   なんて僕はしゃべっているけど、これは、いわゆる〔見てきたような〕というやつで、〔嘘〕ではないにしても、現実にあった会話というわけじゃないんだよね。…編集長が話してくれたことやその後記事に書いたことなどを思い出しながらできるだけそれらしく再現しようとするとこんなふうになった、ということなんだ。

 

          ※

 

   〈では、例の発言はどうなんです、会頭〉。実はこれが、この日〔土着派〕が一番したかった質問だった。〈お答えの内容しだいでは、やはり、会頭不信任案の提出を考えなければならなくなりますが…〉

 

   〈例の、といわれるのは〔あれ〕のことだと受け取ってお答えしますと、わたしの考えは、三月の例会のときに述べたとおりで、いまも変わっておりません〉と会頭は答えた。〈たとえ研究の段階で出てきただけとはいえ、日本人、日系人の歴史を象徴する町であるリトル東京の再開発を韓国系あるいは台湾系の資本に頼ってやってはどうかというアイディアには、いまでも首を傾げないわけにはいきません〉

 

   会頭の隣の席で、副会頭は、どういうわけだか、さかんにうなずきながら、このやり取りに耳を傾けていた。

 

   〈インタビューの中で一度も〔日系人〕という言葉を使わなかった、あるいは、百歩譲って、その言葉が編集者の手で削られたことに気づかず、抗議もせず、訂正も求めなかったお方が、急に〔日本人、日系人の歴史〕などと口にされるとは…。会頭、いったいどうなさいました?〉

 

   〈どうもいたしません〉。会頭は語気を強めた。〈リトル東京の再開発は、できることなら日系あるいは日本資本で行ないたいものだと、昔から考えておりました〉

 

   パーク理事がのっそりと立ち上がったのはこのときだった。

 

          ※

 

   編集長からそこまで話を聞いたあとでも、僕は、会頭のその考えがどうして(〔日系人〕軽視のインタビュー発言と並んで)問題になっているのかが分かっていなかった。

 

   会頭も十分には理解できていなかったらしい。だから、パーク理事が〔のっそりと立ち上がった〕理由もすぐには分からなかった。

 

   パーク理事はゆっくりと口を開いた。〈ちょっと質問させていただきます〉

 

   会頭は(ここは鷹揚に)〈どうぞ〉と応えた。

 

   〈会頭、あなたは日本帝国陸軍の軍人でしたか〉。それがパーク理事の質問だった。

 

   会頭は、思いがけない質問にとまどった様子だったが、とにかく答え始めた。〈あの戦争が終わった年、わたしはまだ子供でして…〉。そこまで言ってから、会頭の顔が見る見る紅潮して行った。どうやら、パーク理事が何をいおうとしているかを、やっと察したようだった。〈士官学校に通う年齢にも兵隊に取られる年齢にも、まだなっておりませんでしたから…〉

 

   〈ほう〉。パーク理事は言った。〈では、さぞやりっぱな軍国少年だったのでしょうね〉

 

   〈いや、ごくふつうの少年で…〉

 

   〈それでは、いったいどこで、コーリアンやチャイニーズを差別するお考えを身につけられたのでしょう?〉

 

   〈わたしはどなたも差別してはおりません〉

 

   〈では、会頭、なぜ〔できることなら日系あるいは日本資本で行ないたい〕のですか〉

 

   会頭は答えに詰まった。

 

   〈コーリアンやチャイニーズがお嫌いですか〉

 

   〈そんなことは、もちろん、ありません。韓国や台湾からこちらにきている人を、わたしはたくさん友人に持っておりますし、その方たちを、常日ごろ、心から尊敬しております〉

 

   〈その友人たちに〔できることなら日系あるいは日本資本で行ないたい〕という考えを話されたことはありますか〉

 

   〈いや、それは…〉

 

   〈話されたあとでも、その方たちは会頭の友人でいてくれるでしょうか〉

 

   会頭はまたまた押し黙ってしまった。

 

   パーク理事はつづけた。〈あなたの〔日系人〕軽視と、コーリアン、チャイニーズ差別は、根っこのところでつながっているとしか、わたしには考えられないのですが、どうです、会頭?〉

 

   〈そのとおりだ〉。〔土着派〕の三世の理事が声を上げた。

 

   〔進出派〕の理事の一人が腰を上げた。〈理事会をカンガルー・コート(吊るし上げの場)にするつもりなら、わたしは退席させてもらう…〉

 

          ※

 

   「分かるか、横田君?」。話をしてくれていた編集長が僕に言った。「パーク理事は、実は、その辺のやり取りを見てほしいというので、〔秘密〕理事会が開かれることをボクに知らせてきていたわけだ。いや、自分の〔活躍ぶり〕を、ということもなくはなかったかもしれないが、そのことよりは、やっぱり、一部の日本人や日系人の心の中にはいまでもコーリアンやチャイニーズに対する差別意識が残っている、そして、そういう人物の一人が、おかしなことに、多民族都市ロサンジェルスの[日系商業会議所]の会頭におさまっているのだ、ということを理事会ではっきりさせるところをね」

 

   「なるほど…」。僕は深々とうなずいた。

 

   「そういうことだ」。編集長は僕にというより、むしろ自分自身に向かって言った。「裏には、当然、会頭が追い込まれるところを僕に見せ、新聞に何か書かせて、結局は、あの人自身と利害を共にすることが多いリトル東京地区の〔土着派〕、特に副会頭に貸しをつくっておこう、という意図があったんだろうがね」

 

   僕はなんとなく、〈へえ、編集長は自分が利用されることもあるんだってこと、知っているんだな〉って思いながら、こう言った。「そういえば、副会頭は編集長の取材を拒まなかった、ということでしたね」

 

   「拒むわけがなかった…。ボクにあの理事会のことを知らせたのは、はっきりとそう打ち合わせていたのではなかったにしても、パーク理事と副会頭の、いわば、連係プレイだったのだからな。…どうだ、ゲスだろう、あの連中?みんあな自分の利益ばかりを考えて…」

 

   僕には、会頭や副会頭、パーク理事たちを〔ゲス〕だと決めつけていいかどうかについては判断がつかなかったよ。商売人、というか、商業経営者なら、〔自分の利益ばかり〕を考えるのは当たり前かなって思いがあったからね。…自分の利益のためなら何でもやってしまいかねない人たちのことをそう呼ぶ編集長のことは、〈なるほど、新聞人というのは〔自分の利益〕のためには動かないんだな〉なんて頭の隅っこで考えて、ちょっと好ましく思ったけどね。…そのときは。

 

          ※

 

   パーク理事と〔土着派〕理事たちの追及はつづいたけれども、会頭は最後まで謝罪しなかった。

 

   「第一に」と児島編集長は言った。「〔進出派〕の理事が全員退席してしまえば不信任案が出せなくなることを会頭は知っていたし、第二には、横田君、いや、こちらの方が重要だけど、謝罪するということは、コーリアンやチャイニーズを差別する気持ちがあった、と事実上認めるということだからね。そんなことを一度でもおおやけに認めてしまったら、日本ではどうだか知らないが、多民族国家のこっちでは、公的な人生はそれで終わり。…支持者がいなくなって、将来の褒章も、当然、なくなってしまうに違いないからね」

 

   理事会は〔荒れ模様〕のまま終わった。会頭をそこまで追い詰めたことが〔土着派〕の、まあ、収穫といえば収穫だった。 

 

          ※

 

   その夜の僕は寝つきが悪かったよ。

 

   再開発の(それも単なる)アイディアをめぐって、褒章への先手争いまでひっくるめて、そこまでかけひきをしてしまう小実業家、商売人たちの実態(の一部)を知って、深夜になってもまだ、気持ちが変に昂ぶっていたんだね。…そういう現実って、MBAのコースでは絶対に教えてくれないと思うよ。

 

   『南加日報』での仕事は案外におもしろいものになりそうだ、と僕が感じたのはあの夜が最初だったんじゃないかな。

 

          ※

 

   翌日(四月十三日、木曜日)の三面トップの記事は編集長が書いた。記事は全体としては(思いのほか)客観的だったけれども、見出しは異例の大きさの三行七段、≪〔秘密〕理事会で会頭立ち往生≫≪パーク氏が涙の差別追及≫≪会議所の内紛深刻化≫というものだった。

 

   光子さんは取材の際には必ずカメラを持っていくんだけど、編集長は(カメラの扱いが苦手なのか、カメラマンの仕事を軽く見ているのか、とにかく)自分では写真を撮らない主義だもんだから、残念なことに、〔会頭立ち往生〕の場面を写真で見ることはできなかった。

 

   そうそう、記事には(いささか読者の情に訴えるみたいに)〈パーク理事の涙を流さんばかりの追及に会頭は…〉とは書いてあったけど、涙を流した、という文はなかったから、見出しには少し嘘があったんだよね。…編集長が自分でつけた見出しだったから、(校正をやった辻本さんを含めて)だれも何も言わなかったけどね。

 

          ※

 

   ついでに言っておくと、〔秘密〕理事会のことを知らせられなかった『日米新報』は、カリフォルニア州議会での不法移民関係論議を三面のトップ記事にしてお茶を濁していたから、特ダネ競争という点から見れば、この日は『日報』が大勝利を収めたわけだ。…僕自身は何もしていなかったのに、それでも、みょうに誇らしい気持ちになったんだよ。

 

          ※

 

   おなじ日、編集長は(僕が提出していた原稿は翌週に回すことにして)[海流]も自分のエッセイで埋めた。めずらしいことに、前夜自宅で書きあげてきていた原稿を朝一番に工場に渡したものだから、(日本語欄レイアウト係の江波さんによると)タイピストたちがずいぶん驚いたんだって。

 

   ≪深い病根―日系人軽視≫というメインタイトルがついたそのエッセイは、いくらか抑制が効いていた記事とは違って、(パーク理事がそう評しているということだけど)編集長が〔何者も恐れずに発言する〕人物であることを実によく示す、というか、ほんとうは、なんだか、ずいぶん一方的で、偏った内容だったよ。

 

    どういうふうにかというと…。

 

   エッセイの中には〈移民パイオニアへの恩を忘れはてた会頭〉だとか〈日系社会を裏切って…〉だとか〈日本人移民史を歪曲する…〉だとか、あるいは〈商業至上主義と利己主義でコミュニティーの分断を図る…〉〈ガーデナ・トーレンス地区とリトル東京地区とを〔南北商業戦争〕に突入させようとする…〉〈新参の金満日本人に屈服した…〉〈あぶく銭でロックフェラーセンターを買収した三菱地所などと同類の拝金主義〉だとかいった、厳しい(ちょっと大げさすぎるんじゃないかと思えるような)言葉があふれていたよ。

 

          ※

 

   このエッセイは、[会議所]内の〔土着派〕理事たちにはもちろんのこと、多くの日系人(と〔自分は日系人だ〕と思っている人たち)にすごく歓迎された。…新聞が読者の手もとに届き始めた金曜日の午後になると、編集長の意見に賛同する電話が編集部に(殺到した、というのは当たらないかもしれないけれど、とにかく)何本もかかってきたから、そういえるはずだよ。初めのうちは自ら電話に出て、読者の反応を(満悦至極といった表情で)聞いていた編集長が不意に「取材に行ってくる」と言って机を離れてからも、辻本さんが何度も応対に出なければならなかったほどだったんだから。

 

   編集長の意見は、(ほら、日本人射殺事件の際のエッセイがそうだったように)『日報』の大半の読者の気持ちと考えを代弁していたんだね。…ひかえめに言っても、〈日本から近年やってきた人たちはどうも自分たちとは違うようだ〉みたいな感じ方をね。

 

   いや、会頭自身は戦後すぐの移民だから、〔近年やってきた〕人じゃないんだけど、〈会頭のこのところの一連の発言は、正統日系コミュニティーの歴史と伝統を無視しがちな新移民の考えに酷似している〉という編集長の意見を受け入れる読者が多かったわけだ。

 

          ※

 

   とはいうものの…。

 

   いま振り返ると、『日報』の読者に迎合して、というのが言い過ぎだったら、読者の歓心を買うために、いや、読者の期待に応えようと、編集長があんなふうに勢い込んで〔土着派〕支持の姿勢をはっきり打ち出したのは、新聞の経営戦略という点から見ると、間違いだったかもしれないって気がするな。だって、前にしゃべったことがあるように、(少なくとも)南カリフォルニアでは、三世や四世の意識のアメリカ人化がますます進んでいて、編集長のいう〔正統日系コミュニティー〕の影響力は日系・日本人社会全体の中でどんどん薄くなってきているということだからね。

 

   いつまでもそういう集団を当てにしていたら、やっぱり、購読者数は増えないんじゃない?

 

           ※

 

   もっとも、僕自身はいま、『日報』が、つまりは児島編集長が、その〔正統日系コミュニティー〕とそんなふうに関わっているところがけっこう気に入っているんだよね。

 

   こんな言い方はよくないんだろうし、飾りすぎているようにも思うけど、〔滅びの美学〕っていうの?…衰退することが分かっていても、そのコミュニティーの消長と運命を共にするんだ、みたいな入れ込み方って、どこか魅力的じゃない?

 

   それに、児島編集長の訴えには(その内容が正しいかどうかに触れずにいえば)、いわゆる〔海外〕日本語新聞は母体コミュニティーの声でなければならないんだ、という信念みたいなものが感じられるよね。いや、そういう信念って、新聞の思い上がりにもつながりそうだから、実は危険なのかなって、思わないでもないんだよ。でも、何がどうであれ、編集長は(自らそう意識しているかどうかに関わりなく)『南加日報』の創業者である今村徳松の正統の後継者なんだよね。ほら、六十年ほど前に、〈日本人移民の地位を高めるには、本国日本が力をつけ、諸外国に尊敬されるような国にならなければならない〉と信じて、中国大陸での日本軍の行動を無条件に支持し、一方で、日本への愛国精神を高揚させるよう日本人移民たちに訴えたという徳松の、ね。…実際には、徳松の思いとは逆に、日本軍を支援しようという動きが移民たちの中に高まっているという事実が、アメリカ政府に日本人と日系人の収容を急がせてしまったのかもしれないんだけど。

 

          ※

 

   金曜日、四月十四日に戻ると…。

 

   かかってきた何本もの電話から、前日書いた記事とエッセイが読者にどう受け取られたかを確認したあと、行く先をだれにも告げずに突然取材に出かけていた編集長が編集室に戻ってきたのは、午後四時ごろだった。

 

   編集長は、だけど、何を取材してきたかを知りたがっていた辻本さんや僕には声をかけようともせず、そのまま工場に向かった。あとで分かったところでは、編集長は、タイピストの田淵さんと井上さん、それに写植係の相野さんに、その日の三面トップの記事を五時までに書きあげるから待機しているようにと、怒ったような表情で伝えたんだって。

 

   自分の机に戻ってきた編集長はそれから一時間半ほど、取材先で取ってきたメモを見ながら、すさまじい勢いで原稿を書いた。…息が酒臭かったから、取材の相手とは、ほら、いつものファースト・ストリートのバーで会っていたのかもしれない。

 

          ※

 

   その取材の相手がだれだったのかが僕に分かったのは、写植された見出しを(すでに夕食に出かけていた)辻本さんの代わりに校正するよう相野さんに頼まれてからだった。その見出しは(前日よりは小さく)三行六段。≪「恐怖の毎日でした」≫≪パーク理事、植民地体験を語る≫≪会議所内の民族差別にも怒り≫というものだったよ。…編集長がどういう意図でそのインタビューを行なったかが一目瞭然、すぐに分かってしまう(ある意味では正直な)見出しだったな。

 

   記事の内容についていえば、編集長はテープレコーダーを使わない人で、この記事もメモだけを頼りにして一気に書きあげたわけだから、インタビューは細かいところで正確さに問題があったかもしれないけれども、(こういうと変だけど)その分、かえって、(編集長の意図に沿う形で)要領よくまとまっていたよ。…〔進出派〕の人たちが(〔日本に住む日本人〕とおなじように)いかにゆがんだ歴史観を持っているか、いかに国際常識に欠けているか、いかにアメリカ社会の実情に無知であるか、そのせいでいかに[会議所]が混乱させられているか、などということが、日本が植民地として支配していた時代に朝鮮半島で幼少年期を過ごしたパーク理事の言葉として伝わってくるようにね。

 

   〔リトル東京の再開発はできることなら日本・日系資本で〕という会頭の〔問題発言〕に編集長はそんな形で応えたわけだ。

 

   そうそう、記事にはパーク理事の顔写真が添えられていたよ。インタビューの場所と時間を打ち合わせたときに編集長が、写真を用意しておくようにパーク理事に頼んでいたんじゃないかな。…前の日に〔会頭立ち往生〕の写真がなかったことを密かに反省していたのかな。

 

          ※

 

   その日の[海流]も、書いたのは編集長だった。…あの〔いまは何も書く気がしない〕騒ぎのときとはずいぶん違っているだろう?

 

   タイトルは、この日も三面トップの記事を忠実に補足するように≪消えない他民族差別≫≪会議所会頭を弾劾する・二≫となっていたよ。二行目の小見出しは、ひどく安直だし、不要なんじゃないかと、新米編集員としてはちょっと生意気なことを考えたけど、当然、口に出してはいわなかった。それで、その日のエッセイが前日のつづきだってことは、まあ、よく分かったことだし。

 

   こちらの内容は、〈会頭の日系人軽視と他民族差別は同根から出ている〉というパーク理事と〔土着派〕の主張を受けたもので、〔会頭は歴史の真摯な再学習が必要…〕〔偏狭な日本優越主義で隣人を差別する会頭…〕〔ロサンジェルスの多民族混交状況が創り出しているエネルギーを過小評価…〕〔南カリフォルニアの発展に貢献してきた、日系人を含めたマイノリティー・パワーを否定する…〕などといった、言ってみれば、一方的な表現が並んでいたよ。

 

   そんな表現の裏に、会頭も副会頭もパーク理事もみんな同類にしてしまって〈どうだ、ゲスだろう、あの連中?〉と僕に言ったときの編集長のホンネがすっかり隠れてしまっているところが、僕にはなんだか不思議に思えてならなかった…。

 

   いや、いまでは、〈そうか、おおやけに論を張るにはこんな技術、というのでなければ、冷めた分別みたいなものが必要なのかな〉と感じているけどね。

 

           ※