横田等のロサンジェルス・ダイアリー =7-8=(1995)

*** 8月22日 火曜日 ***



  昨夜はほんのちょっとしゃべっただけで終わってしまった。…九時少し前に、このホテルの住人の一人である柴田さんが僕の部屋にやってきて、それっきり、カセット・レコーダーに向かうことができなかったから。

 

   柴田さんというのは、全部で三十五室あるこのホテルの、僕とおなじ二階に、あいだで何度も出入りをくり返しながら、もう十年間近くも住みつづけているという、四十歳ぐらいの、背の低い、肉づきのいい、独り者の〔スシマン〕だ。長く住んでいるし、年も取っているほうだから、自然に(僕が密かに〔エスメラルド・ホテル日本人会〕と呼んでいる)十五人ほどいる〔常住〕日本人たちの世話役みたいになっていて、ときどき僕にも〈いまから下(のロビー)で、みんな集まってビデオを見るから、横田君、君もどうだ〉などと声をかけたりしてくれるんだよね。

 

   ビデオの中身は、たいがいは日本の最新人気ドラマ。僕は自分で借りたことがないから、確かなことはいえないんだけど、そういうのは、日本で放送されてから一週間後にはもうリトル東京(だけじゃなく、南カリフォルニア中の日本人相手)の貸しビデオ店の棚に並んでいるんじゃないかな。…著作権なんか無視して不法にコピーしたものみたいだけど、そんな貸しビデオ店がリトル東京にだけでも何店もあるんだから、日本語ビデオへの需要の大きさが知れるよね。

 

          ※

 

   ところで、知り合いに誘われて一九八〇年代の初めに日本からカリフォルニアにやってきたという柴田さんが、この十年間ほど、このホテルに入ったり出たりしているのには、ちょっとしたわけがあるんだ。

 

   柴田さんは、その年齢からもだいたい想像がつくように、〔すしを握りだしてから二十年〕というベテランのスシマンだ。だから、こちらでは、働き口はいくらでもあるらしい。

 

   というのは…。もともと、二十年ほど前からアメリカ人のあいだで日本食、特にすしの人気が高まっていたところへ、一九八〇年代になると、日本から新たに渡ってくる日本人の数が急増し、それに合わせて〔スシバー〕つきの日本食レストランが(カリフォルニアはいうまでもなく)全米各地に次から次へと店開きした。だから、アメリカ中でスシマンが不足し始めた。…レストランの中には、間に合わせに、日本人留学生にすしを握らせるところまで出てきたそうだ。

 

   いや、日本の〔バブル経済の崩壊〕後は、アメリカの日本食レストラン業も当時ほどには景気がよくないらしいんだけど、それでも、慢性的なスシマン不足は解消していないんだって。だから、柴田さんぐらいのベテランになると、〔引く手あまた〕なんだそうだ。

 

   ホテルの玄関わきにある、みんながロビーと呼んでいる部屋で二か月ほど前に(たまたま二人だけになったとき)柴田さんが話してくれたところによると…。そういう背景があるものだから、スシマンは概して、おなじ店で長くは働かない。給料や労働時間に不満があったり、仕事のやり方について経営者と考えが合わなかったりすると、すぐにやめてしまう。やめても、すぐに次の働き口が見つかるんだ。柴田さん自身も(「こっちに来てからしばらくはオレも、修行と思って辛抱するようにしていたけど」)三十歳を過ぎてからは、一つところで長く働いたことがないそうだ。

 

   「だけどね」。あのとき、柴田さんはそうつづけた。「オレはちょっと違うんだよ。オレは不満があってやめるんじゃない。オレが短い期間働いただけでやめちゃうのは、横田君、なぜだと思う?」

 

   僕は首を横に振ってからたずね返した。「なぜなんですか」

 

   柴田さんはこう言ったよ。「ほら、アメリカは大きいんだよ。場所によって、景色も人も人情もずいぶん違うんだよ。あちこち見ておきたいじゃない。一つの店で長く働いていたら、ほかのどこかが見られなくなるわけだろう?」

 

   「そういえば」と僕は応じた。「僕がここに来たころは、たしか、テキサス州サンアントニオでしたよね。戻ってこられて一か月も経たないうちに、フロリダ州のマイアミに行かれて…」

 

          ※

 

   こういうのを(ある種の)偏見というんだろうね。…額に手ぬぐいを巻いてスシバーの向こう側に立つと様になりなりそうではあるものの、ずんぐりとした体形の、かなり髪が薄くなっている柴田さんからそんなスケールの大きな、というか、自由の香りがする、というか、夢のある話を聞かせられようとは想像もしていなかったから、僕はなんだかみょうに心打たれてしまったよ。

 

   だって、日本で、たとえば、盛岡、高知、松江と数か月ごとに転々とした、と聞くと、〈この人、ただ飽きっぽいだけなんじゃないかな。そうじゃなきゃ、よほど腕が悪いとか、客への愛想が悪すぎるとか…〉なんて、あれこれ悪い方へ想像をめぐらせてしまいそうだけど、アメリカでサンアントニオ、マイアミと聞かせられると、なぜかすなおに〈かっこうがいいな、そういうの〉みたいに受け取ってしまうじゃない。…僕だけ?

 

   僕が感動したのを見て取ったのか、柴田さんは一度、満足そうにうなずくと、こう言った。「だから、オレはもう、この近所じゃ働かないことにしている。南カリフォルニアは大方見てしまったからね。いまは、シカゴのどこかの店に空きが出ないか待っているところなんだ」

 

          ※

 

   僕は半ばうっとりしながら、〈へえ、次はシカゴか〉と思ったよ。…シカゴは、ハリソン・フォードが主演した映画[逃亡者]の舞台となっていた都市だから、映画の中の場面をいくつか思い浮かべながら。

 

   柴田さんはもともと、遠いところでの仕事をこんなふうに探していたんだって。

 

   ロサンジェルスにいるあいだに、日本語新聞などに掲載されている求人広告を一週間ごとぐらいの間隔で見る。…柴田さんは僕に遠慮して〔日本語新聞〕と言ったんだけど、『南加日報』にそんな求人広告が出ることはめったにないから、これは事実上『日米新報』のことなんだよね。

 

   で、広告が一か月以上掲載されっぱなしになっているか、〈あれ、この店、また募集している〉という店があったら、そこに電話をかけてみる。そういう店は(柴田さんが苦笑混じりで言ったところでは)〈店主の性格が悪くて人が居つかないことがほとんどで、とにかく、切羽詰っていることが多いから〉たいがいはすぐに〔次が見つかるまでのつなぎでいいなら〕という柴田さんの条件をのむ。週休はつづけて二日もらう。往復の旅費と、働いているあいだの住居費も店に持ってもらう。…初めから、従業員用の部屋を用意している店も多い。長く働く気はないから、店主の性格は気にとめない。

 

   その町、その都市、その地方を十分見たと思うと、次のスシマンが見つからないうちでもさっとやめて、ロサンジェルスに戻ってくる。そういう店はたいてい、スシマンに突然やめられることに慣れていて、引きとめようとはあまりしないんだって。…働いているあいだは、休みの日にレンタカーを借りて狂ったようにあちこち見て回るから、ふつうは三、四か月もすれば〔十分見た〕という気がするそうだ。

 

   柴田さんは、でも、ここ数年間は、求人広告を見なくなった。その必要がなくなったんだって。「この世界は狭いし、そんな働き方をすることで、オレ、有名になったのかね。次はどこそこで働きたいなんてだれかに話して、しばらく遊んでいると、不思議だね、どこでだれに聞いたのか、店の方からオレに電話をかけてくるからね」ということだったよ。

 

          ※

 

   その柴田さんが昨夜僕の部屋のドアをノックしたのは、だけど、ビデオを見ようと誘うためじゃなかった。僕の顔を見ると柴田さんは眉をひそめながら、こう言った。「秀人が指を骨折したらしいんで、君の車で病院に連れて行ってもらえたら、と思ってね」

 

          ※

 

   秀人君というのは、姓は小堀。僕よりちょっとあと、四月の中ごろからこのホテルに住んでいる(ふだんは)口数の少ない十九歳の男の子だ。東京のある私立大学の電子工学科を受験して失敗したあと、来年に向けた受験勉強にとりかかる前に、(一度訪ねてみたいと中学生のころから思っていた)アメリカを(高校時代に近所の酒屋で配達のアルバイトをして貯めていたカネを使って)一か月ほどかけて見ておこうと思い立ち、まずは、最初の訪問地、ロサンジェルスにやってきたんだけど…。

 

   もう八月も終わりに近いころだから、〔一か月ほど〕は〔四か月ほど〕の間違いじゃないかって?

 

   そこなんだよね。…でも、それ、間違いじゃないんだ。

 

   もともとの計画では、秀人君のロサンジェルス滞在は五日間で終わることになっていたんだって。次の訪問予定地はニューオリンズ。あとはワシントン、フィラデルフィア、ニューヨーク、(可能ならボストンを挟んで)最後はサンフランシスコと、旅行のコースもいちおうはちゃんと決めてあって、五月の中ごろには日本に戻っているはずだったんだ。ところが、(日本の旅行ガイドブックで知った)このホテルに宿を取り、あちこち見物し始めてみると、秀人君はロサンジェルスがすっかり気に入ってしまった。ホテルの住み心地も悪くなかった。

 

   秀人君は予定表からまずニューオリンズを、数日後にはワシントンとフィラデルフィアを外した。たちまち三週間が過ぎた。ニューヨークにも行く気にはならなかった。またいく日かが経ち、サンフランシスコから日本へ発たなきゃならない日が迫ってきた。だけど、秀人君は動かなかった。ロサンジェルスにとどまりつづけた。

 

   〈いくら〔気に入ってしまった〕と言ったって、来年また日本で受験するつもりだったら、いつまでもここでぶらぶらしていちゃよくないんじゃないか〉とだれだって思うよね。だから、六月の初めごろだったかな、(余計なことだと感じなかったわけじゃないけど)僕は秀人君にじかに、「どうするつもり?」ってきいたことがあるんだ。あの子はそのとき、〔ぽつりぽつり〕といった調子で、こんなふうに僕に答えたよ。「どうしましょう?親には、僕はいまチャイナタウンの近くにある英語学校に通っているって言ってます。ですから、親はそれで安心して、送金もしてくれてますから、おカネには困らないんですけど…。まずいですよね、こういうの」

 

          ※

 

   あのころの僕はまだ、『南加日報』で働きつづけようか、なんて迷い始めてはいなかった、というより、自分はしっかりした目標があってアメリカにいるんだって(無理にでも)思い込んでいたから、(どちらかというと怠け者だった自分の過去のことはすっかり忘れて)〈そりゃあ〔まずい〕なんてものじゃないんじゃないの。そんなことしてると将来がなくなっちゃうよ。いま、そんなふうに自分を甘やかさない方がいいと思うよ〉などと考えたけど、秀人君には何もいわなかった。…だって、大学受験に失敗して間もない秀人君の目には、アメリカの大学でMBAを取得したいという僕が(実はまったくそんなんじゃないのに)ずいぶんな優等生に見えていたかもしれないし、そういう人間が(秀人君自身がちゃんと分かっているはずの)何かを、ほら、したり顔で言ってしまうと、やっぱり、いやらしいじゃない。

 

          ※

 

   秀人君は半ばうつろな目つきでつぶやいた。「アメリカを見れば気分がすっきりして、また一年、受験勉強に集中できると思ってたんですけど…。サンタモニカの砂浜がいけなかったですね。夏のような日差しを浴びながら、太平洋に向かって両脚を投げ出すようなかっこうで、一人で寝そべっているうちに、ああいうのを〔魔がさした〕と言うんでしょうか、急に〔電子工学がなんだ〕なんて思えてきちゃって…」

 

          ※

 

   僕は(早くも新聞編集員ふうの物の見方に染まり始めていたのか、というとちょっと変だから、そう、慣れかけていたのか)みょうに冷静に〔魔がさした〕はどうも、その状況にはふさわしくないようだ、と思いながらも、一方で〈うーん〉とうなってしまったよ。

 

   なぜって…。そういう感覚は分かる、と感じたんだよね。南カリフォルニアの日差しには、(〔クォンタム・リープ〕っていうの?)突然人をどこかに飛ばしてしまうような(ちょっと大げさにいえば)魔力があるんじゃないかって、僕自身が感じ始めていたからね。

 

   たとえば、広大な牧草地の真中の、自動車なんかめったに通らない、曲がりくねった道を、[ムスタング]で(だれもがそうするように五五マイルの制限速度を無視して)六五マイルぐらいで走る。快晴。乾いた風。…頭の中がすっと空っぽになってしまうんだよね。

 

   危ないよ、ああいう瞬間って。

 

   いや、たとえサンタモニカの砂浜で〔電子工学がなんだ〕と思ったとしても、結局はみんな、予定どおりに、自分の(日本での)現実に戻っていくわけなんだけど…。

 

   秀人君は戻らなかった。

 

          ※

 

   柴田さんといっしょに一階のロビーに入ってみると、秀人君は、左手の中指を右手で包むように握りながら、ソファーに腰を下ろしていた。…うずくまっていた、とかいうんじゃなくて、ただ〔腰を下ろしていた〕というのは、彼があまり痛そうにはしていなかったからだけど、わきにいた、日本人観光客を相手にガイドをやっている(二十代後半の)武井さんと、秀人君が勉強していることにしているチャイナタウン近くの英語学校に(こちらは実際に)毎日歩いて通っている(三十歳は過ぎていると思われる)遼子さん、それに、このホテルに三人住んでいる白人男性のうちの一人(で遼子さんとおなじ年頃に見える)リチャードさんは、ずいぶん心配している表情だった。

 

          ※

 

   また話がそれてしまうけど、その三人の白人男性のことにちょっと触れておこうかな。

 

   さっき、このホテルには三十五の部屋があって、住人というか、長期逗留者というか、そんな日本人が十五人ほどいるって言ったよね。…で、あとの二十人ほどについても、どういう人たちなのかを説明しておいた方がやっぱりいいようだから。

 

   と言って内訳は単純なんだ。まず、いま言ったように、白人の男性が三人。あとは中国人の(他人同士の)男性と女性が一人ずつ。ベトナム人の男性が一人。残りは日本からやってきて短期間宿泊しては去っていく男女の(ほとんどは)若い旅行者。…それだけ。

 

   白人は三人ともアメリカ国籍だと思うけど、中国人二人とベトナム人一人の国籍は知らない。

 

          ※

 

   ついでに言っておくと、このホテルのオーナーはジェイスン・イーさんという韓国系アメリカ人で、その人の甥夫婦(テッドさんとキャッシーさん)が、三十五室のほかにもう一つある部屋に寝泊りしながら、マネジャーとして働いている。

 

   客室やロビー、廊下、階段などの清掃にはメキシカンの男女が(入れ替わり立ちかわり)雇われている。…テッドさんとキャッシーさんが気に入る仕事をするメキシカンがあまりいないのか、それとも、雇われた方が二人を嫌うのか、とにかく、だれも長つづきしない。

 

          ※

 

   中国人の男性はチェンという名だ。リトル東京にあるチャイニーズ・レストランでコック見習いみたいなことをしているらしい。何週間か前に(ホテルの一階にある)ローンドリールームでちょっと立ち話をしたとき、チェンさんは片言の英語で、晴れやかに(というか、誇らしげに、というか)「カネもだいぶ貯めたし、もうすぐここを出て、アパート住まいを始めるつもりだよ。こんなところに住んでいたんじゃ、だれも結婚してくれないからね」って言ってたよ。

 

   そんないい方をしちゃ、〔こんなところ〕に長く住むしかないほかの人たちが気を悪くするんじゃないかと、僕は(なぜか、自分のことは頭に入れずに)思ったけど…。たしかにね、このホテルに住みつづけながら人生の成功者と見られようたって、そりゃあ無理だよね。

 

   この人、一年半ぐらいここに住んでいるんだって。

 

          ※

 

   女性の方は、ダウンタウンのバスターミナルの近くにある小さなビジネスホテルで、客室の清掃係として働いているらしい。ほとんどだれとも口をきかないから、この女性から何かを直接聞き出した日本人はいないようだ。でも、(マネジャーのテッドさんがだれかにそう話したことでもあるのか)職場まで歩いて通うことができるというんでここに住んでいるんだって。それも、十数年間もね。…チェンさん以上にカネを貯めているはずだ、という人もいるけど、いまだにここに住んでいるところをみると、稼いだカネはほとんど全部、台湾か香港、そうでなきゃ中国本土に住んでいる家族に送っているのかもしれない。

 

   この女性の名はリンさん。だけど、それが〔林〕なのか、たとえばキャロリンまたはキャロラインの愛称のリンなのか、その辺のところは、確かめた人がいないみたいだよ。

 

          ※

 

   ベトナム人はみなにジャックさんと呼ばれている。本名じゃないんじゃないかな。五十代の半ばぐらいの年齢だと思うよ。リトル東京から遠くないチャイナタウンにあるベトナム系食品貿易会社で雑役をやっているそうだ。…ジャックさんは、韓国系アメリカ人が経営している(客のほとんどが日本人である)リトル東京近くの小さなホテルに住んで、中国系移民がつくりあげた町で営業しているベトナム系企業で働くという、いかにもロサンジェルスらしい、カラフルな国際的環境の中にいるわけだけど、自ら望んでそんな暮らしをしているわけではないんだよ。ほんとうは、ロサンジェルスダウンタウンから南東方向へ四〇キロメーターほど離れたところにあるリトルサイゴン(のベトナム人ベトナムアメリカ人の中)で暮らしたいんだって。

 

   じゃあ、そうすればいいのにって?

 

   それが、簡単じゃないみたいなんだよね。ジャックさんは(ジャックさん自身がいうには)以前はアルコール好きのギャンブル(特に競馬)狂いで、それが原因で、そのリトルサイゴン近辺に住んでいる家族や親類に見捨てられ、放り出された人らしいからね。…周囲の親しい人たちには〈アルコールとも馬とも切れたけど、もうちょっとここでがんばってかっこうをつけなければ、みなのところには戻れないよ〉みたいなことを話しているんだって。

 

   もう若くはないんだし、家族や親類が住んでいる町に早く戻れるといいんだけどね…。

 

          ※

 

   で、三人の白人。

 

   日系人と日本人の町であるリトル東京(とアフリカン・アメリカンのホームレスの人たちが多く集まっている地区)の近くのこの安ホテルに、アジア人たちの中に混じ込んで長く住んでいるんだから、この三人は、街なか(や取材先)で見かける大方の白人とは、やはり、どこかが違って見える。

 

   第一に言えることは、三人とも、周囲に与える印象が暗い。…何てったって、このホテルは、移民してきた中国人やベトナム人が、なんとか早く抜け出したい、と夢見ているようなところなんだから、アメリカで生まれ育った白人がすっかり満足して長期逗留しているわけはないんだろうけど、とにかく、暗い。もっとはっきり言ってしまうと、〔わたしは人生の落伍者です〕って看板を背負って歩いているかのように、暗い。

 

   いや、リチャードさんはいくらかましだけど、あとの二人は、見ていて気の毒に感じてしまうほど暗いんだ。

 

   しゃべらない。笑わない。…そういえば、その二人がともに、三階や二階と比べると日当たりも風通しも悪い一階にあえて住みつづけているのは、ほかの住人、逗留者たちとなるだけ顔を合わせないためなのかもしれないな。

 

   それに、これは性格や態度、風貌などとはまったく無関係なことだけど、三人とも、どういうわけだか、自動車を持っていない。持つ気もないみたいだ。…(スシマンの)柴田さんが前に、「警察なんかに追われていれば、免許証は取らない、自動車登録はしない、これ、常識だよ」と言ったときには、〈そういう柴田さんも、免許証はともかく、車は持っていないじゃないですか。でも犯罪者ってわけじゃないでしょう?〉と思ったけども。

 

          ※

 

   三人のうちの最初はスティーブさん。年齢がときによって三十代にも五十代にも見える人だ。

 

   と切り出したけど、実は、そのファーストネームのほかはほとんど何も知らないんだ。あの人は(ハリウッドの方に向かってトンネル掘りが進められている)地下鉄工事の現場で働いているんじゃないか、というのがみなの推測だ。だけど、確かなところはだれも知らないみたいだよ。

 

   でも、地下鉄の、かどうかはともかく、毎朝早く(五時半前には)作業員ふうの服装でホテルを出て、歩いてダウンタウン方向へ向かうし、午後四時ごろにはおなじ方向からまた歩いて戻ってくるっていうから、ふつうは六時‐三時のシフトで働く(という)建築工事現場で働く労働者だろうって説は当たっているのかもしれない。…もっとも、この説には、大きな工事の現場で働く労働者は組合に加入していて賃金も悪くないはずだから〔こんなところ〕に住む必要はないだろうに、スティーブさんはなぜ、という(やはり柴田さんが持ち出した)疑問に答えられないという弱点があるけどね。

 

   この人がこのホテルに入ってから、もう二年近くが経っているんだって。

 

          ※

 

   二人目は、もう六十歳に近いはずのブレットさん。

 

   この人のことはいくらか分かっているんだ。六年ぐらいここに住んでいるそうだし、この人と直接立ち話をしたことのある日本人もいるにはいるみたいだから。…ダウンタウンの少し南、サンタモニカ・フリーウェイの高架のそばにある(みながいうには)〔洗濯会社〕でアイロンを当てる(というより、当てる機械を操作する)仕事をしているんだって。レストランから集めてきたテーブルクロスやナプキンを洗濯、プレスする会社だそうだ。

 

   ロサンジェルス・ストリートを南北に走る路線バスで通勤しているらしいよ。

 

   そうそう、この人については、(日本にいたときは、新宿西口にある高層ビルの中にある会社で事務の仕事をしていたという)遼子さんが「白人がメキシカンや黒人に混じって最低賃金で単純労働を長くつづけていれば、性格、暗くもなるわよね」って(露骨なことを)言ったことがあるよ。それだけが〔暗い

 

原因じゃないんだろうけどね。

 

   〈俳優になろうと思って、三十年ほど前にオクラホマからやってきたんだ〉と話しているそうだよ。でも、いまの姿からは、そんな野心を抱いたことがあるようにはまるで見えないな。

 

          ※

 

   この二人には、たとえば、週末にいっしょにどこかに出かけたり食事を楽しんだりするような友人はいないみたい。仕事場ではどう振る舞っているんだろう?

 

   だれかが訪ねてきたところを見た人もいない。

 

   それも分かるって気もするけどね。…というのは。

 

   「新しい暮らしを始めた等さんの部屋がどんなふうか、一度見ておこうかな」という真紀をこのホテルに、四月の初めごろ、連れてきたことがあるんだよね。でも、正直にいうと、僕はあのとき、あまり気乗りがしていなかったんだ。…周囲の雰囲気、建物の様子、外観。アメリカの大都会のダウンタウン周辺はどこも似たようなものだと思うけど、このホテルのまわりにも、殺風景な、人の温かみの少ない、ちょっと荒涼とした感じがあって、やはり、だれかをわざわざ招待する場所のようには思えなかったからね。真紀もあれを最後に、ここで会おうとはいいださないし…。

 

          ※

 

   あ、そうか。スティーブさんとブレットさんは、こういう場所だと、たとえば、家族だとか昔の友人、知人だとかに姿を見られたり発見されたりする可能性が小さいはずだ、あるいは、自分がこんなところで暮らしていようなんて考えるものはいないだろう、と読んでここに住んでいるのかもしれないな。

 

   あの二人は、(柴田さんが示唆した〔犯罪者〕説は、やはり、いきすぎだと思うけど)何か事情があって、人目を引きたくないと思って暮らしているうちに、自然に、あんなふうに暗い印象を与える人間になってしまったのかもしれないな。

 

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横田等のロサンジェルス・ダイアリー =8=

*** 8月23日 水曜日 ***



   先週書いておいた[海流]用エッセイ(ほら、〔日本とアメリカでは記事の書き方が違う〕ってやつ)を編集長に渡して、きょうは早々と引き揚げてきた。

 

   もらった小切手が不渡りになったという人はまだいないようだったな。…でも、週末までは、みな、まだ安心できないかな。

 

          ※

 

   タイピストの克子さんが仕事中に急に気分が悪くなって、一時はちょっとした騒ぎになったんだよ、きょうは。

 

   克子さんは(編集長と近い)五十五歳ぐらいかな。ちょっと太り気味で高血圧だから、いつも自分の体を気づかいながら暮らしているようだけど、ときどき急に息苦しくなったりするんだって。きょうは工場の隅に置いてあるソファーで十五分間ほど横になっていたら、元に戻ったし、電話で知らせを受けて駆けつけてきた旦那さんのトニーさんといっしょに会社を出るころには笑えるようにもなっていたから、まあ、よかったけど。

 

   このトニーさんという人は、ロサンジェルス郡の土木工事局で二十数年間、さらには、民間の建設会社で何年間か働いたあと、三年ほど前に引退したという日系二世だ。四十歳になる少し前に、(やはり二世だった)最初のおくさんに死なれ、その後克子さんと再婚したんだって。死んだ父親の故郷を一度見ておきたい、という名目をつけて日本に行き、親戚に紹介されて会った克子さんを(トニーさん自身がほかのタイピストたちに話したところでは)〔たちまち気に入り〕一年ほどかけて結婚にこぎつけたんだそうだ。…そのころの克子さんは英語がまったくできなかったけれども、トニーさんが日本語をじょうずに話すから、意思を通じさせるのに困るようなことは少しもなかったらしいよ。

 

   トニーさんも(ジャネットさん、グレイスさん、フレッド社長たちとおなじように)子供のころ日本語学校に通わせられたんだね。克子さんによく、〈あのころは、白人の友だちが遊んでいる土曜日に日本語を勉強させられるのが嫌でしょうがなかったけど、いま、ちゃんと役に立っているよ〉っていうんだって。…とてもいい夫婦みたいだね。

 

          ※

 

   ふと思ったんだけど…。おなじ会社で働いているというだけの人(とその旦那さん)のことなのに、僕、ずいぶんよく知っているね。…近い親類のことだって、ここまでは知らないよ。

 

   そりゃあ、たとえば、僕の父親の(うんと年の離れた)弟、俊治叔父さんは東大の法学部を出た、東京地検の検事だ、ぐらいのことは知ってるよ。でも、育子おばさんとどこで知り合い、どういういきさつで結婚したかなんて、知りもしないし、知りたいと思ったこともなかった。

 

   そういえば、僕は、横田家の昔のことなど、ほとんど何も知らないのに、今村家のことなら三代にわたって、ある程度、というより、けっこう詳しく知っているんだよね。

 

   何なんだろうね、これ?

 

   自然に耳を傾けてしまうんだよね。見るもの、聞くものすべてに、なぜか、すごく興味を覚えてしまうんだよね。

 

   やっぱり、僕がいままで住んできた世界とはまるで違っているからかな。…違う世界に触れることが楽しいのかな。           ※

 

   ま、そういうことはともかく、数台の扇風機と天然の風通しだけを頼りにしている(エアコンのない)会社だから、まだ暑い盛りのいまの季節は、克子さんだけじゃないよ、みなもばてないように気を配りながら働かなきゃね。…ほら、この会社、従業員に健康保険を提供できるような状態じゃないから、倒れて寝込むようなことになっちゃ、大変だもんね。

 

          ※

 

   というところで、昨夜のつづき。…リチャードさん。

 

   この人は、ロビーで秀人君のけがを心配していたことからも知れるように、スティーブさんやブレットさんよりは、いくらかは、そう、社交的だ。印象は、やはり暗いんだけど、ちょっとは社交的なんだ。

 

   で、リチャードさんが日本人の僕らを相手に〔いくらかは社交的〕なのには、それなりの理由があるんだ。…というか、この人は、ほかの白人二人とは(たぶん)違って、〔日本人と接するために〕自ら進んでこのホテルで暮らしているんだ。

 

   なぜ日本人と接したいのかって?

 

          ※

 

   話を聞いてから、〈ああ、そんなことをどこかで耳にしたことがあったな〉と思ったんだけど、あれはたしか、文部省がやっているプログラムなんじゃないかな、英語のネイティブスピーカーを年間何百人か日本に招いて、全国各地の中学校、高校で生徒たちに生きた英会話を教えてもらおうっていうの。…リチャードさんはまた、そのプログラムに応募するつもりなんだ。〔また〕というのは、昨年は採用してもらえなかった、ということだけどね。

 

   だから、また応募するんだったら、その前に日本のことをもっと知っておいた方が採用してもらえる可能性が大きいのではないかと考えて、カリフォルニア州中部のフレスノ市の近くにある町からリトル東京に出てきたんだって。出てきて、このホテルに住んで、警備会社に雇ってもらい、夜はダウンタウンの大きなビルで警備員として働きながら、昼間は、リトル東京のサンペドロ・ストリート沿いにある日米文化会館の中の図書館で毎日、日本のことを勉強しているんだそうだ。

 

          ※

 

   日本で英会話を教えたい、というからには、リチャードさんはちゃんとした教育を受けているだろうし、なにも(中国人のチェンさんがいう)〔こんなところ〕に住むようなことはしなくったって、道は開けるだろうにって、そう思わない?

 

   いや、実際に、リチャードさんはカリフォルニア州立大学フレスノ校で心理学を勉強して、学士号も取っているんだって。…取ってはいるんだけど。

 

   そこからなんだよね、この人の、なんというか、苦労が始まるのは。

 

   リチャードさんも暗い印象を与える人だって言ったよね。…それがこの人の性格なんだ。もともとが、かなり内向的な性格の人なんだ。で、そのことは、この人、自分でもよく分かっているんだよね。知っていたから、大学を卒業したときも、(ロサンジェルスみたいな)都会に出て働こうとは思わなかった。そういう暮らしは自分に似合わないし、したくない、と考えていた。自分の故郷の町で、できれば町役場みたいなところで働きながら、静かに暮らしていきたかった。

 

   現実に、何年間も定職にはつかずに、ファストフードのチェーン店でアルバイトをしたりしながら、その町の役場や近隣小都市の市役所に、欠員が出るたびに、職種は問わず、応募もしたんだって。だけど、採用されなかった。…自分より劣る資格しかない(と見える)人たちが次々に雇われていくというのにね。

 

          ※

 

   リチャードさんはそれがおもしろくなかった。不公平だと思った。

 

   五月だったかな、日米文化会館前の広場でたまたま顔を合わせ、なんとなく立ち話を始めたときでも、まだリチャードさんはそのカリフォルニア中部の町で起こったことに不満を抱いていた。…顔見知りどうしだというだけの僕に向かって(ちょっと陰鬱な声で)「俺より劣る学歴や能力しかない黒人やラティーノ中南米系移民)が優先されるんだよ。ばかげているじゃない。雇用する際には、人種・性別のバランスを考慮するんだなんて言っているけど、これは明らかに〔逆差別〕だよ。たとえば、おなじ資格・能力の白人と黒人の求職者がいて、その際、バランスを取るために黒人を採用したというのだったら、まだ理解できなくもないけど、そうじゃないんだ。黒人よりも能力があっても、白人は雇われない。いや、〔白人だから〕という理由で採用されない。これは白人差別だよ。白人が仕事の機会を不当に奪われているんだ。日本人の君に言っても仕方がないけども、アメリカはいま、いったいどうなってるんだ?もう十分だよ。三十年前まで差別していたからって、いつまでも黒人の機嫌を取りつづけることはない。そうだろう?白人だろうと黒人、ラティーノだろうと、アジア人だろうと、能力に応じて処遇されるべきじゃないのか?リベラルの連中がいけないんだ。民主党アメリカをだめにしてしまったんだ」とまくしたてずにはいられなかったほど、怒っていた。

 

          ※

 

   話を聞きながら僕は、〈そのいなかの町役場などで雇われなかったのは、〔白人差別〕のせいというよりは、リチャードさん、面接の際にあなたが与えた印象が暗すぎたからじゃないのかな〉〈だって、積極的にばりばり仕事をするタイプの人間には、どうしても見えないですよ〉〈それに、心理学の学士号を持っているって聞いてますけど、そんなものがじかに役立つ仕事は、町役場みたいなところにはあんまりないんじゃないですか〉〈そういえば、その〔三十年前まで〕アフリカン・アメリカンを先頭に立って差別していたのは、実は、物事をいつもそんなふうに、つまり、だれかのせいで俺の人生が冴えなくなってしまっている、みたいに考える白人たちだったんじゃないんですか〉などと思ったけれども、リチャードさんの(また、児島編集長が嫌いな常套句)〔やり場のない怒り〕に満ちた顔をただ黙って見つめていたよ。…人種が絡んだ話には、自分や日本人、アジア人が直接差別されたり侮辱されたりしてるんじゃなきゃ、口を出さない方がいい、という知恵も働いて。

 

          ※

 

   カリフォルニア中部の町でおもしろくない暮らしをしていたリチャードさんに、日本に行って一年間英会話を教えてきたらどうだ、と(いとも簡単そうに)言ったのは、そのプログラムで実際に日本に行き、戻ってきたばかりの、大学時代からの友人だったんだって。〈給料も悪くないし、何も難しいことを教えるわけではない。たいていは、アメリカ人にはいままで直接会ったことがないって人がほとんど、というような町に派遣されるから、学校でもホームステイ先でもみなに大事にされる。立場もあるから、ふしだらなことはできないけど、女の子にはもてる〉といったふうに、この友人の話しはいいことずくめだったし、自分はアメリカが嫌になっていたところでもあったから、リチャードさんはすぐにその気になったそうだ。

 

   リチャードさんはそのとき、日本のことは事実上、何も知らないに等しかった。だけども、一九八〇年だったかに最初に放送され(その後何度も再放送されてきた)テレビのミニシリーズ・ドラマ[ショーグン]の中で、この東洋の島国がずいぶん優美に描かれていたことは覚えていたんだ。だから、日本という名を聞くと、たちまち、〈あんな国なら俺にも気持ちよく暮らせそうだな〉って思ったんだって。

 

          ※

 

   〈それは偏見ですよ。いまの日本はもうそんな国じゃありませんよ〉とは言わなかった。そういう忠告は不要だと感じたんだ。…だって、たとえば、僕の父親。

 

   「MBAのコースはフィニックスにある大学で取ることにしたよ」と電話で報告したとき、父はちょっと頼りない声で「昔、西部劇か何かで見たような記憶があるが、あの辺りはサソリが多いところじゃないか?気をつけるんだな」なんて、(ふだんは知的なあの人らしくない)ちょっと焦点の外れたことを言ったんだよね。…そりゃあ、たしかに、サソリはいるかもしれないけども。

 

   映画とかテレビとかいうのは、そこで見たものに対して人が抱く印象を単純化する、というか、典型化する、というか、とにかく、そんなふうな影響力を持っているみたいだね。…だから、僕の父親がフィニックスを訪れてみれば、砂漠に囲まれたこのアリゾナ州の州都が実は人口百万ぐらいのけっこう大きな大都会だし、隣接する四つの市(テンピ、スコッツデイル、メサ、グレンデイル)にだって、合わせて七十万人もの人間が住んでいるんだってことを知って、驚いてしまうかもしれないように、リチャードさんも日本に行ってみれば、予想や期待とは違い、ドラマで見た〔優美さ〕になかなか出合えないんで、いくらかショックを受けるかもしれないけど、そういうのは仕方がないんだよね。

 

          ※

 

   もとに戻ると…。ところが、その友人の(いかにも簡単そうな)話から想像していたのとは異なり、ここでも競争は激しかった。すべての人種、あらゆる文化を背景にした人たちが大勢、全米各地からこの仕事に応募していたんだ。

 

   リチャードさんは採用されなかった。

 

   どうやら、外国人に英語を教えた経験のある人や、大学で語学を専攻した人たちが(リチャードさん自身がいうには、「ここでは、たぶん、人種に関係なく、公平に」)優先して採用されたようだった。…リチャードさんは、採用された人たちを日本に向け送り出そうという目的で、リトル東京の[ニューオータニホテル]で開かれた歓送パーティーを覗きに出かけ、実際にどんな顔ぶれになっているかも見たし、中の何人かには直接話しかけて、経歴の聞き出しもしたんだって。…リチャードさんの執念みたいなものが感じられるエピソードだね、これ。

 

   で、リチャードさんにはその二つ、〔経験〕と〔専攻〕がともに欠けていた。何かで埋め合わせをしなければ、と考えた。

 

   考えて、リチャードさんは、そのままリトル東京に残って日本のことを学ぶことにした。

 

          ※

 

   目的を果たすためなら、日系人と日本人の町に出てきて〔こんなところ〕に住みつくだけの実行力があるんだから、もっと積極的に動けば、フレスノ近くの田舎の町で、に限らず、どんな仕事にだって就けるだろう、という気がするけど、どうも、そういうものではないらしい。日本で働くためにだったらできることが、アメリカ国内で働くためにはできないみたいなんだ。…それぐらい、アメリカの現実に失望してしまっているんだね、リチャードさんは。

 

          ※

 

   この人、日本に行けると思う?

 

   自分の国、アメリカについてもっとポジティブにならなきゃ、役場のときみたいに面接(があれば、そこ)で落とされてしまうんじゃないかな。…そんな予感がするよ。

 

          ※

 

   三人の白人について僕が知っているのは、それぐらいかな。

 

   たった三つの例だけど、いろんな生き方があるもんだなって、やっぱり、思っちゃうね。

 

          ※

 

   と長々としゃべったあとで、やっと、月曜日の夜に起こったことに話を戻すと…。

 

   一階のロビー。

 

   「待たせてしまって…」。だれへともなく、僕はつぶやいた。…日本語が分からないリチャードさんが、武井さんと遼子さんの動きにつられ、僕に向かってうなずきかけた。

 

   秀人君が顔を上げた。それまで隠れていた左のこめかみに(もう血が流れたりはしてなかったけど、けっこう大きな)すり傷があるのが見えたよ。

 

   「ホームレスにやられたんだって」と遼子さんが僕に言った。やはり、少し興奮しているような口調だったな。…新宿西口の高層ビルの中で働いていたという遼子さんはOLとしては、ほら、ちょっとエリートの方に属していた人だから、身近に暮らしている善良な日本人の若者がロサンジェルスダウンタウンで〔ホームレスにやられた〕というのは、一生に一度しか経験しない、といった類の、生臭い、頭を熱くさせるに値する大事件だったのかもしれないね。

 

   「そのことは…」。柴田さんが遼子さんをさえぎった。「オレがあとで、車の中で、横田君に説明するから」

 

   秀人君が立ち上がりながら僕の方に頭を下げた。「どうも、すみません」

 

   けがのことについて秀人君に何かたずねるか、慰めるようなことを言った方がいいかな、とも思ったけど、柴田さんに〔それはあとで〕と言われそうな気がしたから、僕は「いや」とだけ言って、その場に突っ立っていた。

 

   秀人君につづいて立ち上がろうとした遼子さんと秀人君のあいだに割り込むような形で、柴田さんが秀人君の背に腕を回した。「さあ、行こう」

 

   遼子さんは、そんなことではめげなかった。「わたしも行く」

 

   「いいよ、遼子は」。柴田さんは言った。

 

   この二人は〔仲がいいようで悪いような、悪いようでいいような、みょうな間柄だ〕と武井さんからだいぶ前に聞いていたけど、柴田さんのあのときの口調にも、どこか中途半端な響きがあったな。

 

          ※

 

   また横道へ。

 

   武井さんによると、二人の仲がおかしな具合、というか、柴田さんが遼子さんに(少なくとも、表面上は)冷たく当たるようになったのは、自分も三十歳は過ぎているはずなのにまだ独身でいる遼子さんが、四十歳を過ぎるまで〔一度も結婚したことのない〕柴田さんを(「新宿の、西口の高層ビル内ではなくて、歌舞伎町で聞かれそうな露骨な言葉を使って」)手ひどくからかってからだそうだ。…それでも、そのとき、柴田さんの方に心のゆとりがあれば、〈遼子、自分の方はどうなんだ?〉とか〈そんな言葉で、もしかしたら、オレを誘っているのか〉とかいうふうに対応することもできたんだろうけど、柴田さんはただ、顔を真っ赤にして黙り込んでしまったんだって。

 

   〔一度も結婚したことのない〕というのは柴田さんにとって、なんとしても他人には触れられたくない、といった類の不名誉な過去だったんだろうか。…「次はシカゴだ」と言ったときには、あんなにスケールが大きく見えた人なんだけど。

 

   そういうのって(この二人の状況は職場の上下関係なんかではないわけだけど)、やっぱり、女性の方が仕掛けるセクシュアル・ハラスメントの一例なんだろうね。…遼子さんにどういうつもりがあったんだったにしろ。

 

          ※

 

   とまあ、僕は一瞬のうちに、そんなことを思い出したり考えたりしていたんだけど、〔いいよ、遼子は〕だけじゃちょっと冷淡すぎる、とでも感じたのか、柴田さんはこうつけ足したよ。「横田君の[ムスタング]は後部座席が広くないんだから」

 

   僕はたちまち、〈柴田さんはやっぱり、遼子さんが嫌いじゃないんだな〉と思ったよ。…嫌いなんだったら、そんな弁解がましいこと、わざわざつけ足さないはずだもんね。

 

   そういわれた遼子さんの方は、柴田さんの後ろ姿に向かって(リチャードさんや武井さん、それに僕にみられていることを意識しながら)口を尖らせて見せた。遼子さんは、そのしぐさはかわいく見えるはずだと信じているようだったけど…。

 

   いや、十八歳のときの遼子さんだったら、実際にかわいく見えたかもしれないんだよ。

 

   柴田さんが見たら、どう感じたかな?

 

          ※

 

   長く逗留している日本人の中には、ほかにも女性がいるのかって?

 

   ああ、二人いるよ。いるんだけど、僕はこの二人のことは、何を仕事にしてるかってことを除けば、ほとんど何も知らないんだ。二人とも、ロビーに出てきたみなと話すようなことはしないし、一階にある共同キッチンで顔を合わせるようなことがあっても、〔今晩は〕程度のあいさつを交わすだけだから。

 

   それに、正直にいうと、ファースト・ストリートにあるレスタランでウェイトレスをやっている方の女性は六十歳に近い人だから、やっぱり、興味がわくような対象じゃないし、もう一人は、[ジャパニーズ・ビレッジ・プラザ]だか[ホンダ・プラザ]だかにあるクラブのホステスさんで、まだ二十代に見えはするけど、目鼻や唇の輪郭がはっきりしないもともとの顔立ちにまるでマッチしていない、ずいぶんはでな化粧、突飛な赤っぽい髪をした、気性の激しそうな人だから、ちょっと怖くて、僕の方からはできるだけ視線を合わせないようにしているし…。

 

          ※

 

   三日間、五日間、十日間といった短期宿泊者はほとんどが男性だけど、女性がやってくることもないことはないんだよ。

 

          ※

 

   唐突にこんな話を聞くと、真紀は気を悪くするかな。…でも、きのうは、たとえば、ベトナム人のジャックさんのことまでしゃべったんだから、僕自身のロサンジェルスでの暮らしに関することは、やっぱり、何でもちゃんと触れておく方がいいだろうな。

 

          ※

 

   あれは日本のゴールデン・ウィークに当たっていた。ほっそりしていて背がけっこう高くて、夏にはまだ間があるというのにサーファーみたいによく日焼けした(ガイドの武井さんがいうには〔すごい美人〕の)女の子がこのホテルに(新しい客なら、実は、みなそう見えるものだけど)ふらりとやって来たのは。…女性のことでは陰でしか元気になれないらしい武井さんが「あんあきれいな子が一人で旅行しているなんて、しかも〔こんな〕ホテルを選ぶなんて、信じられないよ」って何度も言っていたから、これは〔やって来た〕というよりは〔迷い込んできた〕と言うのがふさわしい表現かもしれないな。…大阪の学生だということだったよ。

 

          ※

 

   そうだな。武井さんのことを先に少ししゃべっておくよ。

 

   この人がアメリカに戻ってきたのは四年ほど前だったそうだ。〔戻ってきた〕というのは、学生のころに一度、(アメリカのちょうど真ん中辺りにあるから、という理由で選んだ)ミズーリ大学に六か月間、語学留学をしたことがあるからだ。日本の大学を卒業したあと、関東のある鉄道会社で事務系職員として働いていたんだけど、「仕事が退屈だったから、どうしてももう一度アメリカで英語を勉強したいと上司に嘘をついて、会社をやめさせてもらい、将来のことなど何も頭にないまま、とりあえずロサンジェルスにやって来た」ということだった。

 

   武井さんは、このホテルに入ってから数か月間は、(ミズーリ州で取っていた自動車運転免許証をカリフォルニア州のものに切り替え、もうすぐ日本に帰るというホテル先住者から八〇〇ドルで買った中古の、というよりは、もうぼろぼろになりかけていた[トヨタ・カローラ]を運転して)あちこちを見物しながらぶらぶらと暮らしていたんだけれども…。それからあとは、ほら、どこかで聞いたようなコース。『日米新報』でたまたま見た求人広告に応募してみたら、すぐにも働いてくれといわれ、もう次の日には、日本人観光客相手のガイドになっていたんだって。

 

   いったんは日本に戻っているから、武井さんは典型的な〔留学生くずれ〕じゃないんだろうけど、(僕自身のことはとりあえず無視していうと)こういう具合に〔なんとなく〕居ついてしまった人がけっこう多いみたいだね、南カリフォルニアには。

 

          ※

 

   念のために言っておくと、武井さんは永住権を持っていたわけじゃなかったし、いまも持っていないようだから、もちろん、こんな雇用は違法なんだよ。だけど、日本語と英語の両方を(日本からきた観光客が不安を覚えない程度に)ちゃんと使うことができて、しかも、この業界特有の(仕事がときには何日間もまったくないことがあるし、あればあったで、早朝から夜遅くまで及ぶことがしょっちゅうあるという)不規則な労働、けっしていいとはいえない給料に長く耐えつづけることができる人は、アメリカ人のあいだにも、永住権を取得している日本人のあいだにも、やっぱり、あまりいないらしいんだよね。

 

   たしかにね。合法的に働ける、英語と日本語の両方をきちんと使える人なら、もっと条件のいい仕事がほかでいくらでも見つかりそうだよね。…『南加日報』と似た求人の悩みが観光ガイド業界にもあるんだね。

 

          ※

 

   で、大阪からきたその女の子のこと。

 

   武井さんの騒ぎ方は、いま思い返せば、ふつうじゃなかった。「あんな子が独りでいるなんて、もったいないよな」「これは〔わけあり〕の旅行だな、きっと」「僕がもう少し男前だったら、攻めてみるんだけどな。僕の勘では、あの子は落ちるよ。僕には落ちなくても、だれかに落ちるよ」などと、あの人、みょうに盛り上がっていたからね。

 

   僕が初めてその子の顔を見たのは、武井さんからそんな話を聞かせられた翌日の夕方、(仕事が早くかたづいたので、いつもよりはうんと早く)『日報』から帰ってきて、習慣どおりに、(日本の住宅でいうなら十畳ぐらいの広さの)ロビー(として使われている玄関わきの部屋)を覗いてみたときだった。…その子、午後三時に授業が終わる語学学校から帰ってきたもののまだ自分の部屋には戻っていないといった様子の遼子さんと、けっこう親しそうにしゃべっていたんだ。

 

   このホテルを根城にして外で働いている人たちが帰ってくるには(ダウンタウンの建築工事現場が仕事場じゃないかと思われるスティーブさんを除けば)ちょっと早すぎたし、夕方からの仕事に就いている人たちは、ちょうど出かける準備をしているか、もう出かけたあと、という時間だったからか、ロビーには二人のほかにはだれもいなかった。

 

   L字型に置いてある、形も色も大きさも異なる二つのソファーの一方の端に、いつものように出入り口の方に顔を向けながら座っていた遼子さんが間を置かず僕に気づいた。「あ、横田クーン」

 

          ※

 

   正直にいうと、僕は、遼子さんに〔横田クーン〕と呼ばれるのは好きじゃないんだよね。遼子さんの〔クーン〕には、なんというか、やっぱり、そう、無理があるんだもん。…『日報』の光子さんもそうだけど、三十歳を過ぎた(はずの)女性が僕ぐらいの年齢の異性と対等に、というのが変だったら、おなじレベルで友だちづきあいをするのは、実は簡単じゃないんだろうな、とは思うよ。でも、無理に若い方のレベルまで下りてくるようなことは、しない方がいいと思うな、僕は。そういうのを見ると、僕、どういうわけだか悲しくなっちゃうんだよね。

 

          ※

 

   「話していかない?」と遼子さんはつづけた。いつものように、僕が断るかもしれないなんてまるで考えていない、そんな感じの誘いだった。

 

   遼子さんの斜め前に、出入り口からは右横顔が見える位置取りで、ずいぶん日に焼けた、髪の長い若い女性が座っていた。僕はたちまち、〈あ、この子だな、武井さんが言っていた〔すごい美人〕は〉と思った。…そんな年恰好の女性はほかには泊まっていないはずだったからね。

 

   その子がどのぐらい〔すごい美人〕なのかを見ておくのも悪くないな、という気もしたから、僕はとりあえずは「そうですね」とあいまいな返事をして、入り口に突っ立っていた。

 

   僕の視線がちらりとその子の方に走ったのを遼子さんは見逃さなかった。「あ、この子はね…。あさい・みかチャン。三日前から宿泊してるの」

 

   〈この子はね、のあとの間隔がみょうに、不自然に、勿体をつけるみたいに、ずいぶん長かったな〉〈三日間あれば互いにいくらかは知り合っているんだろうけど、もう〔みかチャン〕なんて呼ばれて、この子、どう感じているんだろう〉〈〔あさい〕は浅井で、〔みか〕は美香なんだろうか〉なんてことを瞬時のうちに考えながら、僕はロビーの中にのっそりと足を踏み入れたよ。

 

          ※

 

   「座ったら?」。遼子さんは(意味ありげに)ほほ笑みながら僕に言った。

 

   僕は、二つのソファーのうちの、どちらの、どこに腰を下ろせばいいかが決められずにいたんだよね。だって、その子と並んで座れば、好奇心に満ちた目で遼子さんに(斜めから)顔を見つめ回されそうだったし、その子の前を通り過ぎてわざわざ遼子さんの横に行ったんじゃ、その子に、〈この人、遼子さんとはけっこう親しんだ〉と(いささか不当に)疑われそうな気もしたし、遼子さんには〈あ、横田クン、みかチャンの顔をちゃんと見たいからこっちに座ったんだ〉って、(言ってみれば、まあ)胸の内を見透かされそうだったから…。

 

          ※

 

   僕は結局、出入り口からすぐの、遼子さんからいちばん遠いところに、その子の横に人一人分あいだを置いて、腰を下ろした。…無難な選択?

 

   その子は、遼子さんと僕がそんなやり取りをしているあいだ、どういうわけか、一度も僕の方をみなかったな。

 

   僕が座るとすかさず、遼子さんが言った。「みかチャン、この子が、ほら、横田クン」

 

   僕は〈あれ、〔ほら〕っていうのは何なんだ?〉と思ったよ。いや、すぐに、〈遼子さんはたまたま僕のことをこの子に話していたところだったか、そうじゃなければ、きのうにでも話したことがあったんだ〉って気がついたけどね。…遼子さんみたいに長く逗留している日本人が、新しくやって来た日本人に、このホテルにどんな(変わった経歴の)人間が住んでいるかを話して聞かせるのは、格別にめずらしいことではなかったからね。

 

   「どうも」。その子が初めて僕の方に顔を向けた。

 

   たしかに、きれいな子だったよ。でも、武井さんが言っていたような〔すごい美人〕だとは感じなかったな。

 

   いや、この〔日記〕をいつか真紀に読んでもらうかもしれないから、というんで不正直にそう言っているんじゃないんだよ。…その子が聞いたら、大阪弁で〔ほっといてんか〕とか〔ほっといてえな〕とか言うところだろうけど、僕の好みからいうと、あごが尖り過ぎていたし、眉もちょっとつり上がりすぎていたからね。

 

          ※

 

   遼子さんが僕に、その子がどういう子かを説明してくれた。

 

   ほら、大阪の学生だとか、まだ十九歳だとか、身長は一六三センチメートルだとか、正月に家族といっしょにグアムで過ごしたときの日焼けがまだ抜けないんだ(つまりは、サーファーなんかじゃなかったんだ)とか、そういうの。だけど、いま話したいことにはあまり関係がないから、その辺りのことは端折ってしまうよ。…阪神・淡路大震災のときは、その子が住んでいた阿倍野区でもずいぶん揺れたんだという話のときには、真紀の例の〔すき焼きが食べたい〕事件もあったことだし、僕はけっこう真剣に耳を傾けたんだけどね。

 

   僕のことについては、遼子さんはその子に何も説明しなかったから、やっぱり、その部分は二人のあいだでとうにすんでいたんだと思うよ。

 

          ※

 

   なんだか変だ、と最初に感じたのは、遼子さんが「みかチャン、ボーイフレンドがほかの女の子と遊んだことが分かったんで、〔あんたとは絶好や〕と捨て台詞を残して飛び出してきたんだって。だから、いま、新しい恋人を探しているところなの」って言ったときだったよ。だって、僕を見る遼子さんの視線がみょうにねちっこかったし、それに、そういう話は遼子さんが知っているのはいいにしても、初対面の、異性(の僕なんか)にはふつうは告げないものじゃない?その子にとっては名誉のある話ではないわけだからね。…まあ、それを聞いたんで、〔わけあり〕の旅行ではないかと武井さんがしきりに言っていたのは、きっと、そんな事情をすでに聞き知っていたからだったんだろう、と想像がついたんだけどね。

 

          ※

 

   遼子さんが自分のわきに置いていた(英語の教科書なんかが入っているはずの)赤いバックパックを急に持ち上げ、「これを部屋に置きに行ってくる。二人でちょっと話してて」と言いながら立ち上がったときには、もっと変だと感じてしまったよ。…というのは、言い方がずいぶんわざとらしかったということもあったけど、だいたい、遼子さんはいつだって会話の中心にいたがる人で、ふだんはそんなふうに淡白には会話の場を離れたりはしないし、どうしてもちょっと離れなきゃならない場合には、必ず、〔話を先に進めちゃだめよ。わたし、すぐに戻ってくるんだからね〕みたいなことを言い残していくか、言い残したそうな表情を見せるからね。

 

   だから、あの状況にあれば、どんなに勘の鈍い人間でも、遼子さんはその子と僕を二人っきりにしたがっているんだってことに気づいたはずだよ。…テレビのドラマの見合いシーンでよく、食事がすんだあと、仲人が〔あとはお二人で〕みたいなことをいうじゃない。あれだ、と僕は思ったよ。

 

          ※

 

   だから、遼子さんがいなくなると(そのときを待っていたかのように)その子が急に、南カリフォルニアではあそこが見たいし、ここにも行ってみたい、僕はどこそこに行ったことがあるか、というようなことを僕に言ったりたずねたりしだしたときも、僕はあんまり驚かなかった。…そういうことを話題にするよう遼子さんに諭されていたんだろう、と思ったからね。

 

   僕の方は何も聞かせられていなかったわけど、その子の方は、ほら、〔これから横田クンという男の子を紹介してあげるからね〕みたいな話を遼子さんから聞いていて、いくらかは僕に興味を感じていたんじゃないかな。…出入り口に立っていた僕をその子が見なかったのは、僕に興味を感じてるってことを僕に悟られたくなかったからで、急にしゃべるようになったのは、僕の顔を見てもその興味が減退しなかったからだ、と考えるとうまく説明がつくような気がするけどな。

 

          ※

 

   その大阪の女の子の話は、この辺でやめておいた方がいいかもしれないな。ほんとうに話したいのはその子のことじゃないんだから。

 

   でも、いいか。やましいことがあったわけではないんだから。

 

          ※

 

   というようなことで、僕は、武井さんと遼子さんの言動がちょっと変だと感じていた。武井さんはきのう、(その意図の見当はまだつかなかったけれども)その子と僕を近づけようとしてあんな暗示めいた話しを僕にしたんじゃないか、と疑い始めていた。けれども、その子に「あの白い[ムスタング]は横田さんのですってね。あんな車があるといいな。どこにだって行けるから」と(実は大阪訛りで)ちょっと甘えるようにいわれたときでも、僕は〈遼子さんはそんなことまで話してしまっているのか〉と思っただけで、武井さんがみょうに自信を持って予言していたみたいに、その子が(僕に)〔落ちる〕気があってそんなことを言っているんじゃないか、などと(不埒なこと)は考えなかった。…だって、何てったって、その子と僕は初対面なんだからね。

 

   だから、少し会話があったあと、その子に突然、変に急いた様子で「あとで横田さんのお部屋に話しに行っていいですか」ってたずねられたときには、僕はすっかり面食らってしまって…。

 

          ※

 

   いや、面食らいはしたものの、僕は案外に冷静だったんだよ。…すぐに、〈いや、これは実にアブナイ話だな、等。用心、用心〉と自分に語りかけたぐらいに。

 

   と言ってしまうと、ちょっと嘘になってしまうかな。

 

   ほんとうのことをいうと、その子の言葉が終わりきらないうちに、真紀の顔がふわりと頭の中に浮かんできて、僕に「だめ!」って告げたんだよね。…もちろん、真紀にはその手の超能力はないわけだから、僕の中で(悪いことは何もしていないのに)良心の呵責みたいなものが(先走りして)動いただけだったんだけど、僕は〈こういう状況で登場してくるなんて、真紀はなんてすごい子なんだろうと〉と変なふうに感動したり、ちょっと怯えたりしながら、とにかく、もう一度自分に向かって〈いかん、いかん。こういう話には気をつけなければ〉といい聞かせたわけだ。

 

   だから…。そんなふうに自分にいい聞かせないと、ついふらふらと甘い返事をしてしまいそうなぐらいには、その子、きれいだったんだよね。

 

   どういうふうにきれいだったのかって?

 

   うまくはいえないけど、二重まぶたで切れ長の目が(涼しげっていうのかな、ああいうの?)すっきりしていたし、頬骨から口もとにかけてのラインが額の丸みにマッチしてすごくととのっていたよ。

 

          ※

 

   で、こういうアブナイ話にはきっと裏があるはずだ、といったん疑ってから、改めて考えてみると、その子の話は結局、僕の部屋で(どういうふうにかはともかく)いっしょに時を過ごしてやるから、自分がロサンジェルスにいるあいだは〔白いムスタング〕でいろんなところへ連れて行ってくれ、というものらしかった。…そのときの僕にはそう聞こえた。そう聞こえない?

 

          ※

 

   そりゃあ、〔白いムスタング〕を持っている人間であれば、それがだれであれ、その人間の部屋に行くってわけでもなかったろうから、その子、会ってみて、少しは僕を気に入りもしたんだろうけど、もし、ロサンジェルスを僕に案内させようという気でそういうことを言ったんだとすると…。そういうのって、よくないよね。

 

   それに、大阪で恋人に裏切られたから、いま新しい恋人を探しているところだ、という(遼子さんの)話がほんとうだったにしても、何日間か何週間かが過ぎれば、その子、大阪に帰ってしまうわけだろう?ずいぶん保守的なことをいうようだけど、やっぱり、〈あとで横田さんのお部屋に話しに行っていいですか〉なんて、無謀で大胆なことを口にするのはよくないよ。

 

   もしも、〈車で案内してくれる男の子を見つけたから、ロスではぜんぜん困らなかった〉だとか〈間に合わせのボーイフレンドをつくるの、どこでだって簡単よ〉だとか、その子があとで大阪の友人たちに自慢するときのタネが僕、なんていうのだったら、その子の意図、もっとよくないんじゃない?

 

          ※

 

   とにかく、そんなふうなことを(頭の中をちょっと混乱させながらも)瞬時のうちに考えたから、僕ははっきりと断ったよ。「僕は仕事が忙しいから、僕の車で君を案内してやる時間はないよ」ってね。

 

   気づく?

 

   そう、いま振り返ってみると、この断り方は(自分では〔はっきりと〕のつもりだったけれども)ひどい的外れな答えだったんだよね。だって、それじゃ、「お部屋に行ってもいいですか」という質問の答えになってないじゃない。そうだよね?

 

   その子が、僕が想像した(というより、むしろ、ほとんど決めつけた)とおりに〈部屋に行ってやるかわりに、この人に〔白いムスタング〕で案内させてやろう〉と考えていたんだったら、僕の答えはそれでよかったんだろうけど、そうじゃなかったんだったら、あれは、ずいぶん間が抜けたものに聞こえたはずだよ。

 

          ※

 

   でも、まあ、僕の答えはその子に通じたようだった。…かなり自信があったから、というか、(ボーイフレンドには裏切られたかもしれないけども)それまでにそんなふうに簡単に(自分の誘いが)断られたことはなかったから、というか、とにかく、その子、〔信じられない〕って表情で(少し大げさにいうと、呆然と)しばらく僕を見つめていた。

 

   いや、そのときの僕には、そんなふうに見えたんだよね。

 

   そのあと何度かロビーや廊下で行き合わせる機会があったけど、その子、僕から目をそらせてしまって…。

 

          ※

 

   二日後だったと思う。遼子さんに「あの子、サンフランシスコに移っちゃったよ」って、責めるような口調でいわれたのは。…〈そんなふうに言われたって〉とそのときは思ったけど。

 

          ※

 

   でも、おかしいね。日が経つに従って、僕はしだいに、〈あの子は〔白いムスタング〕であちこちを見物することなんか、ほんとうはどうだってよかったのかもしれないな〉〈〔白いムスタング〕の話はただ、(たぶん、少し好感を抱いた)僕と話すきっかけとして持ち出しただけだったのかもしれないな〉と考えるようになって行ったよ。

 

   じゃあ、〈あとで横田さんのお部屋に〉っていうのは?

 

   それだって、よく考えてみると、ただ〔遼子さんがそこのヌシみたいになっているロビーを避けて〕あるいは〔(何でも自分で取り仕切りたがる)遼子さんをあいだに入れずに〕という意味だったかもしれないじゃない。…その子が自分の部屋に僕を誘うのは、もっとまずいだろう?

 

   あの子があんなふうに〔急いた〕物言いをしたのも、だから、バックパックを部屋に置きに行った遼子さんがロビーに戻ってくる前に、次に(遼子さん抜きで)僕と話せるチャンスをつくっておきたかったからだったって、考えられない?つまり、その子は、彼女のことを親しげに〔みかチャン〕と呼ぶ遼子さんのことが、実は、あまり好きじゃなくて、できれば遼子さんを外して僕と話してみたいと感じたんだって?

 

   なんで〔僕と話してみたい〕とその子が思ったのかって?

 

   それは…。分からない。僕の顔を見て、好感を持ってくれたのかもしれない。ロサンジェルスの話を聞くのなら、遼子さんからじゃなくて僕からのほうが楽しそうだ、と思ってくれたのかもしれない。あるいは、遼子さんに〈だいじょうぶ。横田クンはみかチャンのこと、きっと気に入るよ〉みたいなことを言われていて、なんとなく、僕に対して心を開いていたのかもしれない。

 

           ※

 

   いや、その辺りのことはまだ遼子さんに問いただしてはいないし、そうする気もないよ。でも、僕のことをそんなふうにその子に紹介する動機みたいなものが、考えてみれば、(あとで触れるけど)遼子さんにはあったんだよね。

 

          ※

 

   (大阪の女の子が見せた〔信じられない〕って表情を頭の片隅に思い浮かべながら)その子のことを誤解していたんじゃないかと僕が思うようになったのには、実は、きっかけみたいなものがあったんだ。どういうことかというと…。

 

   その子が〔サンフランシスコに移って〕から数日経った土曜日だった。

 

   仕事を終え、それから(ホテルには戻らず)そのまま(真紀が住んでいる)リバーサイドに向かうつもりで新聞社の建物の外の歩道に出た僕の目の前に、光子さんの車(十数年前のモデルの[ホンダ・シヴィック])がとまった。降りてきた光子さんは手に写真屋の紙袋を持っていたから、前夜の取材の際に撮影し、その朝(『南加日報』には自前の設備がないものだから)リトル東京写真屋に現像・焼きつけを頼んでいた写真を取りに行って、いま戻ってきたところに違いなかった。

 

   「え、もうそんな時間?」。光子さんは言った。

 

   朝、会社に出てくるのが遅く、ふだんは(度胸がいい、というのか)あまり時間にこだわらない光子なんだけど、あのときは、退社しようとしている僕を見て、さすがに、取ってきた写真を早く(日本語欄レイアウト係の)江波さんに渡し、それを(写真製版の際にハレーションを起こさないよう)版下用写真に(縮小あるいは拡大して)撮影しなおしてもらわなければ、と思ったようだった。

 

   もっとも、僕が[ムスタング]のドアに手をかけるまで僕の動きをずっと眺めていたんだから、光子さんの〔え、もうそんな時間?〕には、実は、あまり緊張感はこもっていなかったのかもしれないけど…。

 

   光子さんは、ほとんどつぶやくように言った。「その車に、横田君、何年乗るのかしらね」

 

   僕は言われたことの意味が分からなかった。

 

   「十年間かな。それとも、もっと長く、かな」。光子さんの口調はいつになくしんみりとしていた。「ここで働いている限り、そんな新車はもう二度と買えないよ」

 

          ※

 

   光子さんは(僕のことだけじゃなく)ほかの社員のプライバシーについては(こう言ってしまうと、偏見だってどこからか抗議がありそうだけど、たぶん、あのぐらいの年齢の独身女性にはめずらしく)ほとんど興味を示さない人なんだよね。だから、あのときも、僕が学生で、九月にはアリゾナへ行ってしまう(はずだ)ってことなんか、(児島編集長から聞いていなかったのか、それとも、聞いたことがあったのに忘れてしまっていたのかは、判断がつかなかったけれども、とにかく)まるで頭にない様子だった。

 

   でも、ショックだったな、あの言葉は。

 

   まだ日本のカレンダーでいうゴールデン・ウィークが終わって間もないころで、僕は『日報』で働きつづけようかなんてぜんぜん考えていなかったから、「ご心配なく。ここで長く働くつもりはありませんから」と答えることもできたはずなんだけど…。

 

          ※

 

   ポモナ・フリーウェイに乗り、車を東に向かって走らせ始めたころには、僕はすっかり考え込んでしまっていたよ。〈そうなんだよな。ロサンジェルス日系人と日本人コミュニティーの日本語新聞社で働くというのは、現実にはそういうことなんだよな〉ってね。

 

   あんな給料じゃ、たしかに、新車なんかとても買えないもんね。一度買った中古車を光子さんや辻本さん、江波さん、前川さん、田淵さんたちみたいに、ほとんどつぶれそうになるまで乗りつづけるしかないもんね。

 

   いったんそう思ってから、自分が運転している車を見ると…。

 

   〈この〔白いムスタング〕は何なんだろう〉って思っちゃったよ。

 

   この日記をつけ始めた日に言ったように、僕はこの車を自分の宝物のように思っていた。…いや、そう思って大事にしていたのはいいんだよ。そうだよね?

 

   だけど、その宝物には、どうも、何かが欠けているようだった。

 

   僕の〔白いムスタング〕は、僕が使っているのに、僕のものじゃなかった。…光子さんの[ホンダ・シヴィック]や辻本さんの[フォード・エスコート]、江波さんの[トヨタターセル]、前川さんの[フォルクスワーゲン・ビートル]、田淵さんの[GMキャバリア]などと違って、僕の車にはほんとうの暮らしの匂いがしていなかった。

 

   そう考えてから、今度は自分に目を向けてみると…。

 

   僕自身にも、光子さんや江波さんたちがどことなく漂わせている、なんというか、人生の陰影みたいなものが、やっぱり欠けていた。

 

   〈学生が親に買ってもらった自動車なんだから、そんな匂いがしないのは当然だ〉とか、〈若いんだから、人生の経験が浅いんだから、そんな陰影みたいなもの、欠けているのは当たり前だ〉とかいうふうには、あのときの僕は、なぜか考えなかった。

 

   光子さんの言葉に僕はそれぐらいショックを受けていたんだね。

 

          ※

 

   僕はふと、あの大阪の子の目にはこの[ムスタング]はどう写っていたんだろうって考えたよ。

 

   それから、僕は、ひどく恥ずかしくなってしまった。

 

   だって、あの子の〔横田さんのお部屋に…〕って話に、僕はいきなり〔僕の車で君を案内してやる時間はない〕って答えたんだよ。…あの子の口から〔白いムスタング〕の話が出た直後だったからそう答えてしまったんだけど、あの子に、僕に〔案内させよう〕という気がなかったんだったら、あれは、ただ〔的外れ〕というだけじゃなく、あの子にしてみれば〔あんた、何様のつもり?〕というぐらいに不快な返事だったかもしれないよ。違う?

 

   その僕の返事で僕はあの子の目には、〔親に買ってもらったというだけのことなのに、自分が乗っている車をやたら勿体つけて考えている、変にいやらしいもののいい方をする、中身が薄っぺらな人間だ〕ってふうに見えたんじゃないかな。あの子が僕の返事を聞いて〔信じられない〕って表情を見せたのは、〔それまでそんなふうに簡単に断られたことがなかった〕からショックを受けて、なんかじゃなく、〔ほんの数分のことだったにしても、こんな人間と話してみたいと思った自分がなさけない〕みたいな気持ちになったからじゃないかな。

 

          ※

 

   いや、あの子に僕がどう見えていたか、あの子が僕のことをどう受け取ったかは、結局は分からないんだよ。確かめようはないんだよ。やっぱり、僕を利用してやろうと考えていたのかもしれないんだよ。そんな女の子、いくらでもいるらしいから。だけど…。

 

          ※

 

   あの子、いま、どこでどうしてるかなって、ときどき思うことがあるよ。…だって、ほら、僕にちょっと、ものの見方、考え方みたいなものを勉強させてくれた子だから。

 

          ※

 

   光子さんは僕にとっては、どちらかといと、影の薄い人なんだけど、あの〔ここで働いている限り、そんな新車はもう二度と買えないよ〕のひと言で、たぶん、僕の頭から一生消えない人になったはずだよ。…目を開かせられる、というのかな、ああいうの?

 

   そのあとなんだよね、光子さんが言った〔ここ〕がどんなところかを(特にその歴史について)おいおい調べてみようと僕が思ったのは。

 

          ※

 

   と長々としゃべってきて、やっと本題。…というか、僕が触れておきたかったこと。

 

          ※

 

   いま振り返ってみると、大阪の子の一件は、やっぱり、遼子さんが(たぶん、武井さんを誘い込んで)意図的に仕掛けた、というのが大げさなら、膳立てした話だった、という気がするよ。僕のことを便利だと考えてか、よさそうな人間だと考えてかはともかく、あの子が、僕と〔ロサンジェルスにいるあいだだけでもつきあってみよう〕って気にならないとは限らないから、とにかく、二人が話すきっかけを一度つくってみよう、という具合にね。

 

   遼子さんが〔白いムスタング〕まで持ち出してまで、大阪の子に僕への興味を植えつけようとした(らしい)のに応じて、武井さんは〔僕には落ちなくても、だれかに落ちる〕なんて力説して、僕をその気にさせよう、というか、けしかけようとしたんだって、考えられない?

 

   遼子さんが〔意図的に仕掛けた〕のではないかと僕が疑うのは…。

 

          ※

 

   真紀はこのホテルに一度だけ来たことがあるって、前に言ったよね。

 

   あのとき、真紀は遼子さんにも武井さんにも会っているんだ。会っているんだけど、二人(のうちの特に、遼子さん)にいい印象を与えなかったみたいなんだよね。二人の目には、真紀がうちとけにくい高慢な女だと写ったらしいんだよね。僕がそんな子をガールフレンドにしているのが、二人にはおもしろくなかったようなんだよね。

 

   というのも、あのときの真紀はひどく緊張していて、僕が何かを話しかけても、あまり返事をしなかったし、(ふだんだったらそんなことは起こりえないのに)遼子さんと武井さんにもきちんとしたあいさつをしなかった、どころか、しきりにホテルを出てどこかよそへ行きたがっていたからね。

 

   〈カリフォルニアに着くとリバーサイドに直行して、そのまま大学の近所に住みついた(自分ではけっして長距離運転をしない)真紀にとっては、ロサンジェルスダウンタウンはまだ異国の都市みたいなものだろうし、まして、リトル東京周辺の、あまり環境がいいとはいえない場所にある古くて小さなホテルとなると、いささか居心地が悪いのも無理はないかな〉と僕は思っていたんだけど、遼子さん(と武井さん)はそうは受け取らなかった。…というよりは、はっきりいうと、少しばかにされたように感じたらしいんだ。

 

          ※

 

   真紀はよせ、と直接遼子さんにいわれたことはないよ。でも、大阪の子の件では、やっぱり、僕と真紀の関係なんか壊れちゃってもいいんだ、あるいは、むしろ壊れちゃった方がいいんだ、みたいな思いがあの人にはあったんじゃないかって気がするよ。

 

   良くいえば、遼子さんはたぶん、他人(ここでは僕)への好意をそんなふうに表現してしまう人なんだよね。…その他人がどう感じるかなんてことにはかまわず、自分が〔この人のためになる〕と信じたことをそのままやってしまう、みたいなね。

 

   遼子さんには、(中国人のチェンさんが言った)〔こんなところ〕に短期間だったにしろ一人で飛び込んできた大阪の子の方が真紀よりはうんと可愛く見えたんだよね、きっと。

 

          ※

 

   困っちゃうね、こういうの。

 

   だって、日ごろ仲良く暮らしている遼子さんや武井さんたちには、僕のガールフレンドのことを良く思ってもらいたいし、一方、ガールフレンドにも、僕が大事に思っている人たちのことを好きになってもらいたいじゃない。

 

   何もかもってわけにはいかないにしても、遼子さんたちには、真紀が育ってきた環境なんかに理解を示してもらいたいし、真紀には、選んで〔こんなところ〕で暮らしている人たちの生き方を理解してもらいたいじゃない。…〔長くても九月まで〕と思っているのだとしても、僕が〔こんなところ〕に住んでいることについて批判や不平、非難めいたことをいわない真紀には、それができると思うんだけどな。

 

          ※

 

   それにしても、僕と真紀とを遠ざけようと陰で動いたかもしれない遼子さんと武井さんのことを僕が悪く思わないのは、なぜなんだろうね。

 

   遼子さんたちの僕への好意の示し方はすごく生々しくて、自分の気持ちを抑えながら辛抱強く、僕をできるだけ遠くから見つめようとしてきた僕の父や母のやり方とはまるで違っている、ということだけは分かっているんだけど…。

 

   

 

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(ストーリー中の人物、企業、団体などはすべて創作されたものです)

 

*参考著書*

 

アメリカの日本語新聞」田村紀雄(新潮選書)

 

「藤井整の言論活動 - 『加州毎日』創刊から日米開戦まで」関宏人(慶応大学卒業論文