横田等のロサンジェルス・ダイアリー =最終(13)回=

 

*** 8月28日 月曜日 ***



  この日記をつけるのはきょうが最後になるはずだ。

 

          ※

 

   昨夜は十二時近くになってから電話をかけて、真紀を少し驚かせてしまった。…突然かけるにしても、それまでは、よほどのことがない限りは、(ほら、木曜日の習慣にならって)夜八時ごろを選んでいたし、遅くなっても十時からあとになったことはなかったからね。

 

          ※

 

   真紀は、だけど、僕の電話を喜んでくれたんだよ。「何をしてた?」って僕の問いへの答えが少しいたずらっぽい口調だったから、分かるんだ。「わたし?えーとね、わたしね、ほんと言うとね…」

 

   「ほんと言うと?」

 

   「ほんと言うと…。トム・クルーズの[ザ・ファーム]をビデオで見てたの」

 

   「またトム・クルーズ?」

 

   「そう。それも今夜二回目」

 

   「二回目…」

 

   「妬ける?」

 

   「まあね。…独りで?」

 

   「ばかね」。真紀は笑った。幸せそうな笑いだったよ。「ほかにだれがいるっていうの?こんな時間に?」

 

   「ちょっときいてみただけ」

 

   「でも、そろそろベッドに入ろうかなって考えていたところなの」

 

   「長いじゃまはしないよ」

 

   「いいのよ、わたしの方は。…でも、等さんはあしたの朝も早く起きなきゃいけないのよね」。真紀の声はすごく優しかった。「まだお仕事?…書いておくように言われていた原稿がうまく書けないの?」

 

   「いや、そっちの方はかたづいたのも同然だから…」

 

   次の[海流]には、移民局による不法就労者の取り締まりのことを(〔どうしても外国語を使わなければならない職業については永住権の許可条件をゆるやかにするべきではないか〕という視点で)書こうと決めていたし、(武井さんのおかげで、というとまずいかもしれないけれど)材料も豊富に集まっていたわけだから、まるっきりのでたらめを答えたわけじゃないんだよ。

 

   「そんなことより」と僕はつづけた。「今度の週末は、いっしょにサンタモニカの海を見に行かない?」

 

   「サンタモニカ?」

 

   「そう。そこまで僕が迎えに行くからさ」

 

   「行ってもいいわよ。でも、あそこは前にも行ったじゃない」

 

   「それはそうだけど…。だったら、サンタモニカでなくてもいい。…ね、ちょっと遠出になるけど、サンタバーバラのビーチはどう?」

 

   「どうしてもビーチなのね?」

 

   「ああ、真紀といっしょに海が見たいんだ」

 

   「あ、分かった。アリゾナに行ってしまうと、しばらくは海が見られないからね。いいわ。行きましょう。迎えに来て」

 

   そういうわけじゃない、とはいわなかった。〔僕が君と二人で海を見たくなったのは、ほんとうは…〕という説明は、サンタモニカでもサンタバーバラでもいい、とにかくビーチで海を眺めながらしたかったんだ。

 

   秀人君、武井さん、柴田さん、遼子さんのこと、日曜日に起こったことを全部話すには、ずいぶん時間がかかりそうだったな。

 

          ※

 

   けさ、九時ごろ出社してきた児島編集長に、『日報』を九月九日でやめさせてもらうって伝えたよ。

 

   編集長は「ボクが予想していたのよりは一週間早いが…。そうか、やめるか」と言っただけで、すぐにまた『USAトゥデイ』に視線を戻してしまった。

 

   それだけだったけど、その〔一週間早いが〕で、編集長が残念がってくれていることが分かったような気がして、嬉しかったよ。

 

          ※

 

   編集長と僕のその会話を聞いていた辻本さんは、寺院や教会、コミュニティー団体などから届いていた手紙を整理していた手を休め、首を少し傾けながら僕を見つめると、こう言ってくれた。「いや、半年間、ご苦労さまでした。ありがとうございました」

 

   戦後間もないころからずっと『日報』で働いてきて、この新聞の浮き沈みを残さず見てきた人にかけてもらったこの慰労の言葉は、僕、生涯忘れないよ。

 

          ※

 

   十時ごろ出てきた光子さんの反応は(ここでも関心の置き場がほかの人たちとは少し違っていて)いかにもあの人らしいものだったよ。「あの[ムスタング]は向こうでも大事にしなさいよ」

 

   「そうします」と応えた声があまりにすっきりしていたんで、僕は、自分で驚いてしまった。 

 

          ※

 

   江波さんにはランチタイムに告げた。作業台の上に数枚重ねて置いてあったレイアウト用台紙の下から例の〔編集員募集〕の広告版下を取り出しながら、あの人は言った。「いや、ちょうどいま、きょうは忘れずに出さなきゃ、と思っていたところだったよ」

 

   〈なんだ。土曜日に出さなかったのは、僕を去らせたくなくて江波さんがあえて出さなかった、というんじゃなくて、ただ忘れていたからだったのか〉と、少し拍子抜けしたような気持ちにならないでもなかったけども、〈変に引きとめられるよりはましだ〉と自分にいい聞かせて、僕はその場を離れた。

 

   いや、いまは、僕がやめていくことを江波さんは、あんなふうに事務的に受けとめるしかなかったんだろうな、と思っているんだけどね。

 

          ※

 

   (英語欄レイアウト係の)前川さんは「向こうで勉強についていけなくなったら、戻っておいで。みなで歓迎してやるよ」と言ってくれた。いつものように皮肉ですませるつもりだったのに、思わず優しい口調になってしまった、という感じだったな、あれは。

 

          ※

 

   (植字工上がりの)タイピストの田淵さん、(心臓がじょうぶじゃない)克子さん、(無給で働いている)伊那さん、(給料支払いの遅れをだれよりも腹立たしく感じてしまう)井上さんたちは、みな、すごく残念がってくれた。…井上さんが「いい人に限って、ここで働くの、短いんですよね」と言ったのに応えて、田淵さんが「そうだね」と合槌を打ってくれたときには、やっぱり、ほめてもらったんだろうから、ほんとうは、僕はもっと嬉しがるべきだったんだろうけど、ふと、〈こんな条件だからな〉だとか〈過去には〔悪い人〕が紛れ込んできたこともあるんだろうな〉なんて考えてしまって、うまく笑顔をつくることができなかったよ。

 

          ※

 

   写植係の相野さんは、僕の手を握りながら、僕がその午後にもいなくなってしまいでもするかのような口調で、こう言ってくれた。「こっちに遊びにくるようなことがあったら、顔を出すんだよ」

 

          ※

 

   経理のグレイスさんは事務的に、僕にフィニックスのアドレスをたずねた。…住まいは、九月中旬に向こうに行ってから探すのだから、最後の給料小切手の送り先はリバーサイドの真紀のところにしてもらったよ。

 

          ※

 

   イマムラ社長の反応は「いいね、若い人は、好きなことができるから」というものだった。…僕はつい、〈ジャネットさんに逆らいきれずに『日報』を継がせられたことを社長はいまでも恨んでいるんだろうか〉と疑ってしまったけど、あれは僕の単なる勘繰りだったかもしれない。

 

          ※

 

   この六か月間ほとんど話したことがなかった(英語欄の編集員として社長を助けている)デイブ・イワタニさんには「MBAを取ったあとはどうするつもり?アメリカで働くの?」とたずねられた。〔まずそれを取ることが第一ですから、まだ…〕という僕の答えが終わる前にデイブさんは言った。「ふらふらしない方がいいよ。若いときというのは案外短いものだから」

 

          ※

 

   新聞発送係のスギ老人には、最後の日にでもあいさつするつもりだ。

 

   まだ二週間あるから、ジャネットさんに会うチャンスもあると思うよ。週に一度か二度はいまでも顔を出す人だから。

 

          ※

 

   夕方、辻本さんはとうに食事に出かけていた。

 

   会社を出ようとしていた僕の背に、突然、編集長が声をかけてきた。「今週は永住権のことを書くからいいとしてだな…。横田君、最後の週も[海流]は書くんだぞ」

 

   怒っているような声だったのは、僕がやめていくことへの、なんというか、そう、感傷をね、隠すためだったんじゃないかな。…そんな気がするよ。

 

   僕は振り返ってから、こう応えた。「え、最後の週もですか」

 

   編集長の隣の席で、あすに備えて原稿を書いていた光子さんが(たぶん、〔あ、この二人、また始めた〕と思いながら)顔を上げ、僕に向かってちょっとほほ笑んだ。

 

   「当たり前だろう?」。編集長は顔をしかめて見せた。「どうも、君は、あれだな、横田君。天邪鬼というのか、ボクが黙っていることについては進んでちゃんと仕事をするのに、こうしろ、こうしてほしいというと、決まってぐずぐず不平をいう。…いかんよ、そういう態度は」

 

   〈そうそう、その調子ですよ、編集長。感傷的になるの、編集長はぜんぜん似合わないんですから〉。そう思いながら僕は言った。「今後、気をつけます」

 

   「あ」と編集長は言った。「それもいかんぞ、横田君。もうすぐ去るからといって急にすなおになるというのも、気持ちが悪いぞ」

 

   「そういうのって、編集長、いわゆる〔難癖〕ってやつじゃないんですか」

 

   机の上の原稿用紙に視線を下ろしたままの光子さんの肩が震えていたよ。…懸命に笑いをこらえていたんじゃないかな。

 

   「教育だよ、これは」。椅子の背もたれの方にそっくり返りながら編集長は言った。「親切心で注意してやっているんだ」

 

   「それはどうも…」

 

   「だったら、最後の週も、いいね?」

 

   「分かりました」。僕は精一杯に明るい声をつくって答えた。「とにかく一本書かせてもらいます」

 

   「それでいいんだ、横田君」。編集長は(今度はなぜか〔気持ちが悪いぞ〕とは言わずに)例の〔お人好しのおじさん顔〕になっていた。「なにしろ、最後だからな。これまでここで学んできたことをネタにして、この半年間を集大成するような、しかもぴりっとした、そうだな、『南加日報』に横田等という人間がいたということをコミュニティーがいつまでも覚えているような、りっぱなエッセイを書くんだぞ」

 

          ※

 

   〈ああ、そうか。僕を背後から呼びとめてまで〔最後の週も[海流]を書け〕と編集長が言ったのは、そういう意味だったのか〉と考えながら、僕は編集長に応えた。「そうですね。ロサンジェルスに住む日系人と日本人のこと、これだけたくさん勉強させてもらったんですからね。ネタはたくさんあるはずですからね。一本や二本じゃ書ききれないほどたくさん…」

 

   今度は僕の声が感傷的になっていたよ。

 

   だけど、そのことに編集長が気づいたかどうかは、分からなかったな。

 

   だって、あの人、酒瓶を取り出すつもりだったのか、机の下に深々と頭を突っ込んでしまったきり、そのまま、僕が出口の方に向きを変えるまで顔を上げなかったから。

 

          ※

 

   僕がふと、〈編集長の席の後ろの、あのスチール製の黒いキャビネットの扉は結局一度も開けなかったな。開けることも、もうないんだな〉と思ったのは、建物の外に出てからだった。

 

横田等のロサンジェルス・ダイアリー =12=

*** 8月27日 日曜日 ***



   何と言ったらいいのか…。

 

   きょうは、思いもかけない一日になってしまった。

 

          ※

 

   夕方、すうっと、僕の気持ちが固まってしまったんだ。

 

          ※

 

   いや、けさも、このところいつもそうであるように、ちゃんと目が覚めきらないうちから、『日報』に残るかフィニックス(の大学院)にいくかを早く決断しなければという思いにとらえたれてはいたんだよ。

 

   というより…。そもそも、この週末は、どうするかをじっくり一人で考えようというんで、真紀のところには行かなかったわけじゃない?もともと、結論を出したかったわけじゃない?

 

   だけども、まさか、夕方、あんなふうに、あんなに急に…。

 

          ※

 

   僕が共同バスルームでシャワーを浴びたあと部屋に戻ってきたのをどこからか見てでもいたかのような絶妙のタイミングで遼子さんから電話がかかってきたのは、午前十時を十五分ほどすぎたころだった。

 

   それが始まりだった。

 

          ※    

 

   「オ・ハ・ヨ。リバーサイドにはやっぱり行かなかったのね、横田クン」

 

   書きあげておかなきゃならない原稿があるから、この週末はリバーサイドには行かないって、遼子さんにもきのう話していたんだよね。

 

   「ええ」。電話を歓迎するべきかどうかを迷いながらの、小声の返事だった。…(いつものように暇を持て余しているらしい)遼子さんにつきあっていくらか時間を過ごしてもいいという覚悟がすぐにはできなかったんだ。

 

   「きっと、淋しがってるね、あの子」

 

   皮肉みたいなものは含まれていなかったと思うよ。でも、遼子さんの言い方は、心から真紀に同情しているって感じではなかったな。…何と言ったって、遼子さんは、少なくとも一時は、真紀のことが好きになれず、例の大阪の女子学生を僕に押しつけようとした、というのがいいすぎなら、その子を僕に紹介することで、事実上、真紀をガールフレンドにしておくのはやめた方がいいんじゃないかと僕に迫った(のではないかと僕が疑っている)人だもんね。

 

   濡れた髪をバスタオルでふきながら僕は言った。「僕の仕事のこと、あの子、わりと理解してくれているし、それに…」

 

   「ね、何してる?」。遼子さんは僕の言葉をさえぎって、そうたずねてきた。…真紀のことを長く話すつもりは、やっぱり、初めからなかったんだろうね。

 

   「ついさっき起き出したところですから…」

 

   「じゃ、ちょうどいいわね。下りてらっしゃいよ。たったいま、新しいコーヒーがはいったところ」。ホテルがロビーで客に無料でふるまっているコーヒーのことだ。「お話しましょ。…めったにない、日曜の朝の、モーニングトーク

 

   何が〔ちょうどいい〕のかがよく分からなかったし、意味ありげにつけ加えられた〔日曜の朝の、モーニングトーク〕に警戒心を抱かないでもなかったけれども、僕は(遼子さんに声をかけられた際の習性なのか、結局はすなおに)「いま行きます」と返事をした。

 

          ※

 

   ロビーにいたのは遼子さん一人だけだった。…たしかに、コーヒーの新鮮な香りがただよっていたよ。

 

   遼子さんは目を輝かせていた。

 

   「さっき(マネジャーの)テッドさんに聞いたんだけどさ、横田クン」。スタイロフォームカップについだコーヒーを僕の方に差し出しながら、遼子さんはそう切り出した。わきあがってくる好奇心をなんとか抑えようとしているのだけども抑えきれないって、そんな表情だったな。「武井クン、昨夜は帰ってこなかったんだって!」

 

   武井さんというのは、ほら、日本からやってくる観光客を相手にガイドをやっている人だ。

 

   遼子さんは言った。「いままで一度もなかったのよ、こんなこと」

 

   その思わせぶりな口調から、遼子さんが何を考えているかをいい当てるのは難しくないはずだった。

 

   「そうなんですか」。僕はできるだけ関心がなさそうにそう応えた。…遼子さんがそんなふうに一人で何かに気を昂ぶらせているときに(あの人にブレーキをかけようというので)柴田さんや武井さんがよくやるのをまねて。

 

          ※

 

   でも、僕の無関心に出遭ったぐらいでは、遼子さんはくじけなかった。「ねえ、ガールフレンドができた、みたいなこと、武井クン、最近言ってなかった?」

 

   想像したとおりだったよ。遼子さんはやっぱり、武井さんが昨夜帰ってこなかった原因を女性関係に結びつけて考えていたんだ。

 

   僕は(ここでも、できるだけ)さりげなく答えた。「聞いていませんよ」。いや、実際に、聞いていなかったんだよ。

 

   遼子さんはちょっとがっかりしたみたいだった。「ついさっき、〈オレ、買い物があるから〉って出て行った柴田さんも〈聞いていないよ、そんなこと〉って言っていたけど…」

 

   遼子さんの〔がっかり〕に追い討ちをかけるのはちょっと悪いかな、と感じないでもなかったけど、(遼子さんに興奮を冷ませてもらいたかったから)僕はあえてこう言った。「柴田さんがそういうんじゃ、やっぱり、そんな女の人はいないんじゃないですか、武井さんには」

 

   遼子さんにはその言葉がおもしろくないようだった。「だって、ガイハク、初めてなのよ、武井クン」。その声は、気迫みたいなものが感じられる、力のこもったものだったよ。

 

   「男の友達のところに泊まるってことだってあるでしょう?」

 

   「いままで一度もなかったのに?」。遼子さんは退かなかった。「それに、武井クン、マージャンもしないのよ」

 

   いささか唐突に〔マージャン〕が飛び出してきたのは、遼子さん自身が好きで、何度か武井さんに教えようとしたことがあるのに、そのたびに断られていたからだったと思う。

 

   「武井さんにも、やっぱり…」。僕は、自分が外泊を咎められているような、おかしな気分になりかけていたよ。「〔いろいろ〕あるんじゃないですか?」

 

          ※

 

   変だね。そう口にしてからだったんだよ、僕が〈武井さん、まさか交通事故にでも遭ったんじゃないだろうな〉って心配し始めたのは。…もっとも、すぐに、〈もしそんなことになっているんだったら、これまでにどこかから連絡がきているはずだ〉と自分にいい聞かせて、とりあえず、不吉なことは考えないことにしたんだけど。

 

   遼子さんの話の枠にそれぐらいすっかりはまり込んでいたんだね。

 

   遼子さんは数秒間、口を開かなかった。僕が言った〔いろいろ〕にはどんなことが含まれるんだろうか、ほかにはどんな原因があるんだろうか、などと考えていたんじゃないかな。

 

          ※

 

   「あ、そうか」。遼子さんの目に輝きが戻っていたよ。「ね、横田クン。旅行中の日本人の若い女の子たちの中には、ほら、アッチの方に積極的なのがけっこういるっていうじゃない?武井クン、もしかしたら、そんなのに引っかかったのかな」

 

   遼子さんはあくまでも〔武井クンの初めてのガイハクの裏には女あり〕みたいな自分の憶測に執着しつづけていたのだった。

 

   遼子さんに気を静めてもらうためだったら、あそこは〈それはないんじゃないですか。武井さんはソッチの方には固い人のようですから〉とでも応えるべきだったんだろうけど、僕はなぜかこう反論してしまったよ。「武井さんの方から引っかけたってことも、あるかもしれませんよ」

 

   それじゃ、〈火に油をそそぐ〉ようなものじゃないかって?

 

   そうだよね。

 

   だけど、あのときの僕はなんとなく、見ず知らずの女の子を一方的に〔武井さんを引っかけた〕悪者みたいに仕立て上げるのは公平じゃないって感じてしまったんだ。

 

   いや、〔なぜか〕とか〔なんとなく〕とかいうのは正直ないい方じゃないな。…というのは、僕はその〔見ず知らずの女の子〕の姿を、ぼんやりと、ほら、あの〔みかチャン〕と呼ばれていた大阪の子と重ねて思い浮かべていたからね。

 

   もちろん、あの子が〔アッチの方に積極的〕だったと言ってるんじゃないんだよ。そうじゃなくて、あの子のことを思い返すと、〔女の子の方から引っかける〕みたいな話には、つい拒絶反応が出てしまって…。その〔見ず知らずの女の子〕の名誉を守ってやらなきゃと思ってしまって…。

 

          ※

 

   そんな僕の思いを知らない遼子さんは、右手を口に運びながら言った。「あ、いやらしい」

 

   だけど、遼子さんのそのいい方では、〔いやらしい〕のは(武井さんの方からだれかを誘ったとしての話だけど)武井さんなのか、そんな可能性を口にした僕なのかは、はっきりしていなかった。…最初に〔そんなのに引っかかったのかな〕と言った遼子さんが一番〔いやらしい〕んじゃないかと、僕には思えるんだけど。

 

   そういえば…。遼子さんは、かなりあからさまな言葉で柴田さん(が結婚したことがないこと)をからかったことがあるんだよね。覚えてる?あの人、そういう話題を楽しめる、というか、そういう話題が好きな人なんだろうね、きっと。

 

          ※

 

   なんてことを考えているとき、二十歳ぐらいに見える男の子が三人、のっそりって感じで、ロビーに入ってきた。…みんな初めて見る顔だったよ。

 

   僕は〈あ、助かった〉と思った。

 

   だって、そんなふうに邪魔が入るようなことでもなかったら、僕は遼子さんと(根拠がどこにもない、だから、結論なんて出るわけがない)その〔いやらしい〕話をしばらくつづけなきゃならないことになりそうだったから。…遼子さんの目は、僕がそう感じたぐらい、生き生き、ぎらぎらしていたんだ。

 

   遼子さんは三人に話しかけた。「あら、あなたたち、まだぐずぐずしていたの?」。その子たちとはとっくに知り合っていたんだね、遼子さんは。「行動を早めに、迅速にしないと、見たいとこ、全部は見られないわよ。短期の旅行なんだから、あなたたちのは」

 

   この辺りのいい方は、〔ロサンジェルスにやってくる前、自分は(新宿西口の高層ビルの中にある会社で)ベテランОLだった〕という遼子さん自身のいい立てが嘘ではなかったことをよく示していたんじゃないかな。…当人たちも自覚していたはずの〔ぐずぐず〕を責め立て、見たいところが〔見られない〕と脅し、〔あなたたちのは短期旅行〕だと相手の弱点あるいは劣等感を突っつき、結果として、自分を上の位置に持っていく、というテクニックは(遼子さんが職場でも使っていたとすれば)新入り女子社員たちを相手に、(それで好かれたとは思いにくいけれども)かなり効果的だったろうって気がしない?

 

          ※

 

   という具合に僕は考えたけど、三人の男の子は別に〔見下された〕と感じているふうではなかった。…中の一人が、ホテルの長期滞在者である遼子さんに敬意を表するような口調ですなおに、「ええ、そうなんですけどね。みんなそろって、寝坊しちゃいました」と応えたし、ほかの二人もにこやかにそれを見ていたからね。

 

   僕は、いまだ、とばかりに、遼子さんに言った。「上にまだ、少し仕事が残っていますから」

 

   もちろん、僕も武井さんのことをいくらか心配しだしていたんだよ。だけど、遼子さんと僕があんな調子でどれだけ長いあいだ何かを想像し合ったって、あの人が帰ってこなかった理由は、やっぱり、はっきりしなかっただろう?

 

   「そうだったわね」。新しい話し相手が見つかったからか、遼子さんは思いのほかあっさりと、僕を解放してくれたよ。

 

          ※

 

   ところで、〔行動を早めに、迅速に〕しなきゃならなかったはずのあの三人は、あれからどれぐらい遼子さんの相手をさせられたのかな。…遼子さんは、自分がここで引きとめてしまえば、〔見たいとこ〕を見る時間を三人から奪ってしまうことになる、それでは、自分が少し前に言ったことと自分のやっていることが矛盾してしまう、というふうにはあまり考えない人だから、けっこう長くなったんじゃないかな。

 

   でも、たまたま泊まったロサンジェルスの宿でああいう女性から話を聞くのって、旅行ガイドブックに載っている観光名所をいくつか見るよりは勉強になるかもしれないよ。

 

   いや、自分が早く解放されたからそういうんじゃないんだよ。ほんとうにそう思っているんだよ。…だって、そこで生きている人間を知らなきゃ、その世界を知ったことには、やっぱり、ならないんじゃない?   英語学校で過ごす時間を除けば、ほとんど〔エスメラルド・ホテル日本人会〕という小さな枠の中だけで暮らしている人だけど、遼子さんも(柴田さんや武井さん、秀人君とおなじように)ロサンジェルスで生きている人間の一人なんだから。

 

          ※

 

   僕は、まだ半分ほどコーヒーが残っていたスタイロフォームカップを手に、二階の自分の部屋に戻った。

 

   まずはワープロの前に座って、木曜日の[海流]に何を書くかを考えることにしたよ。原稿書きがあるからこの週末はリバーサイドには行けないって真紀に伝えていたことがまったくの嘘になってしまっては嫌だな、という思いもあって。

 

   でも、アイディアはまったく浮かんでこなかった。…睡眠不足ぎみの頭の働きが少しはよくなりはしないかとコーヒーを飲み干してみたけれども、効果はなかった。

 

   武井さんのことが気になってもいたし…。

 

          ※

 

   柴田さんが僕の部屋にやってきたのは、僕がベッドの上での短いうたた寝から覚めてから間もない正午少し過ぎだった。

 

   〔武井さんのことが気になっていた〕という一方で〔うたた寝〕をしていた、というのは、誠意に欠けるようだけど、ほら、ベッドに横たわってあれこれ考えているうちに、ふらふらと…。

 

   柴田さんは一人だった。…あの人が外から戻ってきたとき、遼子さんは(自分の部屋で昼食を取ってでもいたのか)たまたまロビーにはいなかったんだろうね。

 

   その柴田さんの第一声はこうだった。「おかしなことになってきたぞ、横田君」

 

          ※

 

   「武井さんのことで何か分かったんですか」。僕はたずねた。

 

   「君も聞いたんだな、彼の〔外泊〕のこと?遼子から?」

 

   「ええ、ロビーで、二時間ほど前に」

 

   「そうか。それは手間がかからなくていい。いや、分かった、というわけじゃないんだよ。だけど、ちょっと気になる話を耳にしたものだからね」

 

   「どんな話なんですか」

 

   「それだけどね、横田君」。柴田さんは窓際の椅子に腰を下ろすと、ひと息入れた。その息の入れ方から、柴田さんがいくらか興奮していることが知れたよ。

 

   「買い物に出かけられたと遼子さんから聞いたんですけど…」

 

   「遼子にはそう言ったけど…。実は、[旭屋書店]に避難していたんだ」

 

   「避難、ですか」

 

   柴田さんは苦笑しながら、大きく一度うなずいた。「けさ、ロビーで新聞を読んでいたら、武井君のことで、遼子がなんだかんだと、つまらないことを話しかけてくるからさ、めんどう臭くなっちゃって…。だいたい、あの〔せんさく好き〕が遼子の最大の欠点だな。若くもないのにやたら〔おしゃべり〕なのもかわいくないけど、他人のことに好奇心を持ちすぎるのが一番いかんよね」

 

   僕は黙って聞いていたよ。…やっぱり、柴田さんは遼子さんが好きなんだなって感じながら。

 

   なぜって、ほら、好きか嫌いかのどちらかじゃなかったら、だれかのことを(表立って)そんなふうには批判しないもんじゃない?もちろん、嫌いじゃないんだってことは、口調とかそぶりとかから分かるし…。好きだから〔最大の欠点〕は見たくない、見たくないから批判するって、ありそうなことじゃないかな。

 

   こういうときには、間を取る道具として、テーブルの上にコーヒーでもあるといいのに、と思いながら、僕は視線を窓の外(つまり、隣の倉庫のレンガ壁)に向けた。…柴田さんの本心を盗み見したみたいで、変に気が引けてしまって、ちょっと視線を合わせたくなかったから。

 

          ※

 

   その僕の顔に〈武井さんの話はどうなっちゃったんですか〉とでも書いてあったのかな。柴田さんはちょっとうろたえながら言った。「まあ、遼子のことなんか、どうでもいいんだけどさ」

 

   取りつくろうように僕はたずねた。「その[旭屋]で何か?」

 

   「そうなんだ」。柴田さんはたちまち威厳を回復した。「月刊誌のページをぱらぱらめくっていたときだったけどさ、オレの右隣に立っていた男がその右隣の連れの男に急にこう話しかけたんだ。〈きのう、ロサンジェルス空港で捕り物があったんだってね〉。…テレビや映画の時代劇ででもなければ、ふつうは〔捕り物〕なんて言葉は使わないからさ、オレ、なんとなく耳をそばだててしまったよ」

 

   僕はふと、柴田さんの右隣に立っていた男というのは(NHKの大河ドラマが好きな)江波さんで、その連れというのは前川さんだったかもしれない、と思った。…いや、そんな偶然は、あの二人がいくらよく本屋で立ち読みをすると言ったって、あまりありそうなことじゃなかったんだろうけど。

 

   「オレは最初」と柴田さんはつづけた。「税関で麻薬のディーラーでも捕まったのかと思いながら聞いていたんだけど、そうじゃないようだった。話しかけられた方の男が 〈ラジオのニュースで聞きましたよ。三人捕まったんですってね。ちゃんと仕事をしてるんだってところを納税者に見せたかったからでしょうね、人目につきやすい空港の〔国際線出迎えロビー〕なんかをターゲットに選んだのは?〉と言ったからね」

 

   「その〔捕り物〕って…」。僕は背筋に冷たいものを感じていたよ。だって、空港の〔国際線出迎えロビー〕というのは、日本から到着した団体旅行客をピックアップする、武井さんの、言ってみれば、毎日の仕事場なんだから。

 

          ※

 

   柴田さんは(僕には直接応えず)話をつづけた。「オレの隣の男がこうたずねたよ。〈捕まったのは日本人二人とタイワニーズ一人だったんだって?〉。もう一人が答えた。〈そうらしいですね。三人とも不法就労していたガイドだったんですって〉。…ああ、横田君、その〔捕り物〕の主役は麻薬捜査局ではなくて、移民局だったんだ」

 

   「武井さんが捕まっちゃったんですか」。胸の鼓動が速くなっていたよ。だって、もしそうだとすると、それは大事件というか、大変な出来事というか、とにかく、武井さんの人生がでんぐり返ってしまう類の、とんでもないハプニングだったわけだから。

 

   それに、(武井さんのことを十分に心配する前に自分のことに思考を移すのはちょっと〔友だちがい〕がない、卑劣なことかもしれないけども)このまま『日報』に残って働きつづけるとすれば、僕もそんな危険、つまり、移民局にいきなり捕まってしまうという危険を背負いながら毎日暮らしていくことになるわけだから。

 

          ※

 

   柴田さんの方はいつの間にか(指にけがを負わせられた秀人君を病院に連れて行ったときとおなじぐらいに)落ち着きを取り戻していたよ。「遼子から武井君の〔外泊〕の話を聞いたすぐあとだったからさ、オレもすぐ、そうじゃないかと心配したけど…。まだ、分からない。武井君からはまだ、だれにも連絡がないんだから、彼が捕まっちゃったという可能性はゼロではないが…。捕まったという証拠もない」

 

   僕の部屋に入ったとたんに柴田さんが〔おかしなことになってきたぞ〕と言ったのは、そういう状況からだったんだね。…遼子さんの(武井さんと女性を絡ませた)憶測は、どうやら、大きな見当違いということになりそうだった。

 

   「武井君の会社に問い合わせてみるのが一番だと思ったからさ」と柴田さんはつづけた。「ここにくる前にオレの部屋から電話をかけてみたんだけど、きょうは日曜日だからなんだろうね、だれも出なかったよ」

 

   僕はここでも〈やっぱり経験を積んでいるな、この人は〉と思った。空振りに終わっていたにしろ、打つべき手は(少なくとも)一つ、ちゃんともう打っていたんだからね。

 

   僕がそんなふうに尊敬混じりの目つきで見ていることに気づいたのか、柴田さんは胸を張りなおしてから言った。「いや、観光客は毎日やってくるんだから、仕事はあるんだから、ガイド会社は日曜日だって、だれか一人ぐらいは会社に出ることにしているはずだよ。だから、あとでもう一度電話をかけてみるつもりだけど、その前に、だな…」。柴田さんの表情が一段と思慮深げになっていた。「オレ、武井君の友人を一人と、もう一人、ほかの会社でだけど、やっぱりガイドをやっている男を知っているからさ、この二人と連絡を取って、情報を集めてみるよ」

 

   賢い質問だとは思えなかったけども、ほかには何も思いつかなかったから、僕はこうたずねた。「で、僕はどうしましょう?」

 

   「そのことだよ。…君はきょう、ずっとここにいるんだろう?」

 

   「ええ、その予定です」

 

   「じゃ、電話番だな。オレは、その、武井君の友人に会わなきゃならないとかで、ちょっと出かけることになるかもしれんし、そのあいだに武井君が、事情を説明するために、オレに電話をかけてくるってことも考えられるからな。武井君からオレにかかってきた電話は君につなぐよう、(マネジャーの)テッドに言っておくからさ」。柴田さんはそこで一度首を横に振った。「いや、捕まった武井君が雇った弁護士からいきなりってことは、ないと思うよ」

 

   「え、弁護士からですか」

 

   「だから、それはないと思っているんだよ。だけどさ。その可能性もないわけじゃないから、頭に入れておかないと…」

 

   「分かりました」と僕は言ったけど、なんだか、だらしのない声だったよ。

 

   僕を励ますつもりだったんだろうね、柴田さんはこう言った。「まあ、オレは、武井君は何事もなく、無事に、ひょっこりと帰ってくる、と思ってるんだよ」

 

   でも、そう確信しているって口調ではなかったな、あれは。

 

          ※

 

   柴田さんが僕に電話番の役割を与えたのは正しかった。…あの人が僕の部屋を出てから三十分ほど経ったころ、実際に、武井さんから電話がかかってきたんだ。

 

   「武井さん!」。僕は思わず大声を出してしまったよ。「捕まったんじゃないんですね?」

 

   「ああ、やっぱり聞いているんだね、あのこと」。武井さんの声は思いのほか冷静に聞こえた。

 

   「ええ、聞きました。国際線出迎えロビーでの、捕り物というか…」

 

   「ああいうのは、当然、いつも〔いきなり〕なんだろうけど、ほんとうに〔いきなり〕で、僕も危なかったよ」

 

   「危なかったって?」

 

   「もうちょっとで僕も捕まるところだったんだ」

 

   「ところだった、というと?」

 

   「幸運と不運は紙一重だね、ほんとうに」。武井さんは、自分を落ち着かせるためだったんだろう、声を低めた。「いや、実は、きのうは、お客さんたちをピックアップしようと空港に向かう途中、センチュリー・ブルバードで僕のヴァンの左後輪のタイヤがパンクしてしまってね。会社に電話をかけて、牽引車を送ってもらって、近くのガスステーションで車輪をつけかえさせ、国際線のビルについたときには、もう、僕のお客さんたちが乗っていたはずの、成田からの日航便はとっくに到着している時間だった。入国審査と税関通過にかかる時間を考えに入れても、ほとんどのお客さんがすでに外に出てきているかもしれない時間だった。

 

   「ああ、なんて運の悪い日だ、とそのときは思わないわけにはいかなかったよ。何と言ったって、グループツアーのお客さんたちだからね。外国は初めて、という人も多いわけだろう?しかも、出てきたロビーにはありとあらゆる人種、民族の人間がひしめいている…。なんとなく不安な気持ちになる…。そこへ持ってきて、出迎えにきているはずのガイドの姿が見えないとなると…」

 

   武井さんはいつになく舌の回転がよかったよ。

 

   「あのロビーって、置き引きやスリが多いだろう?僕を待っているあいだに、お客さんがパスポートや貴重品を盗まれたなんてことになると、大変だよ。責任問題だよ。いや、それだけじゃすまないかもね。日本に戻ったそのお客さんが、ツアーを組んだ会社、きのうの場合は[ゴールデン・サンツアー]だったけど、そこに、ロサンジェルスではガイドが遅れてやってきたせいで貴重品を盗まれて、せっかくの旅行が台無しになってしまった、なんて告げたりすれば、うちの会社、ガイドの仕事を減らされるかもしれないだろう?そうなったら、僕の立場はないじゃない?…だから、僕は小走りで到着ゲートに向かったよ。一秒でも早く、その[ゴールデン・サンツアー]のサインを出して、お客さんたちを集めなきゃならなかったからね。…ところが。あと三〇メーターほどでゲートという辺りで、僕はだれかにぐいと腕をつかまれてしまった」

 

   「え、一度は捕まっちゃったんですか」

 

          ※

 

   「そうじゃなくて」。武井さんは小さく笑った。「そうじゃなくて、僕の腕をつかんだのは、ガイド仲間の佐藤さんという人で、僕に〈行くな。まだ危ない〉っていうんだ…」

 

   呼吸をとめて聞いていたんだろうね、僕の口からも一つ、大きな息が漏れてしまった。

 

   武井さんはつづけた。「一瞬、爆発物がしかけられでもしたのかと思ったけど、ロビーにはいつもどおりに人があふれていたし、そんな様子ではなかった。結局は、何の見当もつかないまま、僕は〈何かあったんですか〉と佐藤さんにたずねた。佐藤さんはこう説明してくれたよ。〈さっき、移民局の連中がやってきて、僕が見た限りでは、五、六人ほど捕まえて行ったばかりなんだ。まだ、一部がそこらに潜んでいるかもしれないから、君は近づかない方がいい。…あ、そのサイン、僕に渡して。出迎えサインを掲げながらお客さんの到着を待っていたガイドがみな、いっせいに取り囲まれ、身分証明書を見せろとかなんとかいわれたみたいだったから〉

 

   「分かるだろうけど、横田君、佐藤さんという人は永住権を持っている人で、僕が持っていないことを知っていたから、機転を効かせて、僕が脇にはさんで持っていた[ゴールデン・サンツアー]のサインをあずかってくれたわけだ。佐藤さんはそのサインを二つに折りたたんでいったん自分のブリーフケースに入れると、さらにこう話してくれたよ。〈グリーンカードを携帯していなかったガイドはみんな連行されたんじゃないかな。土曜日のこの時間は、東京と大阪から[JAL]、[ANA]、それに、ソウル乗り換えの[アジアナ]便が、一時間ほどあとには、東京からの[シンガポール航空]便が、まとまってどっと到着するわけだから、さっきの手入れは、おもに、日本人と韓国人、シンガポール人、台湾人、香港人などの東アジア人、中でも特に日本人を狙ったものだったんじゃないかな〉

 

   「そのあと、佐藤さんは、連行された日本人ガイドの名前を三人あげてくれたけど、その三人はみな、僕もよく知っている人たちだったよ。中の一人は、何年か前に例の〔抽選永住権〕が当たったんでグリーンカードを持っていると言っていた人だったけどね。当たったというのが嘘だったのか、たまたまカードを携帯していなかっただけなのか…」

 

   「ラジオのニュースでは、捕まったのは日本人が二人と台湾人が一人だと言っていたそうですよ」

 

   「あ、そう?じゃあ、あの人はあとで釈放されたのかな。…そうだといいんだけどね。でも、勝手なもんだね、横田君。佐藤さんの話を聞いたあとの僕は、さっきまで自分の運の悪さを嘆いたことなんかさっさと忘れてしまって、〈ああ、救われた〉って、ヴァンの後輪がパンクしたことに感謝していたんだからね」

 

          ※

 

   「いや、武井さん、それ、やっぱり、運がよかったんですよ。感謝したの、当然ですよ」

 

   「そうだよね。それも、パンクだけじゃなかったもんね。ほら、[シンガポール]便で着くお客さんを出迎えにきていた佐藤さんが、小走りでゲートに向かっていた僕に気づいていなかったら、僕だってどうなっていたことか…。佐藤さんは、僕に代わってサインを出して、僕のお客さんたちを集めてくれただけじゃなく、みんなを僕のヴァンに乗せて、とりあえず、空港近くの[マクドナルド]まで運んでくれたんだよ」

 

   「武井さんはどうしたんですか」

 

   「これがおかしいんだけど…。お客さんの中の一人のスーツケースを引かせてもらい、自分も旅行客みたいな顔をして、僕も、佐藤さんが運転するバンに乗せてもらって[マクドナルド]まで行ったんだ。スーツを着ていたのは僕だけだったから、典型的な旅行者には見えなかったかもしれないけどね。…[マクドナルド]の駐車場に入ったのに、ハンバーガーを食べさせてくれるわけでもなく、ガイド兼運転手が佐藤さんから僕に入れ替わっただけで、ヴァンがまた空港に引き返し始めたときには、僕のお客さんたち、みな不思議そうな表情だったよ。…佐藤さんにここまで運転してもらったのは、だとか、あの人にはまだ国際線到着ロビーでの自分の仕事が残っているから、だとか、詳しい説明をするわけにはいかなかっただろう?」

 

          ※

 

   「そのあと武井さんは、お客さんたちのガイドをつづけたんですか」

 

   「ああ。…いや、ほんとうは、なんだか怖かったんだけど、お客さんたちを放り出すわけにはいかなかったからね。予定どおりに市内観光を終えて、お客さんたちに[ボナヴェンチャーホテル]に入ってもらうまで、ちゃんとね」

 

   「根性がありましたね」

 

   「義務感から、だよ。それから、夜は夜で別に、ホテルをいくつか回ってお客さんたちを拾い、グリフィス天文台からの夜景見物もしてもらったんだよ。もっとも、こっちの方の仕事には、昼間の、あんなふうな危険はないはずだったけど…」

 

   「それで、武井さん、昨夜はどこに泊まったんですか」

 

   〈けさ遼子さんがどんなとんちんかんな疑惑を抱いていたかをいまここで話せば、笑いが出て、武井さんの気持ちがもっと楽になるかな〉って考えがちらりと頭に浮かんだけど、口にはしなかったよ。…その場にいない人のことをそんなふうに笑いのタネにしては悪いって気が、やっぱりしたから。

 

   「LA空港近くの、つまりは、会社近くの、モーテルにね。というのは…」

 

   「あ、ちょっと」。僕は武井さんをさえぎった。「これだけあれこれ聞いたあとでいうのもなんですが、この話、僕が一人で、ですから、柴田さんや遼子さんよりも先に、全部聞いちゃっていいんでしょうか」

 

          ※

 

   「いいも何も…」。武井さんは(たぶん、苦笑しながら)言った。「正直にいうと、僕はいま、だれかと話したくて仕方がない気分なんだよね。柴田さんにはこのあと電話をかけなおして、おなじ話をするつもりだ。いまなら、この話、くり返して何度でもできそうだよ。分かる?」

 

   「分かるような気がします」

 

   「いや、この電話は初め、柴田さんにつないでもらうつもりだったんだよ。だから、テッドさんに柴田さんの部屋につないでくれって頼んだんだけど、あの人はもう三十分以上ずっと話し中ということだった。それで、まあ、遼子さんにつないでもらうのも、ちょっとなんだな、と考えていたら、テッドさんが、きょうは日曜日なのにめずらしく君がいるって教えてくれたから」

 

   「ああ、そうだったんですか」。〔ちょっとなんだな〕というのがよくは理解できなかったけれども、僕はそう応えた。遼子さんより大事に扱ってもらったようで、嬉しいような、気がひけるような、みょうな感じだったよ。「柴田さん、すごく心配していましたよ。武井さんの会社にも電話をかけてみたそうだし、これから武井さんのお友だちと連絡を取って情報を集めるつもりだって…」

 

   「じゃあ、話し中だったのは、きのうの、あの件について調べてくれていたからだったんだね。…僕の方からもっと早く電話しなきゃいけなかったんだけど」

 

   「大変だったんですね。グリフィス天文台からの夜景見物のあとも」

 

   「というより、どうしたらいいかがよく分からなかったんだ。分かっていたのは、とにかくいまは捕まらないようにしなきゃ、ということだけで…。そこに戻らず、会社の近くのモーテルに泊まったのも、そのためだったんだよ。きのうは、例のヴァンを会社の駐車場に戻して、自分の車に乗り換えることさえ、怖くてできなかったぐらいで…。会社の前で移民局の取締官が僕を待ち伏せているんじゃないか、という思いにしばられていてね」

 

   「この電話も、そのモーテルからなんですか」。声が少し緊張していたよ。

 

   「モーテルはさっきチェックアウトして、いまは、ほら、きのうちょっと立ち寄った[マクドナルド]の公衆電話から。きょうは僕の仕事がない日だし、日曜日だから移民局も動いてはいないだろうから、会社に行って、車ももう自分のに替えて…」

 

   「今晩は帰ってくるんですか」

 

          ※

 

   「あのさ、横田君…」。武井さんはちょっとためらったあと、つづけた。「下に行って、テッドさんと話してくれないかな」

 

   「いいですよ。でも、何を話せばいいんですか」

 

   「変な人物が僕を訪ねてこなかったかをテッドさんにきいておいてほしいんだ。…あとでまた君に電話をして、テッドさんの返事がどうだっかをきくから」

 

   「変な人物、ですね?」

 

   「だから、それ…」。武井さんはまた声を小さくした。「移民局の取締官ということなんだけど、テッドさんにはそうはいえないからね。いや、僕もさっき直接きいてみたんだよ。で、だれも訪ねてきていない、という返事だったんだよ。だけど、電話だから、テッドさんの表情が見えなかったし…。その辺を君の目で確かめておいてくれたら、僕は安心してそこに戻ることができるから」

 

          ※

 

   僕はすごいショックを受けていたよ。…だって、きのうまではふつうに暮らしていた武井さんが、まるで、自分が逃亡中の凶悪犯罪者でもあるかのような話し方をしたものだから。

 

   「分かりました」と僕は言ったけど、その声はうわずっていたと思う。

 

   「それから」。武井さんはつづけた。「君自身にも、ホテルの前の通りに怪しげな連中がうろうろしていないか、見ておいてもらいたいんだけど…」

 

   「え、移民局の人たちがこのホテルの前にもいるんですか」

 

   「いや、いる、と言ってるんじゃなくて…。いるかもしれないから…」

 

   「移民局って、個人の住まいにまでやってくるんですか」

 

   「そこのところは、どうも…。きのうの夜、会社の上司の家に電話をかけて、空港で起こったことを報告したんだけど、そのときの、その上司の意見はこうだったよ。…〈移民局では、このところ何年間も予算不足がつづいているし、人手も足りないから、不法就労者を就労現場でまとめていっぺんに捕まえようというので、たとえば、ダウンタウンの縫製工場だとか、その、空港の出迎えロビーだとかを襲うことはあっても、不法就労容疑者の自宅をいちいち襲うようなことは、その容疑者が同時に重罪の容疑者でもない限りは、ないんじゃないか〉。…そうかな、とも思うけど、やっぱり、念には念を入れておいた方が…」

 

   「分かりました。そうします」。僕は気負って応えた。「おもてを見ておきます」。でも、そう言ってから、ふと疑問に思ったよ。「見ておきますけど、武井さんがグリーンカードを持っているかどうかとか、どこに住んでいるかとかを、なぜ移民局が知っているんですか。移民局って、そんな情報まで持っているんですか」

 

          ※

 

   「いや、そこなんだけど…」と武井さんは言った。「そんなことまでは知られていないと思うんだけど…」

 

   僕は武井さんがつづけるのを黙って待っていたよ。

 

   「だれかが僕のことを移民局に通報していないとも限らないだろう?」

 

   「密告、ですか」

 

   「ああ。きのうの空港での摘発だって、だれかからの、その〔密告〕を受けて行なわれたのかもしれない。もしかすると、僕を捕まえることが第一の目的だったかもしれない…」

 

   「まさか」。そう口に出してしまったとたんに、僕は〈しまった〉と思った。だって、人が深刻に心配していることを、根拠もなしに、そんなふうに簡単に否定するのはよくないじゃない。その人の気持ちを傷つけてしまうかもしれないじゃない。〈そういうのって、誇大妄想とか被害妄想とかいうやつじゃありませんか〉なんて言葉が飛び出さなかったのが、まあ、救いといえば救いだったかな。

 

   だから、僕は急いでつけ加えた。「武井さんには、何か思い当たることでも?」

 

   思い当たることなんかあるはずはない、と僕は考えていたんだよ。

 

   でも、武井さんの返事はこうだった。「僕も、まさか、と思ってはいるんだけど、一つだけ、ないこともないんだ、それが」

 

   「密告の原因になるかもしれないようなことが、ですか」

 

   「なる、とは夢にも思っていなかったんだけどね、あんなこと。…僕も、軽率だったんだよね。余計なことをいわなきゃよかったんだよね。…たぶん、あれが恨まれたんだろうな。いや、その密告があったとすればね」

 

   この辺りの話をしていたときの武井さんは、支離滅裂というほどじゃなかったけれども、話し始めたときとは違って、もう〔思いのほか冷静〕とは言えなかったな。

 

   武井さんに頭の中を整理してもらおうという考えと、単純な好奇心が混じった、落ち着きの悪い、みょうな心理状態で、僕はたずねた。「何があったんですか」

 

          ※

 

   武井さんの説明はこんなふうに進んだ。

 

   「イーストLAに、マリアチを聞かせる、メキシカンフードのレストランがあるの、君も知っているよね、横田君?」

 

   「はい。知ってはいますけど、まだ行ったことはありません。日本の観光ガイドブックで紹介されている、あれでしょう?」

 

   「そう。…あそこでね、一か月ほど前のことだけど、偶然に、つまらないところに行き当たってしまって…。いや、〔つまらない〕とか〔そんなことはこの業界ではよくあることだ〕とかいうふうに軽く考えていなければ、いま、僕はこんな心配はしていなかったんだろうけど…。

 

   「あのレストランは、横田君、日本からの観光客を大事にしているんだよね。いろんなガイド会社が入れ替わり立ち替わり、毎晩のように、五人、十人とお客さんを連れて行くからね。だから、日本人観光客のテーブルはふつう、バンドに一番近いところになる。店がそうするんだ。その辺のテーブルが音楽が一番聞きやすいところかどうかは分からないけど、ショーが見やすいところであるのは間違いない。…そして、演奏が始まると、あいだでミュージシャンたちが、そこに座っている日本人客たちに片言の日本語で話しかけたり、近寄っていっしょに写真に収まってやったりするから、お客さんたちも喜ぶ。喜ぶから、いわゆる口コミの評判もいいし、日本で発行されているガイドブックにも良く書かれる。だから、また新たな観光客がこのマリアッチ・ディナーのコースを選ぶ。実際、ロサンジェルスで手軽に、ちょっぴりメキシコのムードを楽しみたいという日本人には、このコースはオススメだよ。

 

   「それで…。一か月ほど前に僕が行き当たってしまった、その〔つまらないところ〕というのは…。僕が僕のお客さんたちをテーブルへ案内したあと、ひと休みしようというんで、駐車場にとめてあった案内用のヴァンに戻って客用座席に深々と体を沈めかけたとき…。そうだな、横田君には関係のないことだから、Aさんということにしておこうかな。そのAさんのヴァンが駐車場に入ってきて、僕のヴァンの隣にとまったんだよね。…Aさんというのは、違う会社でガイドをやっている、三十代半ばの男性で、その晩は、あとでこっそりと後ろ姿を数えたんだけど、十二人のお客さんを連れてきていたよ。

 

   「お客さんたちをヴァンから降ろすと、Aさんはその場で、そのレストランと、これから見るショーのことを説明し始めた。バンの中で一度すませた説明のおさらいという感じだったな。…僕はヴァンの窓ガラスを開けていたから、Aさんの声がよく聞こえたけど、Aさんには僕が見えていなかったはずだよ。そのとき、僕はほとんど座席に横たわるような格好になっていたからね」

 

          ※

 

   「僕が、あれ、と思ったのは」。武井さんはつづけた。「Aさんがお客さんたちにこう説明したからだった。〈で、皆さんに着いてもらうテーブルのことですが…。いい場所を取っておいてくれと、いつも店には言ってあるんですが、なんといっても、アメリカはチップの国ですから、ほかにチップを出す客やグループがあれば、そうもいかないことがあります。もし、皆さんが〔このコースのセット料金に少しチップを上乗せしてでも、できるだけいいテーブルに着きたい〕と一致してお考えなら、わたしがいまからマネジャーと交渉してきますが、いかがでしょうか〉

 

   「〈どうしようか〉だとか〈せっかくきたんだから、少しぐらいなら出していいんじゃないですか〉だとかいう声がしたあと、若い女性の声がたずねた。〈そのチップって、一人いくらぐらい出すものなんですか〉。Aさんは答えた。〈気持ち、ということですから、いくらでもいいとわたしは思いますが、一人一ドル、二ドルでは、やはり、少ないかもしれませんね〉

 

   「〈じゃあ、五ドルだな〉という中年男性の声が聞こえたよ。〈そうでしょうね〉とさっきの女性が応じた。…Aさんは結局、全員から五ドルずつ集めたようだった。〈では、交渉してきますから、皆さんはちょっとここでお待ちください。すぐに戻ってまいりますが、周囲をご覧になってお分かりのように、ここは、必ずしも環境のいいところではありませんから、この場からお動きにならないように〉

 

   「Aさんは二分ほどで戻ってきたよ。〈やあ、いい場所にしてもらいました〉と明るく言いながなね。…お客さんの中の何人かは拍手して喜んでいたよ」

 

          ※

 

   武井さんは一つため息をついてから言った。「僕はちょっとのあいだ、〈へえ、ああして六〇ドルがあの人のポケットに入ったわけか〉〈一回では六〇ドルにしかならないにしても、仮に、ひと月に五回こんなチャンスがあれば、三〇〇ドル。悪い稼ぎじゃないよな〉などと、Aさんの手腕に、そうだね、どちらかというと、すごく感心していたよ。だって、その〔セット料金〕にはもともと、初めから、ガイド料などとともに、サービス料という形でウェイターたちへのチップも含まれているんだよ。ふつうは、マネジャーと交渉するまでもなく、いつもいい場所を取っておいてもらえるんだよ。…仕事上の倫理、という面から見ると問題があるのだろうけど、観光客にチップを出させる機会がそんなところに、そんなふうにあるってことに気づいた人は、やはり、すごいじゃない。…そのときの僕はそう受け取っていたんだ。

 

   「でも…。お客さんたちがそのディナーショーを楽しんでいるあいだを利用して、近くのスーパーマーケットでフルーツのカン詰めだとかカップラーメンだとか、自分が食べるものを少し買っておこうと思い立ってバンを走らせ始めると、間もなく、僕は〈あれはAさんの〔発明〕じゃないのかもしれないな〉〈あの人がやっているからには、ほかの人たちもおなじことをやっていると考えた方がいいんだろうな〉〈やっていないのは、ひょっとしたな、僕だけなのかな〉などと思い始めたんだよね。…というのも、僕は独り身で、こんなふうにいいかげんに、のんびり、気楽に暮らしていられるものだから、その辺りの、カネをめぐるガイド仲間の動きにはずっと無関心、無頓着で、自分からといっては、特に情報を集めたことがなかったからね。

 

   「いや、ほんとうは、ほかの人たちはだれもやっていなくて、あれは、あの人だけがやっていたのかもしれないんだよ。…だけど、ショーが終わる直前に駐車場に戻ってきたときの僕は、あれはみんながやっていることだろう、と思い込んでしまっていた。それがいけなかった。

 

   「それでも、戻ってきたときにAさんと直接顔を合わせていたのだったら…。二人で話す時間があったのだったら、たとえば、〈さっき偶然に聞かせてもらいましたよ。あんな手があるんですね。感心しました。わたしもまねさせてもらっていいでしょうか〉などと、軽い調子で僕の方から話しかけていたかもしれないし、それで、事は違って展開していたかもしれないんだけど…。僕が戻ってきたときには、Aさんはもう、お客さんを導き出すためにレストランの中に入っていた」

 

          ※

 

   「それから何日か経って、僕は、Aさんの上司の一人と空港でたまたま出会って…。そのときなんだよね、僕がばかな、余計なことを、それもわけ知り顔で、その上司に話してしまったのは。〈わたしもガイドになってからけっこう長いのに、あんなうまい手があるなんて気づきもしませんでした。いや、Aさんには勉強をさせてもらいました〉なんてね。

 

   「いま思い返せば、その上司はなんだか不快そうな表情をしていたんだよ。でも、そのときの僕は、自分の〔わけ知り顔〕に酔っていたのか、あまり敏感じゃなかった。だから、ショーレストランの駐車場で耳にしたことを全部、その上司に話してしまった。

 

   「それから何日かあとだったよ、僕が、Aさんが会社で 一か月減給つきの〔厳重注意〕処分を受けたって話しを聞いたのは。…Aさんがそんなふうにお客さんたちから、言ってみれば、ハネていたことを、その上司と会社は知らなかったんだね。Aさんの行為は、業界全体の慣行はどうであれ、あの会社の職務規定に反していたんだね。…僕はもっとよく考えてからしゃべるべきだったよ。

 

   「そのあと、あちこちで何回もAさんと行き合わせたけど、Aさんはそっぽを向いたっきり。いや、無視されるよりは、そうだね、たとえば、何度か殴ってもらった方がすっきりするのに、と僕は思ったけれども、まさか、そんな乱暴なことを言い出すこともできず、日が過ぎてしまって…。そこへ、きのうの摘発だろう?」

 

   「つまり、武井さんは、そのAさんに密告されたと思っているんですね」

 

   「そう決め込んでいるわけじゃないんだけど…」

 

   「その人、武井さんがちゃんとしたビザを持っていないこと、知っているんですか」

 

   「グリーンカードを持っていないガイドは少なくないから、僕もあまり警戒していなかったから、あの人にも、そのことを明かしたことがあったかもしれない」

 

   「ここに住んでいるってことも、ですか」

 

   「話したことがあるような気がするよ」

 

   「密告は、それがあったとしての話ですが、〔厳重注意〕されたことを怨んで、というわけですね?」

 

   「やっぱり、その可能性も考えておかないとね」

 

          ※

 

   僕はなんだか暗い気分になっていたよ。

 

   そうそう…。秀人君が指にけがを負ったときのこと。病院の会計窓口でパスポートを見せるあの子がちょっとためらったって話を覚えてる?

 

   あれを見たときも、アメリカで不法滞在をつづければ僕もあんあふうに、何かにつけて脅えたり気後れしたりしながら暮らすことになるんだろうな、と考えて、ちょっと気がふさがりかかったんだけど…。

 

   きょうの気分はあのときの何十倍も暗く、重かったんじゃないかな。

 

          ※

 

   なんとか気を取りなおしてから、僕は「そういうことなら」と言った。「テッドさんに話を聞いて、外の様子も見ておきます」

 

   「ありがとう」

 

   「これから、どうするんですか、武井さんは」

 

   「このあとすぐに柴田さんと話して、それから、君にもう一度つないでもらうよ」

 

   「今夜は?」

 

   「変な連中がうろついていないことが分かったら、そこに戻るつもり…」

 

   「仕事はつづけるんですか」

 

   「きのう、上司に休みをもらったよ。…当分のあいだ、ということで。その当分、いつまでになるか分からないけど…。君もたぶん知っているように、不法就労させていたことが知れると、企業主も罰せられるわけだから…。僕が会社内や空港ロビーで捕まると、会社に迷惑をかけるわけだから…」

 

          ※

 

   電話が切れたあと、おかしいね、僕はしばらく、〈あれだけ話すのに、武井さんはクォーター(二五セント硬貨)を何枚使ったんだろう?〉〈それとも、ガイドの人たちは、緊急の事態に備えて、電話会社の(プリペイドの)コーリングカードを持つようにしているんだろうか〉〈その[マクドナルド]には公衆電話機が何台あるんだろう。一台だけなら、武井さんの長話に腹を立てた人もいただろうな〉〈そういえば、武井さんの会社は、ガイドに携帯電話機を持たせていないのかな。持たせられているんだけど、これは私事だというんで、武井さんが使わなかっただけなのかな〉などとぼんやり考えていたよ。

 

   そのことを無理に自己分析すれば、僕は、武井さんから聞いた話を思い返す前に、何かクッションみたいなものが心にほしかったんだと思うな。武井さんが直面している(『南加日報』に残るとすれば、いつか僕も体験することになるかもしれない)厳しい現実に目を向けなおすのを少しだけ遅らせようというんで…。

 

   つまり、きのうからきょうにかけて武井さんに起こったことは、僕にとってもそれぐらいショッキングなことだったんだよね。

 

          ※

 

   武井さんからの二度目の電話は三時半ごろにかかってきた。…それまでずっと(やはり電話で)柴田さんと話していたということだったよ。

 

   僕は自分が感じ取ったことをできるだけ簡潔に武井さんに伝えた。「テッドさんの表情は何かを隠しているってふうじゃありませんでしたよ。移民局はやってきてないと思います」

 

   「そう?…で?」

 

   「表に怪しい人影はありませんでした。そんなふうな人間は見ませんでした」

 

   「ありがとう」。武井さんは、僕が予想していた何倍も、ほっとしたみたいだった。

 

          ※

 

   六時過ぎ。

 

   きょう、それまでに起こったことをテープに吹き込んでおこうとレコーダーを手にしてベッドの上に横たわったとき、秀人君が僕を迎えにきた。武井さんが戻ってきたから、柴田さんの部屋に集まってみなで話そうということだった。…その〔みな〕の中に遼子さんが含まれていたことが(武井さんが無事に帰ってきたということには、もちろん、遠く及ばなかったものの)どういうわけか、僕にはすごく嬉しかったよ。

 

          ※

 

   ここで言っておくと、秀人君も柴田さんも(ということは、疑いなく、武井さんと遼子さんも)僕がときどきテープレコーダーに何かを吹き込んでいることには気づいているんだよ。でも、その内容は『日報』に記事やエッセイを書くための情報や資料だと思っているみたい。僕も、メモ用紙がわりにテープレコーダーを使っているんだ、としか説明していないし。

 

   つまり、四人とも、僕がこの声の日記をつけ始めたのは〔計画どおりにフィニックスの大学院に行ってMBAを取るための勉強を始めるか、それとも、ロサンジェルスに残って『南加日報』で働きつづけるか〕を考えるためだった、とは知らないんだ。リバーサイドからこのホテルに移ってきたときに説明したとおりに、僕は九月の中ごろには『日報』をやめて、フィニックスに移る、と思い込んでいるんだよね。

 

          ※

 

   柴田さんの部屋。

 

   武井さんが右手を挙げながら僕に言った。「さっきはありがとう」

 

   ダウンタウンスカイラインが見える窓のそばの(僕の部屋のよりはうんと大きい)テーブルの上には、(武井さんが[ヤオハン]のスーパーマーケットで買ってきたんだろうか)プラスチックケース詰めのすしが六箱、二リッターボトルの[ペプシ]が二本、それに、パーティー用の紙コップ五個と紙小皿五枚が、みょうにきちんと並べられていたよ。すしにはまだ手がつけられていなかったけれども、プラスチックケースのふたは取られていたし、小皿にはもう醤油が用意してあった。…とりあえず当面の心配事がなくなって、みんな、食欲が大きくなっていたのかもしれないね。

 

   「なんとか無事に戻ってこられましたね」。僕は言った。

 

   「ああ」。武井さんはちょっと照れているような目つきでつぶやいた。

 

   遼子さんが口を開いた。「無事で当然だと思うけどな。心配しすぎたのよ、武井クンは。移民局はこんなとこまでやってきはしないわよ」。遼子さんももう、話しを全部聞いていたんだね。

 

   「遼子、あのね」。柴田さんが顔をしかめた。「自分が保証できもしないことを、そんなふうに簡単にいうんじゃないよ。それに、その話はもういいって…。もう終わったことだから。だいたい、お前は人の気持ちが分からない女なんだから、そこんところをよく自覚したうえで物を言った方がいいよ」

 

   武井さんが言った。「いえ、たしかに、ちょっと心配しすぎたかもしれません」

 

   遼子さんは(唇を尖らせる、あの得意の表情をつくって)どちらかというと柴田さんに聞かせるように言った。「そうよ」

 

   「何が〔そうよ〕だ。…黙ってすしを食ってろ、お前は」

 

   柴田さんがそう言ったのをきっかけに、まず秀人君が、それから順に、僕、遼子さん、柴田さん、武井さんがすしに手を伸ばした。

 

   僕らに混じって(むしろ嬉しそうに)すしをつまんだのだから、遼子さんは柴田さんにいわれたことに立腹したりはしていなかったんだね。ボクシングでいう〔打たれ強い〕ってタイプなのかな、遼子さんは。…関係ないことだけど、真紀だったら、〔お前〕という言葉を聞いたとたんに、きっと、絶交宣言をしているところだよ。

 

          ※

 

   「これから、どうされるんですか」と武井さんにたずねたのは秀人君だった。「仕事は当分のあいだ休む、ということでしたけど…」

 

   「見ろ」。柴田さんが遼子さんに言った。「武井君のことは、お前より秀人の方がうんと真剣に心配してるぞ」

 

   「わたしだって…」。遼子さんがそう言ったとき、武井さんが秀人君にたずね返した。

 

   「その〔当分のあいだ〕のあとのこと?」

 

   「ええ」

 

   「ガイドの仕事に戻るつもりかって?」

 

   「ええ」

 

   「まだ考えていないよ。僕が戻るつもりになっても、会社がどういうか…。一方で、いくらガイドが不足しているからと言ったって、不法就労していることが移民局に知れているかもしれない人間を雇う会社がほかにあるかどうか…。そうかといって、みんなにいつも言っているように、ガイド以外の仕事が僕にできるかというと…」

 

   ホームレス二人に襲われたあと目立って口数が少なくなっていた秀人君がまた質問した。「じゃあ、ガイドの仕事がなかったら、日本に帰るんですか」

 

   「いや…。帰らないって気がするよ。何でもいいから、とにかく、ほかに仕事を見つけて…」

 

   「なぜ帰らないんですか」

 

   「絶対に帰らない、と決めているわけじゃないんだけど、こっちが気に入ってるし…。それに、僕はもうすぐ三十歳になるんだ。日本に帰ったって、いい仕事に就けるとは限らない。というより、もう〔いい仕事〕になんか就けはしない。…いや、正直にいうとね、僕の両親や兄、妹たちは〔いまさら僕に帰ってきてほしくはない〕と思っているようなんだ。だって、僕は親のコネで、ほら、まともな、りっぱな鉄道会社に入れてもらいながら、そこを勝手にやめてアメリカにやってきた人間だからね。そんな人間が四年後にふらりと日本に戻ってきて、だれも知らない小さな会社でひっそり働いている、なんて図は、家族のみんなの目には、想像するだけでも不快、不名誉なことらしくて…」

 

          ※

 

   武井さんの両親の顔が見えるような気がしたよ。…会ったことも写真を見たこともないままぼんやり空想したその顔は、自然に、僕自身の両親の顔によく似たものになっていたけどね。

 

   だって、ほら…。MBAのコースに進まず『日報』で働きつづけたとして、だよ、縁起でもないことを言うようだけど、ああいう経営状態の会社だからね、僕が人員削減の対象になってしまうとか、新聞社自体が倒産してしまうとか、そんな事態におちいってしまう惧れもけっこうあるわけじゃない?そうはならなくても、(武井さんの〔危なかった〕という話とは違って)ほんとうに移民局に捕まってしまうこともあるかもしれないじゃない?…とにかく、そんなことになってしまって、日本に帰らなきゃならないときが僕にもくるかもしれないじゃない?

 

   そうなったとして…。さあ、僕にはMBAがない。ないから、父は僕を〔そこそこの企業〕に入れてくれない。入れてもらえないから、僕も〔だれも知らない小さな会社でひっそり〕働くことになる…。

 

          ※

 

   秀人君にはまだ、たずねておきたいことがあった。「でも、こちらで働いていると、移民局に捕まっちゃうかもしれないわけでしょ?」

 

   「いっそ、捕まって、強制送還でもされたら…」と言ってから、武井さんは唇をゆがめた。「あきらめがつく、と言ったら変だけど、それはそれで、僕も両親も、気持ちがすっきりすんじゃないかと思うんだけどね」

 

   そうかもしれない、と僕は思った。そういう感じ、分かるって気がした。

 

   秀人君がつぶやいた。「難しいんですね」

 

   「難しくはないさ」。武井さんは応えた。「僕が自分でそういう人生を選んだんだから」

 

   「きのう、恐くなかったですか」

 

   「恐かったよ」

 

   「それでも、こっちに住みつづけるんですか」

 

   武井さんは秀人君のその問いには答えず、なぜか柴田さんの方に視線を移した。秀人君に答えていたときの柔和な表情が消えていた。

 

   武井さんは言った。「僕、このホテルを出ることにします」

 

   「何なんだよ、急に、それ」。めったなことでは動揺しない(か、そうでなきゃ、動揺しているところを周囲の人間に見せない)柴田さんがうろたえながら言った。「ここも移民局に目をつけられているかもしれなから、というわけ?」

 

   「いえ、そうじゃなくて…」

 

   「だったら、なぜよ」。遼子さんがまた唇を尖らせた。

 

   武井さんは答えた。「僕、結婚します」

 

          ※

 

   柴田さんと遼子さんが視線を合わせていた。…いうまでもなく、驚きを共にしながら。

 

   僕は〈この二人が、それが何であれ、おなじ感情を抱きながら見つめ合うのはこれが最初なんじゃないか〉と、いささか焦点の外れたことを頭の隅で考えながらも、たぶん、二人に劣らないぐらい驚いていた。

 

   秀人君はなぜか、何度も大きくうなずいていた。

 

   「それは…」と言ってから、柴田さんはひと息ついた。「めでたいことだけど、武井君にそんな女性がいたとは…」

 

   「あ、武井クン…」。遼子さんの目が急に輝いた。「昨夜は、ほんとうはモーテルじゃなくて、やっぱり、その女の人のとこだったんでしょう?」

 

   「いえ」。武井さんは苦笑した。「だからそれは…」

 

   「そうでしょう?」。遼子さんは武井さんの言葉をさえぎった。

 

   「遼子!」。柴田さんがあいだに入った。「武井君が昨夜泊まったところのことなんか、いまはどうでもいいだろう?」

 

   「でも、わたしの勘…」

 

   「だから、そんな勘なんかどうでもいいんだって」。柴田さんは声を大きくした。「ほんとに、とんちんかんで、しつこいんだから、お前は」

 

   「いいわ。あとでこっそり武井クンに聞くから、それ、もういい」。そう柴田さんにいうと、遼子さんは武井さんに視線を移した。「それにしても、武井クン、その人のこと、わたしたちに隠していたわけね。ずいぶん水臭いじゃない」

 

   遼子さんは悔しそうだった。でも、その悔しさは、隠し事をした(らしい)武井さんにではなく、どちらかというと、結婚するような女性が武井さんにいたことを見抜けなかった自分に向けられているようだったな。

 

   「だから、遼子」。柴田さんは言った。「そういうことは全部、どうでもいいの、いまは」

 

   「あの…」。武井さんは困惑しながら、両手を挙げて二人を制した。「そうじゃなくて…」

 

   「そうじゃなくて?」。遼子さんが首を傾げた。

 

   「相手はこれから探すんです」

 

   「これから?」。柴田さんはあごを落とした。

 

   「はい、これから」。武井さんは恥ずかしげに答えた。

 

   「やっぱりね」。たちまち、遼子さんの顔に笑みが戻った。「いまは、まだいないのね、そんな女の人?隠していたわけじゃないのね?よかった。…おかしいと思ったわ」

 

   「〔おかしい〕のはお前だよ、遼子」。柴田さんは言った。「さっき、武井君に〔昨夜女の人のところに泊まったんだろう〕と言ったかと思うと、今度は、武井君にそんな人がいないと聞いて喜ぶ…。だいたい、武井君はりっぱな大人だよ。どこかに、オレたちに隠していた、あるいはだな、まだ紹介していなかった、そんなガールフレンドがいたとしても、どこも〔おかしい〕ことはないじゃないか。そんなことより、相手がまだいないのに結婚する、という話の方がよほど〔おかしい〕とは思わないのか?」

 

   「そういえば、そうね」。遼子さんは意外にすなおにそう言ってから、武井さんの方に向きを変えた。「…どういうことよ、それ?」

 

   僕は秀人君と視線を合わせた。秀人君も遼子さんの変わり身の速さを苦笑しながら見ていたのだった。

 

   武井さんは笑っていなかった。「ですから、アメリカ国籍か永住権を持っている女性を探すんです。探して、結婚して、ずっとこっちに住めるようにするんです」

 

   「ああ、なるほど…」。柴田さんは(おおらかに)そう言った。でも、その目には(正直に)〈そんなに簡単にはいかないんじゃないか〉という疑いが表れていたよ。

 

   柴田さんの胸の中をやはり読んだんだろうね、武井さんは毅然とした口調で言った。「それしかないと思います。合法的にアメリカに住むには結婚する以外にはありません、僕には」

 

          ※

 

   僕は、どうやったら永住権が取得できるかについて、ずっと前に児島編集長が説明してくれたことがあったことを思い出したよ。…覚えてる?

 

   編集長は(本気だとも冗談だともとれる表情で)こう言ったんだ。〈ここ何年間か、国務省が毎年五万五千人に〔抽選〕で永住権を与えているから、それに応募して当たることだな。じゃなきゃ、アメリカ国籍か永住権を持っている女性と結婚するんだな。横田君は若くて、ちょっとは男前だから、あとの方が簡単かもしれんな〉

 

   『日報』に紛れ込んだのが僕ではなく武井さんだったとしても編集長がおなじことを言ったかどうかは判断がつかなかった。だけど、〔結婚して永住権を手に入れよう〕というのは、数百人に一人という確率でしか当たらない〔抽選永住権〕を取得しようというのとほとんど変わらないぐらい実現するのが難しい考えなんじゃないか、と僕は感じていたよ。

 

          ※

 

   武井さんはつづけた。「四年前にガイドとして働き始めたときすぐにグリーンカードを申請しておけば、ひょっとしたら、いまごろは…。でも、あのころの僕は、ただなんとなく南カリフォルニアで暮らしていたいというだけで、こちらに永住したいという気持ちはなくて…。いえ、ほんとうをいうと、きのうまで、そんな気持ちはなかったんです。とにかく気楽に生きていられればいいと考えていたんです。でも、きのう、あんなことがあって…。いろいろ考えているうちに気持ちが変わりました。やっぱり、永住権が要るんです。永住権がなかったら、気楽には暮らせないんです。不法滞在、不法就労では、たとえそんなことが長くつづけられたとしても、だめなんです。…そうかといって、さっき話したような家庭の事情もあって、こうなってしまったからといって、〔はい、じゃあ〕とあっさり日本に帰ることもできません。…帰りたくもありません」

 

   柴田さんも遼子さんも、僕も秀人君も、みんな黙って武井さんの話を聞いていた。

 

   とっくに永住権を手にしていてアメリカで自由に生きていける柴田さんと、会社勤めで貯めたカネを使いながらしばらく〔語学留学生〕暮らしを楽しんでいるだけの遼子さんとでは、当然、受け取り方が違っていただろうし、〔ちょっとアメリカを見ておこう〕と思い立っていなければ、いまごろは日本で受験勉強に励んでいたはずの秀人君と僕も、おなじ思いで耳を傾けていたのではなかっただろうけども、とにかく、だれも口を開かなかった。

 

          ※

 

   「帰りたくない、とは言っても」。武井さんの声が小さくなった。「横田君の『南加日報』にも最近載っていたじゃないですか、一九八六年の法改正のあと不法移民に厳しくなっていたアメリカは、これからは合法移民の受け入れ数も減らす、受け入れ条件も厳しくする、不法移民の排除策をますます強化していくって記事が。…ですから、ガイド会社に限ったことじゃなく、永住権取得のスポンサーになってやろうって企業は、これからいよいよ減っていくでしょうし…。それに、僕には、柴田さんと違って、すしを握るみたいな、永住権を取るのに必要な〔特別な技能〕もありませんし…」

 

   僕は〈編集長や光子さんが書いた移民関係の記事を武井さんがそんなふうな観点から、そんなふうに真剣に読んでいたなんて…〉〈ということは、『日報』の記事を読んで人生の設計をしなおうそうとしている人たちがこの南カリフォルニアにはほかにもたくさんいるってことなんだろうな〉などと考えながら、武井さんの話を聞いていたよ。…一方で、〈『日報』に残ることにすれば、僕自身もやがて、その〔たくさん〕に仲間入りするんだな〉って思いながらね。

 

          ※

   みんなのあいだに漂っていた短い沈黙を破って口を開いたのは遼子さんだった。「じゃあ、武井クン、女の人を口説いて結婚する〔特別な技能〕はあるのね?」

 

   間を置かず、柴田さんが声を荒げて言った。「ばかなことを聞くんじゃないよ、遼子」

 

   「おっかない」。遼子さんは首を縮めた。

 

   「冷やかさないでくださいよ、遼子さん」。武井さんは気弱げに笑いながら言った。…でも、遼子さんの質問を不快だと感じている様子ではなかったよ。

 

   柴田さんが武井さんに代わって、遼子さんに説明した。「だから、遼子、武井君はそれぐらい切羽詰まった気持ちになっているということだよ。結婚が簡単にできるとは考えていないよ、武井君も」。柴田さんは武井さんに視線を移した。「…だろう?」

 

   「ええ」

 

   「いいわ、分かった」。遼子さんはひきさがった。「でも、ここを出る、というのはなぜなのよ?」

 

   僕が思うに、遼子さんは、たとえば、このホテルの住人の一人、中国人のチェンさんとは話したことがなかったんだろうね。〔カネもだいぶ貯めた〕というチェンさんが〔こんなところに住んでいたんじゃ、だれも結婚してくれない〕と考えていたことは、知らなかったんだね。

 

   「なぜって…」と言ってから、武井さんはためらった。

 

   「たしかにな」。(武井さんがいいたかったこととは少し違っていたように僕は思うけど、とにかく)柴田さんが助け舟を出した。「どう見たって、ここは、女性を連れこんだり口説いたりするのにふさわしい、ロマンチックな場所じゃないからな」

 

   「ああ」と遼子さんが言った。「そういうことなの?…いやらしい、武井クン。それに柴田さんも」

 

   「どこが〔いやらしい〕んだよ」。柴田さんが遼子さんをにらんだ。

 

   「ですから…」。武井さんはいくらか顔を赤らめているみたいだった。「僕がここを出るというのは、暮らしの環境を変えて、ふらふらした生き方をやめて、自分の人生を定まった軌道に乗せようということで…」

 

   「分かってるよ、武井君」。柴田さんはおうようにうなずいて見せた。「出たらいいさ。ちょうどいい機会かもしれんな。いや、人生を肯定的に考えるというのは、何にしてもいいことだからね」

 

          ※

 

   自分自身が[エスメラルド・ホテル]の長期逗留者である柴田さんが、このホテルを出てどこかよそで暮らそうという武井さんの考えを〔肯定的〕なことだと見ていることを知って、僕は武井さんのためにほっとしたよ。だって、僕の場合みたいに、初めから半年間ぐらいの滞在だと分かっていたのと違って、こういう話って、へたをすると、出ていく者と残る者のあいだにしこりを残しそうじゃない。…いや、柴田さんは、自分が好きな生き方をするためにこのホテルを利用しているだけで、(カネに困ってとか、あるいは、家庭に事情があってとかいうことで)ここに住みつづけているしかない、という人ではないから、あの人には、出ていく人を羨んだり妬んだりする理由はそもそもなかったんだろうけど。

 

          ※

 

   僕がそんなことを考えていたときだったよ、柴田さんたちの会話をしばらく黙って聞いていた秀人君がゆっくりと口を開いたのは。「あの…」

 

   柴田さんの〔出たらいいさ〕という意見に賛同したものかどうかを思案している表情だった遼子さんが(〔まあ、そのことはわきに置いといて〕といった感じで)秀人君にたずねた。「どうしたの?」

 

   窓の外に見えるダウンタウン超高層ビル群に視線をやりながら、秀人君はつぶやくように言った。「ぼく、決めました。日本に帰ります」

 

          ※

横田等のロサンジェルス・ダイアリー =11の2=

 

   『日米新報』の三面トップ記事は、来年の大統領選挙に関して通信社が行なった世論調査の結果報告だったから、特ダネ争いでは、この日も『日報』の大勝利だったよ。

 

          ※

 

   翌日の土曜日。   ほとんど自宅で書きあげていたのか、午前十時ごろにはもう仕上がった編集長の記事の内容には、なんというか、ひかえめに言っても、すっかり仰天させられてしまった。

 

   金曜日とおなじ三行六段のその見出しだって、唐突に≪会議所の内紛、円満解決≫≪〔南北〕両派が合意の握手≫≪日系・日本人社会のため協調へ≫だったんだよ。

 

   前の夜に会頭と副会頭、パーク理事の三者会談が非公式に(今度はちゃんと[会議所]の一室で)行なわれたというその記事には、(急に呼び出されて出かけて行った光子さんが撮ったという)三人が互いに腕を交差させながら笑顔で握手をしている写真も添えられていたんだよ。

 

   会頭が〔リトル東京の再開発はできることなら日本・日系資本で〕という発言を〔撤回〕したことを副会頭とパーク理事が〔了承〕し、〔土着派〕が会頭に対する謝罪要求を引っ込める、という形の〔円満解決〕だったんだって。

 

   情報誌のインタビューでの〔日系人軽視〕については、〈編集上の手違いで〔日系人〕という言葉が削除されたことを遺憾に思う〉というような文言を同誌次号の(会頭が経営している家電販売店の)広告に書き入れる、という会頭の提案を副会頭が受け入れたんだそうだ。

 

          ※    編集長はその日も『海流』を書いたのかって?

 

   ああ。でも、そんなふうに書くしかなかったのかな。一連の〔問題発言〕を〔撤回〕した会頭の〔勇気〕を賞賛し、その〔撤回〕を〔了承〕した副会頭とパーク理事の〔知性〕を高く評価する、という内容の、どちらかというと、あまり冴えないやつだったよ。…いや、記事の方に書かれなかった何かがそこで読めるのではないか、という僕の期待が大きすぎたのかもしれないけど。

 

          ※

 

   「三者会談は編集長がアレンジしたんですか」。三時少し前、みなの手が空いたころを待って、僕は編集長にたずねた。…だって、あまりにも急な〔円満解決〕だったし、そうでも考えないと、納得できなかったもんだから。

 

   「鋭い質問だ、横田君」。編集長は笑いながら、首を横に振った。「だけど、記者が自ら事件や出来事をつくっちゃいかんだろう?」

 

   「じゃあ、またパーク理事から知らせがあって、三者会談があることを知ったんですか」

 

   「それもいい質問だ」。編集長の笑みがいっそう大きくなった。「新聞記者の質問はそうじゃないといけないな」

 

   僕は食い下がった。「で、どうだったんですか」

 

   「新聞記者は同時に、むやみに情報源を明かさないもんなんだよ、横田君」

 

   〈それはないでしょう。だって、水曜日の〔秘密〕理事会のときには、パーク理事が知らせてきたんだって、教えてくれたじゃないですか〉と思ったけど、何も言えなかった。…はぐらかされたというか、仲間外れにされたというか、とにかく、あいだに急に距離を置かれたように感じて、軽いショックを受けていたんだと思う。

 

   いや、自分も新聞記者の一人なのに、なんてだいそれたことを考えていたわけじゃないんだよ。そうじゃなくて…。ほら、僕は、その数日間の編集長のエネルギッシュな働きに、大筋では、なんというか、敬意みたいなものを抱いていたものだから。

 

           ※

 

   数呼吸してから僕は言った。「とにかく、急転直下の解決だったわけですね」。胸の中のショックを反映して、口調はいくらか皮肉な感じになっていたかもしれない。

 

   僕の口調がどうかなんて、だけど、編集長はまったく気にしていなかったよ。「あんなもめ事はコミュニティーのためによくない。解決は早いにこしたことはないさ」

 

   僕にはまだ、たずねておきたいことがあった。「こんなにあっさり解決すると、初めから予想していました?」

 

   「横田君、実社会では〔一寸先は闇〕だよ。まして、あんな連中だ。予想なんて不可能だよ」

 

   僕は言った。「編集長の前のお話から判断すると、パーク理事は、自分の言いたいことを全部記事にしてもらっただけじゃなく、副会頭に〔貸し〕をつくることもできたし、それで、リトル東京での商売もやりやすくなったでしょうから、あっさりと手を打ったのも分かるような気がしますけど、副会頭はどうだったんですか。いまの会頭が近く辞任するとか、次の会頭選挙には立候補しないとか、そんなふうな約束でも取りつけたんですか」

 

   「その質問もいいぞ、横田君。いいセンスだ」。編集長の顔に急に、あの〔お人好しのおじさん〕ふうの笑いが浮かんだ。「残念だな、君が九月までしか働けないというのは。だが…」。編集長は表情を元に戻してつづけた。「ボクは聞いてないな、そんなことは」

 

   あのころは僕自身も〔九月まで〕と思い込んでいたわけだから、編集長の言葉は、どうしても〈君はどうせ長くは働かないんだから、そんなことは知らなくていいんだよ〉というように聞こえてしまった。だから、話はそこでぷつんと終わってしまった。

 

          ※

 

   あれから四か月あまり。

 

   僕はいま、編集長は、パーク理事から知らせを受けて[会議所]の状況がどうなっているかを知った瞬間から、〈こんな内紛はコミュニティーのためによくない。なんとしても俺が解決してみせる〉みたいに考えていたんじゃないかって思っているよ。…『南加日報』を武器にして、ね。

 

   〔日本人〕と〔日系人〕との対立という構図では〔日系人〕側に、〔日本人〕と〔チャイニーズとコーリアン〕との対立では〔チャイニーズとコーリアン〕側に一方的に傾いた記事と論説を書いたのは、物事を公平に見るという感覚があの人にまったくなかったから、ではなくて、やっぱり、(かなり)意図的にそうしたんだといまは思うよ。〔内紛〕を早く収拾するにはどうしたらいいかを考え、(『日報』の読者がどういう内容の記事を喜ぶかもちゃんと計算に入れたうえで)あえて、会頭と〔進出派〕に非があるって立場で記事や論説を書くことにしたんだと思うよ。…もともと、なぜか、ほら、〔日本に住んでいる日本人〕に批判的な人だから、こちらにやってきてもまだ〔日本に住んでいる日本人〕の考えのままで暮らしている人たちを批判、攻撃するのは〔お手の物〕でもあったろうしね。

 

          ※

 

   もちろん、そういうのって、どちらかというと政治的なやり方で、〔報道は中立でなければならない〕ってことを(表向きの?)信条にしている日本の新聞を基準にして考えると、ずいぶん危なっかしく見えるわけだけど、あの人はきっと、『南加日報』(と、たぶん、すべての〔海外日本語新聞〕)には『朝日』や『毎日』にはない使命や役割があるんだ、と固く信じているんじゃないかな。…僕には〔記者が自ら事件や出来事をつくっちゃいかんだろう?〕なんて言ったけど、その記者というのは、たぶん、『朝日』なんかの記者のことで、あの人自身は〈俺は『朝日』の記者じゃないんだから、ここで俺がやらなきゃならないことは何でもやっちゃうよ〉みたいに考えていたような気がするな。

 

   もっというと、あのときの編集長は〈この横田という青年はいずれ日本に戻る。戻れば〔海外日本語新聞〕なんかとは無縁に暮らす。だから、新聞記者の倫理については『朝日』なんかの基準で考えさせた方がいい。コミュニティーとべったり関わり合う俺のやり方には染まらない方がいい〉といった具合に、僕のために配慮してくれていたのかもしれないよ。

 

   そう考えれば、あの人がなぜ〔はぐらかす〕ような返事を僕にしたのかが分かるよね?

 

           ※

 

   とにかく…。

 

   [会議所]の〔内紛〕事件に関する児島編集長の取材報道活動からは、僕はずいぶんいろんなことを学ばせてもらったよ。いや、学ばせてもらっただけじゃなく、そばで見ていてすごくおもしろかった。楽しませてもらった。…働き始めたときには、(またくり返すけど)ほら、〈この仕事はアリゾナに移るまでの時間つぶし。そのあいだに英語の力が上がればめっけもの〉くらいにしか考えていなかったのにね。

 

   児島さんに感謝。…こんな強烈な個性の人には、やっぱり、めったに出会えないんじゃないかな。

 

          ※

 

   と、そんなふうに、いまの僕は、編集長のことをけっこう好意的に見ているんだけど…。

 

   (英語欄レイアウト係の)前川さんはあのころ、編集長のことを、どちらかというと冷ややかに、こう評していたんだよ。「あの人は、自分では〔陰の人物〕に徹しているつもりのようだけど、実は、けっこう目立ちたがりで、世間で出世している人間たちへの劣等感も小さくはないみたいだから、今度の一件では、コミュニティーのオエラガタを手玉に取ることができて、そうとう気をよくしているんじゃないかな」

 

   児島さんという人が分かりにくいのは、困ったことに、前川さんのそんな(中傷とも取られかねない)評が(必ずしも)外れてはいないようにも思えてしまうからなんだよね。

 

          ※

 

   そうだな。ここでちょっと、前川さんのことにも触れておこうかな。   この人は、十四歳、中学三年生のときからアメリカで暮らしているんだよ。日本の陶器会社の営業部門で働いていた父親が駐在員としてロサンジェルスに派遣された際に、家族といっしょに〔無理やり連れてこられた〕んだって。その父親は、前川さんがオレンジ郡にある、あるジュニアカレッジの学生だったときにシンガポールに転勤させられ、再び家族を引き連れて、そちらに移って行ったんだけど、前川さんだけは〈そろそろ好きなようにさせてくれ〉と訴えて、南カリフォルニアに残ったんだそうだ。…学生でいるあいだは仕送りをつづけてもらうことにして。

 

   前川さんがいまでも〔無理やり連れてこられた〕というのは、単純化して言ってしまえば、初め、日本とアメリカの言葉と文化・習慣の違いに〔学校に行くのが毎日嫌でしょうがなかった〕というぐらいとまどってしまったからだった。前川さんには、自ら望んで体験したい類の新生活じゃなかったんだね。

 

   父親がシンガポールに転勤させられたのは、そんな前川さんがこちらの暮らしにやっと慣れてきたころだった。前川さんは一人で残ることにした。

 

   こちらに残って〔好きなように〕生きさせてもらうはずだった前川さんの南カリフォルニアでの人生は、だけど、必ずしも順調じゃなかった。コミュニケーションを中心に勉強をしてジュニアカレッジを修了したあと、仕事を探し始めた前川さんは、自分の語学力不足を〔骨の髄まで思い知らされた〕んだって。

 

   「中学三年のときから始めた英語ではネイティブスピーカーにはどうしたって太刀打ちできないから…」と前川さんが僕に話してくれたことがあるよ。「だから、四年制の大学へはトランスファーしなかった。ちゃんと卒業できるという自信がなかったんだ。俺は仕事を探し始めた。英語力に自信がなかったから、日本から進出してきている企業の求人にいくつも応募したよ。でも、どこにも採用されなかった。なぜだったか分かる?そんなこと考えたこともなかったけど、一番の問題は常に、俺の日本語がゼンゼン本物じゃないということだったよ。俺の日本語は十四歳程度のところで成長がとまってしまっていたんだ。漢字が書けない、読めない、熟語の意味が分からない、敬語がまともに使えない…。英語も日本語も中途半端な、学歴も十分でない若い日本人を正社員として雇おうというちゃんとした企業は、結局、一社もなかったな」

 

   前川さんが『日報』の英語セクションのレイアウト係として働き始めたのは、メッセンジャーボーイみたいな仕事をいくつか経験したあと、二十三歳のときだったそうだ。前川さんは話の最後にこう言ったよ。「だから、江波さんとは、初めからみょうに波長が合ったな。言葉については、二人とも、いくらか似たようなところを通ってきていたからね」

 

          ※

 

   そういえば、その江波さんが編集長のことを 「ここだと、〔お山の大将〕でいることができたから、居心地がよかったんだと思うよ。〔所を得た〕というの?そうはいかなかったんじゃない、あの人、日本では?」って言ってたの、覚えてる?

 

   江波さんと前川さんの二人がともに、児島編集長のことをそんなふうに否定的に見るのは、やっぱり、ただの偶然じゃないのかな。…編集長は、たしかに、日本語は〔お手の物〕で、しかも英語もかなりできる、つまり、言葉にはあまり苦労しない人ではあるんだけど。

 

   それに、編集長はもともと、ほら、性格にちょっとわがままなところがあるから…。

 

   あるいは、(ときどき自分に代わって[海流]を書かせなければならない)僕にはあまり露骨に見せない一面を、編集長は、江波さんたちには見せているのかな。…だから、たとえば、自分は語学に強いんだという辺りを鼻にかけるような。

 

   分からないよ。

 

   でも、〔内紛〕解決の記事が出てから二日後の月曜日に、編集長の机の下に、[会議所]の副会頭と〔土着派〕のメンバーから届けられたという日本酒三本とウィスキー二本が並んでいたことや、日本舞踊のスージー・ナカザキ師匠との関わり方なんかを見ていると、この僕だってつい、〈この人のことは、やっぱり、芯が一本ちゃんと通った新聞人だとは呼べないのかな〉って考えちゃうもんね。

 

   困るよね、こういうの。

 

          ※

 

   児島編集長とスージー師匠との関わり方か…。

 

   ここで、もう少し話しておこうかな。

 

          ※

 

   リトル東京フェスティバルが間近になっていた七月最後の金曜日の夕方。

 

   僕はフェスティバルの歴史を調べていた。…いや、フェスティバル開催期間中に増ページ発行が三回予定されていたから、(自分がどんな記事を書かされるかはともかく)その歴史を少しは知っておこうと、『日報』保存版に残されている記事にざっと目を通し(ながら、ついでに写真も眺め)ていただけだから、〔調べていた〕は言い過ぎかもしれないな。

 

   編集長は、土曜日に掲載する[海流]のエッセイ原稿に手を加えていた。…というのは、土曜日の担当者は、ほら、アリゾナ州トゥーソンに住んでいる老人だからね。第一には文章が長すぎる、第二には論理的に自己矛盾している個所がある、第三には表現が古くさすぎる、という点を改めてからでないと、掲載できないことが多いんだ。

 

   勝手に改めても問題はないのかって?

 

   老人は自分の名前が新聞に出るだけで幸せなのか、変更や修正に抗議してきたことは、いままで一度もないんだって。もともと自分の文章の論理的な矛盾に気がつかないぐらいだから、どう手が加えられても、気にならないのかもしれないね。

 

   光子さんは、どこで手に入れたのか、わりに新しい日本の週刊誌を読んでいた。どうやら、月曜日に自分が担当する[海流]用のネタを探しているようだった。〔どこで手に入れたのか〕というのは、日本から空輸されてきて[旭屋書店]などで売られている本や雑誌は(いまだと、たとえば日本で三〇〇円のものなら五ドル以上の値段がついているようだから、光子さんがもらっているはずの給料の額を考えると)高すぎて、あの人が自分で買うことはないんじゃないか、と思うからなんだけど、さて?

 

   しかも、その週刊誌は、どういうわけだか、[週刊大衆]だったしね。…もしかしたら、光子さんには、会社の中のだれにも紹介していないボーイフレンド(みたいな人)がいて、その人のところから持ち出してきていたのかもしれないな。

 

   辻本さんはもういなかった。三十分ほど前に、できあがった版下を自分の車に積み、チャイナタウンの近くにある中国語新聞社の印刷工場に向けて発っていたんだ。

 

           ※

 

   「そのリトル東京フェスティバルのことだけどね、横田君」。編集長が突然声をかけてきた。「ちょっと…」

 

   いきなり〔その〕と言われても、どのことなのか分からなかったけれども、僕は(週末直前だという、ちょっと開放された気分があったからか)愛想よく、顔を上げ、視線を編集長に向けた。

 

   「ちょっと説明しておきたいことがあるから…」。編集長はさっと腰を上げた。「いや、休憩をかねて、外で話そうか」

 

   日本でなら〈ちょっとそこの喫茶店で〉とでもなるところなんだろうけど、そうはならなかった。…いや、リトル東京にも日本ふうの喫茶店はあるにはあるんだよ。でもその店は、『日報』からふらりと歩いていくには少し遠すぎるし、客も(ファースト・ストリートの例のバーと違って)日本から派遣されてきている駐在員や、暇を持て余している様子の留学生なんかが多いそうだから、日本人を厳しく批判することでコミュニティーに知られている編集長が何かにつけて利用するといった場所じゃないんだよね。

 

   いわゆる夏時間が適用されているときだから、外にはまだ強い日差しが残っていたよ。編集長は路上に駐車していた自分の車(けっこう新しい[ポンティアック・グランダム])のボンネットに腰を下ろした。

 

   「君もどうだ?」。まるで、そこにふかふかのソファーでもあるかのように、自分のすぐ隣をあごで指し示しながら、編集長は言った。顔に、例の〔お人好しのおじさん〕ふうの笑みが浮かんでいた。

 

   そんなところに編集長と並んで腰を下ろしている図はあまりきれいなものじゃないはずだったけれども、その笑顔に負けて、僕は誘われたとおりにした。

 

           ※

 

   「[フェスティバル]の期間中にリトル東京で、日本文化を紹介する展示会や実演会のほかに、パレードがあるのを知っているよね」。編集長はそう切りだした。

 

   「さっき、保存版でみましたけど、けっこう大がかりなもののようですね」

 

   「ああ。日系移民の誇りを示すにふさわしい、りっぱな規模だ。旧正月にチャイナタウンで開かれる、ドラゴンダンスなんかが出るパレードに負けない、どころか、あれをしのいでしまう、どうどうたるものだよ。ファーストとセントラルの交差点を出発点にして、パレードはファーストを西に進み、ロサンジェルス・ストリートで南に折れ、セカンドを東に向かってセントラルまで戻る…。ロサンジェルス郡の人口の四割を占めるといわれるメキシコ系移民がダウンタウンで毎年五月に祝う[シンコ・デ・マーヨ]の人手には遠く及ばないものの、それでも毎回、二万人ほどの見物人が出るんだ。近年は、パレードに参加する団体の数が五十を超えているはずだよ。ロサンジェルス日系人あり、という意気込みをみなで示すわけだ」

 

   編集長はそう説明してくれた。でも、いつもとは様子が違って、話の焦点を絞ろうとしているのに絞りきれないって感じだったな。

 

   「そのパレードのことで何か?」。僕はたずねた。

 

   「何か、というんではないんだけど、だね」。僕の顔を見ずに編集長は言った。「…スージー師匠は知っているよね?」

 

   「知っているも何も…」。僕はそこで言葉をとめた。〈あんなにしょっちゅうここに顔を出す人だし、しかも、編集長のガールフレンドだってみんなが言っている人じゃないですか。知らないわけはないでしょう〉とは言わなかった。

 

   「そのパレードのことに関して、だね、横田君、あの師匠の話を聞いてきてくれないか」

 

   「取材ですね?」。〈なんでいつものように、光子さんを行かせないんだろう〉といぶかりながらも、僕はすなおにたずねた。「何を聞いてくればいいんですか」

 

   「何か考えがあるそうだから」

 

   会話の場所の選び方といい、話し方といい、編集長の態度はふつうではなかったよ。…特に、押しの強いところがなくて。

 

          ※

 

   僕は歩いて、(ほら、エスメラルド・ホテル)の住人の一人、リチャードさんが日本のことについてあれこれ勉強しているという図書館もその中にある)[日米文化会館]に向かった。スージー師匠はその時間に、[会館]の地階の一室で、フェスティバルに備え、主だった弟子たちに稽古をつけているということだった。

 

   歩いて行ったのは、(ほんの二ドルばかりの)駐車料金を節約するためだったんだよね。『日報』は常に運転資金が不足している会社だから、わずかな駐車料金だって払わずにすませられるところは(会社のために)払わないですませなきゃ、と(自分でそういうのも変だけど、けなげに)考えたわけだ。

 

   いや、センター近くの路上に無料で駐車できる時間にはなっていたんだよ。だけど、そうしたばかりに自分の車の窓ガラスを割られたり、トランクのドアをこじ開けられたりしたんじゃ、わりに合わないかなって気が、やっぱり、したし…。

 

   そのほかに、車で出かけて、近くの安全な駐車場にあずけ、料金は自分が負担する、という手もあったんだろうけど、そのときは、なぜか、そのことに思いいたらなかったよ。

 

          ※

 

   行きはまだ明るかったから問題はなかったにしても、取材が長時間になり、『日報』に戻るのが暗くなってからになるようだと、途中が危険なんじゃないか、というふうに考えなかったのは、自分はリトル東京とその周辺での暮らしに慣れた、という気持ちが心のどこかにあったからだろうね。…秀人君が(リトル東京をほんのちょっと西に外れた場所で、あんなふうに)襲われたって話をもしあのとき聞いていたんだったら、安全を第一にして、自分の車で出かけて、安全な駐車場に車を入れ、自分で駐車料金を負担していたかもしれないな。

 

          ※

 

   僕の顔を見ると、スージー師匠は大きくにっこりとほほ笑んだ。「まあ、等さん。あなたがきてくれたのね」。当たり前だけど、実に流暢な英語だった。

 

   師匠が僕の名前をちゃんと記憶してくれていたことを喜ぶ気持ちがたちまち顔に表れそうそうになるのを、〈たぶん、この人はこういうこと、つまり、人の気持ちをじょうずにとらえるのを特技にして世を渡っている人なんだから〉と考えることでなんとか抑えながら、僕は言った。「児島さんに師匠の話を聞いてこいっていわれましたから」。…仕方がないけど、へたな英語だった。

 

   いま思えば、おかしなことに、〈あれ、だれかほかの人がくると思っていたのかな。編集長自身?それとも光子さん?〉とは考えなかった。編集長だったんだとすると、あの人は自分の気が進まない仕事を僕に押しつけたわけだったから、取材はややこしい、難しいものになるかもしれなかったし、光子さんだったんだとすると、師匠はどちらかというと正式なインタビューを期待していたのだろうから、僕では〔役者不足〕なのかもしれなかったのに。

 

          ※

 

   弟子の一人に何か耳打ちすると、スージー師匠は僕に言った。「外で話しましょう」

 

   〈きょうは二度も〔外〕に誘い出されてしまったな。それも、互いがボーイフレンドとガールフレンド同士の男女二人に一度ずつ〉なんてたわいのないことを思いながら、僕は師匠の後について行った。白地に朝顔の絵が描かれた浴衣姿の、稽古で少し汗ばんだ背や、ほどよく丸みをおびた腰の辺りにはなるべく視線をやらないように努めながら。

 

   ほんとうなんだよ。というか、あの人はときどき、それぐらい、だから、努めて視線をそらせなきゃならないほど、なまめかしく見えることがあるんだ。…弁解がましいようだけど、だれの目にもそうだと思うよ。

 

          ※

 

   石の彫刻家、イサム・ノグチの作品が永久展示してあるセンター前広場に出ると、師匠は初めて振り返った。「何を聞いてこいっていわれたの?」

 

   「特定はされませんでした」。どういうわけだか、ふだんならすぐには頭に浮かんでこないはずの〔特定する〕なんて硬い(英語の)単語を使っていたよ。

 

   師匠と僕は並んで、広場の端のベンチに腰を下ろした。…気づいてみると、僕が座った位置は、すぐ鼻の先で甘酸っぱい化粧の匂いがするほど師匠に近かったから、僕はもぞもぞと腰をすべらせて間を開けた。思えば、そばにはほかにだれもいない、という状況で師匠と話すのはあれが初めてだったんだよね。

 

   師匠の声は優しかった。「あなた、写真を撮るの、じょうず?」

 

   「写真ですか?」。間が抜けた声だったかもしれない。…なにしろ、そのときの僕にはひどく突飛な質問だったから。

 

   「そう、写真」

 

   「ガールフレンドはいつも、よく撮れてるって言ってくれますけど…」

 

   そんなところで〔ガールフレンド〕なんて言葉が飛び出したのは、やっぱり、師匠の、なんというか、そう、色香みたいなものにふらふらしてはいけないという、潜在意識か何かが働いたからなんだろうね。

 

   あの大阪の女の子のときと似てるね。僕はきっと、そういう、だから、ほら、ガールフレンドに忠実というか、小心というか、そういう性格なんだね。

 

   「まあ」。師匠はほほ笑んだ。「ガールフレンドの保証があるのなら、間違いないわね」

 

   自分がカメラもテープレコーダーも持ってきていないことに思い至ったのはこのときだった。僕はあいまいな笑みを浮かべながら、〈困ったことになってきたぞ。編集長には、稽古風景を撮ってこい、とは言われなかったのに〉などと考えていた。

 

          ※

 

   「とにかく、自分のカメラを持っているわけね?」。師匠はカメラのことにこだわっていた。「ズームレンズつき?」

 

   「ここには持ってきていませんけど…」。話がどこへ向かっているのかがまだよく分からないまま、僕は小声で答えた。「ええ、いちおうは。一〇五ミリメーターまでの」

 

   「あ、そう」。うなずいた師匠は、だけど、〔一〇五ミリメーター〕にどんな意味があるのかは、僕以上に分かっていない様子だったよ。「それで大きく撮れるの?」

 

   「あまり大きくは撮れませんが、まあ、ある程度は」

 

   「ある程度か…」。そうつぶやくと、師匠は何かを思案しながら視線を空に向けた。

 

   どうやら、きょうの稽古風景を写してくれ、というような話じゃなさそうだった。いくらか落ち着きを取り戻して、僕はこう言った。「それでよかったら、お貸ししますよ」

 

   師匠は声を立てて笑った。「そうじゃないのよ」

 

   「ああ…」

 

   「そうじゃなくてね、等さん」。そこでひと息入れてから師匠はつづけた。「去年の写真がひどかったものだから」

 

   「去年の?」

 

   「そう。[リトル東京フェスティバル]のときの写真。『日報』に載せてもらったの。でも、小さくて、少しぼけていて、ぜんぜんよくなかったのよ。…それも、紙面の片隅で」

 

   「そうだったんですか」。僕はやっと、師匠のカメラと写真の話が、編集長が言っていたパレードの話とつながっているんだってことに気づいたよ。「ここにくる前に、たまたま、去年の新聞を見ていたんですけど、そういうところには気づきませんでした」

 

   「そうでしょ?だれにも気づかれないような写真だったの、あれ。光子さんが撮ってくれたんだけど…」。それから、師匠はいくらかは言いにくそうに、それでもはっきりとこう言った。「彼女があのとき使った『日報』のカメラはずいぶん旧式だったから。…おととしまで使っていた、いくらかは高級なカメラを光子さんがどこかの取材先で盗まれてから、新しいのを買っていなかったんですって。…いまも、まだ、買っていないんでしょ?あの人がそう言ってたわ。経理のグレイスさんが買ってくれないのよね?」

 

          ※

 

   〈なんだ、そういうことだったのか〉と僕は思ったよ。〈師匠はきょう、光子さんと会って、〔ことしはちゃんと写してちょうだいね〕とでも話すつもりでいたんだ〉〈だけど、編集長は光子さんの代わりに僕をこさせた。〔カメラを盗まれた〕ことや〔写真が少しぼけていた〕ことについての師匠の不平を直接光子さんにぶつけさせるのは、みなの今後の関わり方を考えるとまずい、と思ったからだったのだろうな〉〈いつもの押しの強さがさっき編集長になかったのは、僕に代わりをさせて悪いって気持ちがいくらかはあったからかな〉〈編集長がプライベイトなところでは師匠とそんな話をしていると想像するのは変な感じなもんだけど、たしかに、新しいカメラをグレイスさんに買わせるのは(ことしも)至難の技だよね。グレイスさんは、新聞に載った写真がいいか悪いかという問題よりは、帳簿の赤字の大小の方を先に気にかけるだろうからな〉などと、あれこれとね。 

 

   僕は〈で、師匠は『日報』に、というのでなければ、児島編集長に、いったい何をどうしてほしいというんだろう〉といぶかりながら、師匠に言った。「たしかに、光子さんが使ってるの、ずいぶん古いカメラですよね」

 

   師匠の目つきが急に(まるで僕に甘えかけるかのように)変わった。「そのカメラのことはともかく、ことしは、等さん、あなたに撮ってもらおうかな」

 

          ※

 

   〈いや、僕にいい写真が撮れるかどうか…〉とは、思っただけで、声にはしなかった。師匠はとっくに、ことしはいい写真になる、と信じ込んでいる様子だったからね。

 

   「大きく撮ってほしいの。わたし、考えたんだけど、等さん…。去年のは、ファースト・ストリートの貸しビデオ店が背景になっていて、なんだか冴えない写真だったのよ。だから、ことしは、市庁舎を背景にしたのがいいわ。それだったら、いかにも、ロサンジェルスのお祭りだって写真になるでしょう?わたしのグループが音頭を踊りながらロサンジェルス・ストリートを南へ下りかけた辺りがいいチャンスじゃないかしら。ねえ、どう思う?」

 

   師匠の表情はまるで、夢でもみているかのようだった。そんな写真が『日報』に大きく掲載されたところを想像していたんだろうね。

 

   僕はふと、師匠のそんな話を児島さんはどんな表情で聞くんだろう、と思った。だって、あの人は、ほら、理由や原因は何であれ、自分では絶対に写真を撮らない人だから、師匠のそんな夢を自分ではかなえてやることができないわけじゃない。

 

   僕はなぜだか、みょうにすなおに、〈ようし、ここは編集長に代わっていい写真を撮ってやらなくっちゃ〉と思ったよ。…少なくとも、その瞬間は、たとえば〔公私混同〕なんて言葉は僕の頭に浮かんでこなかったんだ。だから、僕はスージー師匠にこう返事をした。「それ、よさそうですね」

 

          ※

 

   僕の返事に気をよくしたんだろうな。スージー師匠はつづけた。「ねえ、[ジャパニーズ・ビレッジ・プラザ]のステージでやる実演も忘れないでね。あそこでは、わたしを、でなくていいの。代わりに、お弟子さんたちを、できるだけたくさん。写真は、特に大きくなくていいわ。そうそう、まだ十一歳なのにとてもじょうずな子が一人いるのよ。四世なの。そうだな、この子はぜひ撮ってもらいたいな。〔この子だ〕って合図をわたしが送るから、わたしを見てて。それから、わたしの娘二人は、どうしようかな。あの子たちは、そうね、撮ってくれなくてもいい。…あの子たち、父親、だから、わたしの別れた夫ね、あの人に似たのか、テニスなんかはじょうずなのに、日本舞踊はだめなのよ」

 

   ずいぶん無邪気な話し方だった。〈もしかしたら、自分はむちゃなことを求めているんじゃないか〉 なんて考えはまるでなさそうで…。

 

   〈五十五歳と三十八歳か。師匠のこういうところが児島さんにはかわいく見えて仕方がないのかもしれないな〉と僕が思ったのはこのときだったよ。…つまり、そういうスージー師匠は(正直にいうと)僕にもかわいく見えたということだけど。

 

   僕はふと、〈編集長が三月に〔リトル東京フェスティバルが終わるまではやめないように〕という条件をつけて僕を雇ったのは、このためだったのかな〉と考えてしまった。…だから、ほら、スージー師匠のわがままを聞いて、(去年よりはきれいに撮れた)師匠の晴れ姿の写真を『日報』に(去年の数倍の大きさで)載せてやるためだったのかなって。

 

   もちろん、そんな考えは自分ですぐに否定したけどね。〈いや、やっぱり、〔このため〕ってことはありえないな。だって、いまだって、紙面を埋めきるだけの量の記事を書きあげるのには編集部員四人では足りないぐらいなんだから、僕が働きだす前はもっと大変だったはずだよ。編集長はとにかく、人手がほしかったんだ。それに、編集長は面接のとき、僕に〔君は写真撮影は得意か〕なんて質問はしなかったもんね〉って。

 

          ※

 

   僕は師匠に答えた。「編集長の指示をあおいだうえで…」

 

   僕にしては賢い返事だったんじゃないかな。あそこで、軽々しく〔そうします〕って約束してしまったんじゃ、(偉そうなことをいうようだけど)僕の(新聞づくりに関する)良心みたいなものが、やっぱり、痛んだんじゃないかって気がするし、ほら、編集長に命じられたから仕方なく、という形にしておけば、いくらか〔公私混同〕があっても、気が咎められることが少ない、というか…。

 

   「そうね」。師匠に異存があるわけはなかった。編集長が僕にどんな〔指示〕を出すかは、たぶん、師匠が〔こうしたい〕と思った瞬間に決まったも同然だっただろうからね。

 

   僕は「さあて」といいながら、ゆっくりと立ち上がった。師匠の話はどうやら終わったようだったからね。

 

   変な気分だったよ。…写真を載せてやって、スージー師匠が子供みたいにすなおに喜ぶ顔を見てみたい、という思いと、不正に、という言葉が少しきつすぎるんだったら、そう、情実で、がいいかな、とにかく、そんなもので新聞をつくる〔陰謀〕みたいなものに自分が関わりかかっているという、ちょっと後ろめたい感じ?

 

   「来てくれて、ありがとう」。そういうと、師匠は僕の方へ右手を差し出した。

 

   僕は一瞬、師匠の手を握り返すべきかどうか、迷ってしまったよ。いや、師匠がスーツでも着ていたんだったら、自然に、あいさつの一部と受け取って、僕の方もためらうことなく手を差し出していたと思うよ。…でも、何てったって、〔陰謀みたいなもの〕について話し合った直後だったからね。浴衣の袖の中から伸びてきた、その色白で柔らかそうな手を握り返すことが、どこかみだらななことに思えてしまって。

 

          ※

 

   で、その握手は、結局、したのかしなかったのかって?

 

   師匠は差し出していた自分の手をさらに伸ばすと、ためらっていた僕の手を思いきりぎゅっと握ってきたよ。その握り方がきつかったから、〔みだらな〕感じはまったくしなかったな。…ほんとだよ。

 

          ※

 

   「等さん、あなた、歩いてきたの?」。[会館]前の広場から日本庭園のわきを通り(日系の引退者たちが住む)リトル東京タワーの敷地を抜け、サード・ストリートを通って『日報』に戻ろうと歩き始めた僕の背に、師匠が声をかけてきた。

 

   僕は振り返って「はい」と答えた。…駐車料金の二ドルを節約するために、などとはもちろん言わなかったよ。

 

   「待ってて。わたしが送ってあげる」

 

   送ってやろうというのは、途中が危険だから、という意味なんだろうと勝手に解釈して、僕は応えた。「でも、まだ暗くはなっていませんから…」

 

   僕の返事は無視して、師匠は言った。「いま、車のキーを取ってくるから」

 

   下駄の音を軽やかに立てながら[会館]の玄関に向かって小走りに駆けていく師匠の後姿を見送りながら、僕は(正直にいうと、少し胸をどきどきさせながら)〈ほんの数分間のドライブにしろ、自動車の中で師匠と二人きりになるのはまずいんじゃないかな〉って考えていたよ。…具体的には、何をどんなふうに〔まずい〕と感じていたのかってたずねられると、返事に困ってしまうんだけど。

 

   いや、だれかにそんなところを見られて〈『日報』とスージー師匠はあそこまで、つまり、編集長だけじゃなく編集部員までが師匠の車に乗せてもらうぐらい、親しい関係にあるんだ〉だとか〈だから、師匠の記事や写真があんなにしょっちゅう『日報』に掲載されるんだ〉だとか思われ、『日報』の評判が落ちるようになっちゃいけない、と感じていたような気もするし、一方では、たとえ編集長のガールフレンドだという人であれ、あれほどあでやかな女性に親しく送ってもらったんじゃ真紀に悪い、と感じていたような気もするし…。

 

          ※

 

   スージー師匠の車は、[会館]の広場に面して建っている[日米劇場]のすぐ隣にある駐車用ビルディングの二階にとめてあった。

 

   車は、なんと、黒の[マツダ・ミアタ]だったよ。…髪を日本ふうに束ねて赤いかんざしでとめた、浴衣姿の、三十八歳の師匠と小型のコンバーティブル・スポーツカーという取り合わせだよ。いわゆる、オープンカーだよ。僕、つまり、『日報』の編集部員といっしょのところを〔だれかに見られるとまずい〕みたいな考えなんかまったく受けつけない、というより、〔見たかったら何でもみてちょうだい〕って車だよ。

 

   僕は思わず、なんというか…。感動してしまったよ。だって…。

 

   そういうのって、ただ思慮が足りないだけじゃないかって見方もできるのかもしれないけど、やっぱり、自由奔放っていうか、自分は自分の生きたいように生きているんだって主張しているようなっていうか、とにかく、潔い感じがしない?

 

   僕は〈やってくれるな、この人〉って思ったよ。敬意みたいなものを胸に抱いてしまったよ。…改めて、編集長が(わがままを何でも聞き入れてやりたくなるぐらい)この人に夢中になるのは無理もないな、と感じたよ。

 

   いや、夢中になっている、と決めつけていいかどうかは分からなかったけど、そうなっていたとしても理解できるって気がしたよ。

 

   というのは…。編集長はもともと、(『海流』に書くエッセイなどから分かるように)日本人の思考の枠や型にはまった考え方がひどく嫌いな人で、そういうのが嫌いだから日本を捨ててこちらにきたんじゃないか、とさえ思えるような人じゃない?自分自身が、ほら、〈おたくの日本語欄、ちゃんとした編集長が必要だね。どう、ボクにそれ、やらせてみない?〉と言って『日報』に入り込んだ、という話があるぐらい、日本人の規格から外れている人じゃない?…だから、スージー師匠のあんなふうな生き方を見て、たちまち共感してしまったのかもしれない。…惹かれてしまったのかもしれない。

 

           ※

 

   いやに師匠に点が甘いじゃないかって?

 

   そういうんじゃないよ。そういうんじゃなくて…。師匠は、どうやら、真紀とは正反対の女性のようだから。

 

   真紀は、若いのにけっこう思慮深くて、(前にしゃべったように)がまん強い子だから、いつも真紀を見ている目で師匠を見ると、師匠が際立って見える、師匠がどういう人だかよく見える、というだけで、師匠に点が甘いとか、師匠の生き方が僕にもすごく魅力的に見えるとか、そういうんじゃないんだ。…そもそも、僕は〈どうしても、すき焼きが食べたい〉という程度の望みをかなえてやって、ちょっと幸せな気分になる、そんなところが似合いの人間なんだから。

 

          ※

 

   つけ加えておくと、編集長と師匠の関係を、僕は、おとな同士のラブロマンスとしてだけ見ているわけじゃないんだよ。二人は、やっぱり、それぞれの利を計算してつき合っているんだと思っているんだよ。…だって、『日報』の紙面を提供できるという(ほんとうはそんなふうに使っちゃいけない)力が編集長になくても師匠があの人との関係をるつづけるかどうかは、(こんな言い方は直接的すぎるけど、編集長の男っぷりや経済力を考えに入れると)やっぱり、大きな疑問だし、師匠が編集長との関係を断ってしまえば、師匠に関する記事と写真は(少なくとも、これまでとおなじ頻度では)『日報』に掲載されなくなるだろうからね。

 

          ※

 

   で、その[ミアタ]を師匠はセカンド・ストリートの駐車場出口で(西に向けて)左折させた。

 

   「あ、方向が違いますよ」

 

   「そうだったわね」。前方を見据えたまま、師匠はほほ笑んだ。…うっかり間違えてしまったという表情ではなかったな。「でも、ひと回りすればすむことだから」

 

   師匠がどこを〔ひと回り〕するつもりなのかは見当がつかないまま、僕はつぶやいた。「そうですよね」

 

   師匠が車を左折させ〔ひと回り〕する気になった理由(の少なくとも一部)は、だけど、あっけないほど、すぐに分かった。駐車場の出口からほんの数十メーターのところにある、[ジャパニーズ・ビレッジ・プラザ]の横断歩道信号でとまったとき、師匠が突然、こう切り出したからだ。「知ってる、等さん?児島さんにはね、日本に奥さんがいるのよ。十五年ほど前からずっと別れて暮らしているんだけど…。その奥さんが離婚に同意してくれないんですって」

 

   そんな話がしてみたかったからだったんだね。…その瞬間の僕はそう受け取っていたよ。

 

   僕は小声で「そうなんですか」と応えた。二人は(いわばふつうの)ボーイフレンドとガールフレンドの関係だ、という『日報』のほかの人たちの見方は、微妙なところで違っていたことが分かったのだけれども、僕はなぜか、あまり驚かなかった。いや、〈あの児島さんだったら、そんなふうに、すっきりしない問題を抱えていても不思議じゃないな〉って、なんとなく思ってしまったもんだから。

 

          ※

 

   それから…。何を思い浮かべながらだったのか、スージー師匠は数度首を横に振ると、ぽつりとこうつぶやいた。「ダメナ人ダカラネ、アノ人、ホントウニ…」

 

   師匠が日本語を使ったのはこのときだけだったよ。…思うに、〔ダメナ〕が英語ではうまく表現できなかったんじゃないかな。それとも、児島さん自身が自分のことを(日本語で)そう評したことでもあって、その言葉を師匠はあそこでふと使いたくなってしまったのかな。

 

   僕には返事のしようがなかった。…いや、そうですね、と合槌を打つわけにはいかなかった、というんじゃなくて、師匠のその〔ダメナ人〕には、他人が入り込むのを固く拒むような、(大人の)深い思い入れみたいなものが感じられたから。

 

          ※

 

   〔ひと回り〕は僕が覚悟していたほど大きなものにはならないようだった。サンペドロ・ストリートを突っ切り[ニューオータニホテル]の横までくると、[ミアタ]はロサンジェルス・ストリートを北に向けて右折したんだ。

 

   そのとき初めて気がついたんだけど…。スージー師匠は素足でアクセルやブレーキのペダルを踏んでいたんだよね。[センター]ではいていた下駄を足元に無造作に脱ぎ捨ててね。…なぜだか分からなかったけど、見てはならないものを見てしまったような気がして、僕は慌てて視線を上げてしまったよ。

 

          ※

 

   不意に師匠が言った。「ほら、この辺りよ」。その視線が左前方の市庁舎ビルを見上げていた。

 

   「そうですね。ここからだといい写真が撮れそうですね」。ほとんど反射的に僕はそう応えていたよ。一方で、『日報』保存版で見た写真をいくつか頭の隅に思い浮かべながら、〈師匠の上体を写真の右側に大写しにして、左背後に市庁舎ビルを入れるという構図だろうな、ここは〉と瞬時のうちに考えながら。

 

   とっさにそんなことを考えるぐらいには、新聞の仕事に慣れてきていたんだろうね、僕も。   もっとも、そのあとすぐに、〈だけど、僕のあの一〇五ミリメーターでそんな写真が撮れるんだろうか〉とか〈特別な、ワケありの写真だから、失敗のないように、何枚も撮っておかなきゃいけないな〉 とかいう、あまりプロフェッショナルふうじゃない心配にとらえられたりもしたんだけど。

 

          ※

 

   [ミアタ]がファースト・ストリートとの交差点で一時停止したときだったな、僕が師匠の〔変わり身の早さ〕に遅れ馳せながら、気づいたのは。〈さっきの、あの〔深い思い入れ〕はどこへ行ってしまったんだろう〉って僕は、ちょっと失望させられたような気分で考えてしまったよ。だって、あの〔深い思い入れ〕には、何とも言えない情感がこもっていたし、そのことが僕の耳にもずいぶん心地よかったから。

 

          ※

 

   師匠が〔ひと回り〕する気になったのは、編集長のことを僕に話しておきたかったからだったんだろうか、それとも、写真を撮る場所を僕に指示しておきたかったからだったんだろうか。僕は判断がつかなくなっていたよ。…いや、そのどっちだったのかがみょうに重要なことのように思えてならなかったからね、僕には。だって、その二つのあいだには、師匠に〔信頼されている〕って感じるか〔利用されている〕って感じるか、みたいな違いがあるわけじゃない?師匠に対する見方がそれでまったく違ってしまうかもしれないわけじゃない?

 

          ※

 

   やっぱり、師匠は編集長のことを話しておきたかったんだ、と僕が(ほっとした思いで)確信できたのは、[ミアタ]がファースト・ストリートを東へ向けて右折してからだった。師匠は編集長の話に戻ったんだ。

 

   そこから『日報』にたどり着くまでの数分のあいだに師匠は〈児島さんの奥さんはいまも神奈川県に住んでいる〉〈児島さん夫婦には成人した娘二人と息子一人がいる〉〈下の娘は毎年のように児島さんに会いにやってくる〉〈上の娘が昨年秋に結婚したから、児島さんは間もなく〔おじいちゃん〕になるはずだ〉〈息子は中学生のときから児島さんにまともに話しかけたことがない〉などといった話を僕にしてくれたよ。

 

   僕が(英語のセンテンスづくりに苦労しながら)した質問は一つだけだった。「夫婦の仲がおかしくなるのは日本でもめずらしいことじゃありませんよね。でも、児島さんはアメリカにやってきました。…日本にはいたくないという、何か特別な事情があの人にはあったんでしょうか」

 

   「何かあったんでしょうけどね」と師匠は答えた。「でも、わたし、何も知らないのよ。奥さんと別れて暮らすようになったわけも聞いていないし、息子さんがあの人を嫌っているわけも知らないわ。…変かしら?」。師匠の顔に微笑が浮かんだ。ちょっとさびしそうな笑みで、すごくきれいだったよ。「あの人、こういうのよ。〈新聞記者というのは事実しか告げないものだ。ボクは妻と別れて生きている。息子は僕を嫌っている。それでいいじゃないか。人の感情の扱いは文学者に任せておけばいいんだよ〉って。変な理屈でしょ?だから、わたし、一度言い返してやったことがあるの。〈あら、生まれたときからずっと新聞記者だったようないい方ね、それ〉って。あの人、ロサンジェルスでにわかに新聞記者になった人でしょう?だから、ちょっと気を悪くしたみたいだった。…でもね、日本からこちらに独りできている人には、男にも女にも、そんな人が多いみたい。他人には話したくない過去が、多かれ少なかれ、あるっていうのかな?」

 

          ※

 

   七月三十一日、月曜日。

 

   編集長は黒いカメラケースを肩から下げて出社してきた。

 

   ケースの中に入っていたのは、二八~ニ一〇ミリメーターのズームレンズつきの、ぴかぴかの[キャノン・イオス]だったよ。…そういうのに僕は疎いけども、買えば五〇〇ドルから六〇〇ドルはする物なんじゃないかな。

 

   辻本さんが目を輝かせながら、編集長に「どうしたんですか」とたずねた。

 

   編集長は「あるところからの『日報』への寄付でして…」とだけ答えた。

 

   「ああ、そうですか」。世俗を離れたような、ひょうひょうとしたところがある、七十六歳の辻本さんにも、その〔あるところ〕がどこかはすぐに分かったみたいだった。

 

   「そういうことです」。辻本さんの目を見ないで、編集長は答えた。

 

   辻本さんはつぶやいた。「ありがたことです」。真実そう思っているって口調だったよ。

 

   僕は〈へえ、やっぱりそうなのか。これは『日報』にとっては〔ありがたいこと〕なのか〉と思って、複雑にショックを受けていた。

 

   だって、〔ぴかぴかのキャノン・イオス〕は、どう考えても、ほら、例の〔陰謀みたいなもの〕の、言ってみれば、成功前の報酬だったわけじゃない?だれかに〈新聞の良識あるいは良心を売り渡して、犠牲にして、手に入れたカメラだ〉といわれても反論のしようはなかったわけじゃない?

 

           ※

 

   でも、僕が辻本さんの考えに同調するようになるまでに時間はいくらもかからなかったよ。

 

   考えてみれば…。

 

   写真を撮るのはほとんどが光子さんの仕事だったし、僕は、光子さんの仕事をいいとか悪いとかいう立場にはなかったから、それまであまり気にしていなかったんだけど、『日報』には〔遠くから撮った人物写真を無理に引き伸ばして体裁をつけてみたものの、案の定ぼやけた仕上がりになってしまった〕というようなものが、たしかに、ときどき掲載されるんだよね。

 

   僕自身も、取材に行かせられたある団体の新役員就任披露パーティーで、出席者たちが手にしているカメラの方がうんと新しくて、うんと高級だったんで、〈ああ、せめて自分のカメラを持ってくればよかったな〉と後悔したことがあったんだよ。つまり、『日報』が(いくらかましだったらしいやつを光子さんが盗まれて以来)それまで使っていたカメラは、それぐらい旧式で、低級なものだったんだ。だから、『日報』には、間違いなく、もうちょっとはましなカメラがどうしても必要だった。…新聞の質を保つためにも、新聞社としての(ある程度の)威厳を保つためにも。

 

   その、どうしても必要なカメラが自力では買えないとなると…。

 

          ※

 

   辻本さんの〔ありがたい〕は、紙面の一部を(記事や写真の形で)提供して数百ドル(の値打ちのある品物)を受け取るのと、広告を出して掲載料をもらうこととのあいだには、大きな違いはないんじゃないか、ということだったんだろうね。…いい悪いはともかく、その二つを分けて考えるほどの余裕は『日報』(だけじゃなく、たぶん、ほとんどの〔海外日本語新聞〕)にはない、ということだったんだろうね。

 

   そういえば、もともと、ジャネットさんが実質的に経営を見ていた時代から、いわゆる〔ちょうちん記事〕を書くのは『日報』の伝統みたいになっていたようで、ほら、(江波さんが名づけた)〔児島さんの一九八〇年代前半の改革〕で『日報』の経営状態が一時的によくなったのも、その一部は、その〔ちょうちん記事〕を書くことをいとわない編集長の資質、というんじゃなければ、性格に負うところがあった、ということだったよね。

 

          ※

 

   いつものように、いちばん遅く出社してきた光子さんは、辻本さんとは違って、「なくさないようにしなきゃね」と言ったあとは、特には関心を示さなかった。…前にカメラを盗まれたときに編集長にひどく叱られでもしたのかな。

 

   編集長は一日中、僕にはひと言も口をきかなかったよ。

 

          ※

 

   [リトル東京フェスティバル]増ページ号には、一面左上に、スージー師匠が両手を空に向かって振りかざしながらあでやかに踊っている(白黒の)写真が大きく掲載された。背景は、もちろん、市庁舎ビル。…いい写真だったと思うよ。なにしろ、二八~二一〇ミリメーターのズームレンズつきの[キャノン・イオス]で(編集長が自腹を切ってふんだんに買い集めておいたフィルムを惜しげもなく使って)撮りまくった中の一枚だったからね。

 

          ※

 

   [三河屋]の和菓子?

 

   もちろんだよ。その写真が掲載された日の翌日、師匠は(『日報』の社員みんながそれぞれ二個ずつ食べて、さらに二、三個ずつ自宅に持って帰ったほど)たくさん菓子が入った箱を抱えてやってきたよ。満面に笑みをたたえて…。

 

   あそこまで幸せそうなスージー師匠を見たのはあれが最初だったな。…僕が『日報』を辞めてしまえば、最後、ということにもなるわけだけど。

 

   師匠と時間を打ち合わせていたのか、編集長は「[紀伊国屋]で本を探してくる」と言って出かけていたから、二人が顔を合わせる場面はなかったよ。

 

   師匠は一度、ちらりと視線を向けてはきたものの、特に僕に礼を言ったりはしなかった。でも、おかしいね。その〔ちらり〕がすごく嬉しかったんだよ、僕には。

 

          ※

 

   どんなふうに〔すごく〕だったかというと…。

 

   それは、だから、僕がそれからは、児島さんとスージー師匠の関わり方をすこぶる寛容に、〈まあ、あれはあれでいいんじゃないか〉と受け入れる一方で、編集長のことを〈新聞人としてはどこかに問題のある人かもしれないし、性格にも、自分を中心にして事を進めたがるとか、好ましいとは言いにくいところがあるようだけども、それでも、どこか憎めない人だ〉と思い、『日報』のことを〈世界は広くて大きいんだから、一つぐらいこんな新聞社があってもいいか〉と考えるようになったぐらい〔すごく〕。

 

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(ストーリー中の人物、企業、団体などはすべて創作されたものです)

 

*参考著書*

 

アメリカの日本語新聞」田村紀雄(新潮選書)

 

「藤井整の言論活動 - 『加州毎日』創刊から日米開戦まで」関宏人(慶応大学卒業論文

 

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   ALL RIGHTS RESERVED

 

          ***

 

横田等のロサンジェルス・ダイアリー (1995) =11の1=

*** 8月26日 土曜日 ***



   明らかに睡眠不足だな、この感じ。…テープレコーダーに向かって午前三時ぐらいまでしゃべっていたからね、昨夜(というよりけさ)は。

 

   江波さんはきょうも〔編集員募集〕の広告は出さなかった。すっかり忘れていたのか、スペースが足りなかったのか、それとも…。

 

   いずれにしろ、もちろん、話題がそこに戻るようなことを何か、僕の方から江波さんにいうはずはなかった。

 

          ※

 

   話をつづけるよ。四月十二日のこと…。

 

   〔土着派〕の(特に三世の)理事たちは簡単にはひきさがらなかった。会頭に対し、〈あなたは〔日系人〕(ジャパニーズ・アメリカン)を軽視したことはない、と言われるが、じゃあ、どういう人間を指して〔日系人〕と呼ばれるのか、そこをお聞きしたい〉と食い下がった。

 

   会頭はすぐには返事ができなかった。…そういうのって、いきなり質問されると、ふつうは、さっと説明できるようなものじゃないんだろうね。いや、厳しく限定していえば、〔アメリカ国籍を取得した日本人移民〕および〔永住権を持っているだけの者を含めた日本人移民を親にアメリカで生まれ、アメリカ国籍を選択した子とその子孫〕ということにでもなると思うけど、そのとき理事会で問題になっていたのは、どうやら、国籍とか、そういうことではなくて、消費者集団あるいは文化的集団としての〔日系人〕みたいだったからね。

 

          ※

 

   考えてみたんだけど…。

 

   会頭は、日本が経済成長をとげたあとアメリカに渡ってきた、いわゆる〔新一世〕をその〔日系人〕の範疇に入れるべきかどうかで迷ったんじゃないかな。

 

   というのは、編集長から聞いた話によると、この人たちは、永住権を持っているという点では(アメリカ国籍を取得することもできる)〔潜在的日系人〕なんだけど、そのうちの多くは、合法的に働きたいという理由で永住権を取っただけで、全体としては、アメリカに帰属しようという思いが小さく、意識や嗜好がいつまでも〔日本人〕のままだそうだからね。

 

   つまり、〔新一世〕というのは、〔土着派〕が見ても〔進出派〕が見ても、見方によって〔日系人〕に近く見えたり〔日本人〕そのものに見えたりしてしまう、ちょっとややこしい存在らしいんだよね。

 

   だから、そのときの会頭は、〈新一世は日本人だ〉と答えれば、〔土着派〕に〈日本人移民の日系化をよしとしない日本至上主義の意見だ〉と攻撃されそうだったし、一方、〈新一世は日系人だ〉と答えれば、〈意識が日本人のままでありつづける移民がなぜ日系人でありえるのか〉と突っ込まれ、いずれにしても、[会議所]の会頭としての見識を疑われる、という難しい立場にあったんじゃないかな。

 

          ※

 

   会頭のためらいを見て、〔土着派〕は〈ほう、どういう人間が日系人なのかは分からないけれども、とにかく、日系人を軽視したことはない、と主張されるわけですな、会頭〉とちゃかした。

 

   どんな形にしろ上げ足を取られたくない会頭は黙り込んでしまった。

 

   〔土着派〕は矛先を転じ、〈例の雑誌の三月一日号のインタビュー相手には当初、(日本から進出してきている大企業をメンバーにしている[日米ビジネス親睦会]のある人物が予定されていたのに、急に会頭に変更されたということですが、少しでも早く会頭の〔夢〕を公表したい理由が特にあったのですか〉とたずねた。

 

   会頭は〈インタビュー相手の変更は、そういうことがあったとすれば、それは雑誌社の都合で行なわれたことで、わたしが無理やりに割り込んだかのようにいわれるのは心外ですな〉と答えた。

 

   〈そうですか?〉。〔土着派〕の追及はつづいた。〈おたくの広告掲載契約期間が二月の中ごろに急に大幅に延長されたという確かな情報があるのですがね〉

 

    会頭は突っぱねた。〈期間延長は、企業戦略上の必要から行なったもので、インタビューとは何の関係もありません〉

 

          ※

 

   なんて僕はしゃべっているけど、これは、いわゆる〔見てきたような〕というやつで、〔嘘〕ではないにしても、現実にあった会話というわけじゃないんだよね。…編集長が話してくれたことやその後記事に書いたことなどを思い出しながらできるだけそれらしく再現しようとするとこんなふうになった、ということなんだ。

 

          ※

 

   〈では、例の発言はどうなんです、会頭〉。実はこれが、この日〔土着派〕が一番したかった質問だった。〈お答えの内容しだいでは、やはり、会頭不信任案の提出を考えなければならなくなりますが…〉

 

   〈例の、といわれるのは〔あれ〕のことだと受け取ってお答えしますと、わたしの考えは、三月の例会のときに述べたとおりで、いまも変わっておりません〉と会頭は答えた。〈たとえ研究の段階で出てきただけとはいえ、日本人、日系人の歴史を象徴する町であるリトル東京の再開発を韓国系あるいは台湾系の資本に頼ってやってはどうかというアイディアには、いまでも首を傾げないわけにはいきません〉

 

   会頭の隣の席で、副会頭は、どういうわけだか、さかんにうなずきながら、このやり取りに耳を傾けていた。

 

   〈インタビューの中で一度も〔日系人〕という言葉を使わなかった、あるいは、百歩譲って、その言葉が編集者の手で削られたことに気づかず、抗議もせず、訂正も求めなかったお方が、急に〔日本人、日系人の歴史〕などと口にされるとは…。会頭、いったいどうなさいました?〉

 

   〈どうもいたしません〉。会頭は語気を強めた。〈リトル東京の再開発は、できることなら日系あるいは日本資本で行ないたいものだと、昔から考えておりました〉

 

   パーク理事がのっそりと立ち上がったのはこのときだった。

 

          ※

 

   編集長からそこまで話を聞いたあとでも、僕は、会頭のその考えがどうして(〔日系人〕軽視のインタビュー発言と並んで)問題になっているのかが分かっていなかった。

 

   会頭も十分には理解できていなかったらしい。だから、パーク理事が〔のっそりと立ち上がった〕理由もすぐには分からなかった。

 

   パーク理事はゆっくりと口を開いた。〈ちょっと質問させていただきます〉

 

   会頭は(ここは鷹揚に)〈どうぞ〉と応えた。

 

   〈会頭、あなたは日本帝国陸軍の軍人でしたか〉。それがパーク理事の質問だった。

 

   会頭は、思いがけない質問にとまどった様子だったが、とにかく答え始めた。〈あの戦争が終わった年、わたしはまだ子供でして…〉。そこまで言ってから、会頭の顔が見る見る紅潮して行った。どうやら、パーク理事が何をいおうとしているかを、やっと察したようだった。〈士官学校に通う年齢にも兵隊に取られる年齢にも、まだなっておりませんでしたから…〉

 

   〈ほう〉。パーク理事は言った。〈では、さぞやりっぱな軍国少年だったのでしょうね〉

 

   〈いや、ごくふつうの少年で…〉

 

   〈それでは、いったいどこで、コーリアンやチャイニーズを差別するお考えを身につけられたのでしょう?〉

 

   〈わたしはどなたも差別してはおりません〉

 

   〈では、会頭、なぜ〔できることなら日系あるいは日本資本で行ないたい〕のですか〉

 

   会頭は答えに詰まった。

 

   〈コーリアンやチャイニーズがお嫌いですか〉

 

   〈そんなことは、もちろん、ありません。韓国や台湾からこちらにきている人を、わたしはたくさん友人に持っておりますし、その方たちを、常日ごろ、心から尊敬しております〉

 

   〈その友人たちに〔できることなら日系あるいは日本資本で行ないたい〕という考えを話されたことはありますか〉

 

   〈いや、それは…〉

 

   〈話されたあとでも、その方たちは会頭の友人でいてくれるでしょうか〉

 

   会頭はまたまた押し黙ってしまった。

 

   パーク理事はつづけた。〈あなたの〔日系人〕軽視と、コーリアン、チャイニーズ差別は、根っこのところでつながっているとしか、わたしには考えられないのですが、どうです、会頭?〉

 

   〈そのとおりだ〉。〔土着派〕の三世の理事が声を上げた。

 

   〔進出派〕の理事の一人が腰を上げた。〈理事会をカンガルー・コート(吊るし上げの場)にするつもりなら、わたしは退席させてもらう…〉

 

          ※

 

   「分かるか、横田君?」。話をしてくれていた編集長が僕に言った。「パーク理事は、実は、その辺のやり取りを見てほしいというので、〔秘密〕理事会が開かれることをボクに知らせてきていたわけだ。いや、自分の〔活躍ぶり〕を、ということもなくはなかったかもしれないが、そのことよりは、やっぱり、一部の日本人や日系人の心の中にはいまでもコーリアンやチャイニーズに対する差別意識が残っている、そして、そういう人物の一人が、おかしなことに、多民族都市ロサンジェルスの[日系商業会議所]の会頭におさまっているのだ、ということを理事会ではっきりさせるところをね」

 

   「なるほど…」。僕は深々とうなずいた。

 

   「そういうことだ」。編集長は僕にというより、むしろ自分自身に向かって言った。「裏には、当然、会頭が追い込まれるところを僕に見せ、新聞に何か書かせて、結局は、あの人自身と利害を共にすることが多いリトル東京地区の〔土着派〕、特に副会頭に貸しをつくっておこう、という意図があったんだろうがね」

 

   僕はなんとなく、〈へえ、編集長は自分が利用されることもあるんだってこと、知っているんだな〉って思いながら、こう言った。「そういえば、副会頭は編集長の取材を拒まなかった、ということでしたね」

 

   「拒むわけがなかった…。ボクにあの理事会のことを知らせたのは、はっきりとそう打ち合わせていたのではなかったにしても、パーク理事と副会頭の、いわば、連係プレイだったのだからな。…どうだ、ゲスだろう、あの連中?みんあな自分の利益ばかりを考えて…」

 

   僕には、会頭や副会頭、パーク理事たちを〔ゲス〕だと決めつけていいかどうかについては判断がつかなかったよ。商売人、というか、商業経営者なら、〔自分の利益ばかり〕を考えるのは当たり前かなって思いがあったからね。…自分の利益のためなら何でもやってしまいかねない人たちのことをそう呼ぶ編集長のことは、〈なるほど、新聞人というのは〔自分の利益〕のためには動かないんだな〉なんて頭の隅っこで考えて、ちょっと好ましく思ったけどね。…そのときは。

 

          ※

 

   パーク理事と〔土着派〕理事たちの追及はつづいたけれども、会頭は最後まで謝罪しなかった。

 

   「第一に」と児島編集長は言った。「〔進出派〕の理事が全員退席してしまえば不信任案が出せなくなることを会頭は知っていたし、第二には、横田君、いや、こちらの方が重要だけど、謝罪するということは、コーリアンやチャイニーズを差別する気持ちがあった、と事実上認めるということだからね。そんなことを一度でもおおやけに認めてしまったら、日本ではどうだか知らないが、多民族国家のこっちでは、公的な人生はそれで終わり。…支持者がいなくなって、将来の褒章も、当然、なくなってしまうに違いないからね」

 

   理事会は〔荒れ模様〕のまま終わった。会頭をそこまで追い詰めたことが〔土着派〕の、まあ、収穫といえば収穫だった。 

 

          ※

 

   その夜の僕は寝つきが悪かったよ。

 

   再開発の(それも単なる)アイディアをめぐって、褒章への先手争いまでひっくるめて、そこまでかけひきをしてしまう小実業家、商売人たちの実態(の一部)を知って、深夜になってもまだ、気持ちが変に昂ぶっていたんだね。…そういう現実って、MBAのコースでは絶対に教えてくれないと思うよ。

 

   『南加日報』での仕事は案外におもしろいものになりそうだ、と僕が感じたのはあの夜が最初だったんじゃないかな。

 

          ※

 

   翌日(四月十三日、木曜日)の三面トップの記事は編集長が書いた。記事は全体としては(思いのほか)客観的だったけれども、見出しは異例の大きさの三行七段、≪〔秘密〕理事会で会頭立ち往生≫≪パーク氏が涙の差別追及≫≪会議所の内紛深刻化≫というものだった。

 

   光子さんは取材の際には必ずカメラを持っていくんだけど、編集長は(カメラの扱いが苦手なのか、カメラマンの仕事を軽く見ているのか、とにかく)自分では写真を撮らない主義だもんだから、残念なことに、〔会頭立ち往生〕の場面を写真で見ることはできなかった。

 

   そうそう、記事には(いささか読者の情に訴えるみたいに)〈パーク理事の涙を流さんばかりの追及に会頭は…〉とは書いてあったけど、涙を流した、という文はなかったから、見出しには少し嘘があったんだよね。…編集長が自分でつけた見出しだったから、(校正をやった辻本さんを含めて)だれも何も言わなかったけどね。

 

          ※

 

   ついでに言っておくと、〔秘密〕理事会のことを知らせられなかった『日米新報』は、カリフォルニア州議会での不法移民関係論議を三面のトップ記事にしてお茶を濁していたから、特ダネ競争という点から見れば、この日は『日報』が大勝利を収めたわけだ。…僕自身は何もしていなかったのに、それでも、みょうに誇らしい気持ちになったんだよ。

 

          ※

 

   おなじ日、編集長は(僕が提出していた原稿は翌週に回すことにして)[海流]も自分のエッセイで埋めた。めずらしいことに、前夜自宅で書きあげてきていた原稿を朝一番に工場に渡したものだから、(日本語欄レイアウト係の江波さんによると)タイピストたちがずいぶん驚いたんだって。

 

   ≪深い病根―日系人軽視≫というメインタイトルがついたそのエッセイは、いくらか抑制が効いていた記事とは違って、(パーク理事がそう評しているということだけど)編集長が〔何者も恐れずに発言する〕人物であることを実によく示す、というか、ほんとうは、なんだか、ずいぶん一方的で、偏った内容だったよ。

 

    どういうふうにかというと…。

 

   エッセイの中には〈移民パイオニアへの恩を忘れはてた会頭〉だとか〈日系社会を裏切って…〉だとか〈日本人移民史を歪曲する…〉だとか、あるいは〈商業至上主義と利己主義でコミュニティーの分断を図る…〉〈ガーデナ・トーレンス地区とリトル東京地区とを〔南北商業戦争〕に突入させようとする…〉〈新参の金満日本人に屈服した…〉〈あぶく銭でロックフェラーセンターを買収した三菱地所などと同類の拝金主義〉だとかいった、厳しい(ちょっと大げさすぎるんじゃないかと思えるような)言葉があふれていたよ。

 

          ※

 

   このエッセイは、[会議所]内の〔土着派〕理事たちにはもちろんのこと、多くの日系人(と〔自分は日系人だ〕と思っている人たち)にすごく歓迎された。…新聞が読者の手もとに届き始めた金曜日の午後になると、編集長の意見に賛同する電話が編集部に(殺到した、というのは当たらないかもしれないけれど、とにかく)何本もかかってきたから、そういえるはずだよ。初めのうちは自ら電話に出て、読者の反応を(満悦至極といった表情で)聞いていた編集長が不意に「取材に行ってくる」と言って机を離れてからも、辻本さんが何度も応対に出なければならなかったほどだったんだから。

 

   編集長の意見は、(ほら、日本人射殺事件の際のエッセイがそうだったように)『日報』の大半の読者の気持ちと考えを代弁していたんだね。…ひかえめに言っても、〈日本から近年やってきた人たちはどうも自分たちとは違うようだ〉みたいな感じ方をね。

 

   いや、会頭自身は戦後すぐの移民だから、〔近年やってきた〕人じゃないんだけど、〈会頭のこのところの一連の発言は、正統日系コミュニティーの歴史と伝統を無視しがちな新移民の考えに酷似している〉という編集長の意見を受け入れる読者が多かったわけだ。

 

          ※

 

   とはいうものの…。

 

   いま振り返ると、『日報』の読者に迎合して、というのが言い過ぎだったら、読者の歓心を買うために、いや、読者の期待に応えようと、編集長があんなふうに勢い込んで〔土着派〕支持の姿勢をはっきり打ち出したのは、新聞の経営戦略という点から見ると、間違いだったかもしれないって気がするな。だって、前にしゃべったことがあるように、(少なくとも)南カリフォルニアでは、三世や四世の意識のアメリカ人化がますます進んでいて、編集長のいう〔正統日系コミュニティー〕の影響力は日系・日本人社会全体の中でどんどん薄くなってきているということだからね。

 

   いつまでもそういう集団を当てにしていたら、やっぱり、購読者数は増えないんじゃない?

 

           ※

 

   もっとも、僕自身はいま、『日報』が、つまりは児島編集長が、その〔正統日系コミュニティー〕とそんなふうに関わっているところがけっこう気に入っているんだよね。

 

   こんな言い方はよくないんだろうし、飾りすぎているようにも思うけど、〔滅びの美学〕っていうの?…衰退することが分かっていても、そのコミュニティーの消長と運命を共にするんだ、みたいな入れ込み方って、どこか魅力的じゃない?

 

   それに、児島編集長の訴えには(その内容が正しいかどうかに触れずにいえば)、いわゆる〔海外〕日本語新聞は母体コミュニティーの声でなければならないんだ、という信念みたいなものが感じられるよね。いや、そういう信念って、新聞の思い上がりにもつながりそうだから、実は危険なのかなって、思わないでもないんだよ。でも、何がどうであれ、編集長は(自らそう意識しているかどうかに関わりなく)『南加日報』の創業者である今村徳松の正統の後継者なんだよね。ほら、六十年ほど前に、〈日本人移民の地位を高めるには、本国日本が力をつけ、諸外国に尊敬されるような国にならなければならない〉と信じて、中国大陸での日本軍の行動を無条件に支持し、一方で、日本への愛国精神を高揚させるよう日本人移民たちに訴えたという徳松の、ね。…実際には、徳松の思いとは逆に、日本軍を支援しようという動きが移民たちの中に高まっているという事実が、アメリカ政府に日本人と日系人の収容を急がせてしまったのかもしれないんだけど。

 

          ※

 

   金曜日、四月十四日に戻ると…。

 

   かかってきた何本もの電話から、前日書いた記事とエッセイが読者にどう受け取られたかを確認したあと、行く先をだれにも告げずに突然取材に出かけていた編集長が編集室に戻ってきたのは、午後四時ごろだった。

 

   編集長は、だけど、何を取材してきたかを知りたがっていた辻本さんや僕には声をかけようともせず、そのまま工場に向かった。あとで分かったところでは、編集長は、タイピストの田淵さんと井上さん、それに写植係の相野さんに、その日の三面トップの記事を五時までに書きあげるから待機しているようにと、怒ったような表情で伝えたんだって。

 

   自分の机に戻ってきた編集長はそれから一時間半ほど、取材先で取ってきたメモを見ながら、すさまじい勢いで原稿を書いた。…息が酒臭かったから、取材の相手とは、ほら、いつものファースト・ストリートのバーで会っていたのかもしれない。

 

          ※

 

   その取材の相手がだれだったのかが僕に分かったのは、写植された見出しを(すでに夕食に出かけていた)辻本さんの代わりに校正するよう相野さんに頼まれてからだった。その見出しは(前日よりは小さく)三行六段。≪「恐怖の毎日でした」≫≪パーク理事、植民地体験を語る≫≪会議所内の民族差別にも怒り≫というものだったよ。…編集長がどういう意図でそのインタビューを行なったかが一目瞭然、すぐに分かってしまう(ある意味では正直な)見出しだったな。

 

   記事の内容についていえば、編集長はテープレコーダーを使わない人で、この記事もメモだけを頼りにして一気に書きあげたわけだから、インタビューは細かいところで正確さに問題があったかもしれないけれども、(こういうと変だけど)その分、かえって、(編集長の意図に沿う形で)要領よくまとまっていたよ。…〔進出派〕の人たちが(〔日本に住む日本人〕とおなじように)いかにゆがんだ歴史観を持っているか、いかに国際常識に欠けているか、いかにアメリカ社会の実情に無知であるか、そのせいでいかに[会議所]が混乱させられているか、などということが、日本が植民地として支配していた時代に朝鮮半島で幼少年期を過ごしたパーク理事の言葉として伝わってくるようにね。

 

   〔リトル東京の再開発はできることなら日本・日系資本で〕という会頭の〔問題発言〕に編集長はそんな形で応えたわけだ。

 

   そうそう、記事にはパーク理事の顔写真が添えられていたよ。インタビューの場所と時間を打ち合わせたときに編集長が、写真を用意しておくようにパーク理事に頼んでいたんじゃないかな。…前の日に〔会頭立ち往生〕の写真がなかったことを密かに反省していたのかな。

 

          ※

 

   その日の[海流]も、書いたのは編集長だった。…あの〔いまは何も書く気がしない〕騒ぎのときとはずいぶん違っているだろう?

 

   タイトルは、この日も三面トップの記事を忠実に補足するように≪消えない他民族差別≫≪会議所会頭を弾劾する・二≫となっていたよ。二行目の小見出しは、ひどく安直だし、不要なんじゃないかと、新米編集員としてはちょっと生意気なことを考えたけど、当然、口に出してはいわなかった。それで、その日のエッセイが前日のつづきだってことは、まあ、よく分かったことだし。

 

   こちらの内容は、〈会頭の日系人軽視と他民族差別は同根から出ている〉というパーク理事と〔土着派〕の主張を受けたもので、〔会頭は歴史の真摯な再学習が必要…〕〔偏狭な日本優越主義で隣人を差別する会頭…〕〔ロサンジェルスの多民族混交状況が創り出しているエネルギーを過小評価…〕〔南カリフォルニアの発展に貢献してきた、日系人を含めたマイノリティー・パワーを否定する…〕などといった、言ってみれば、一方的な表現が並んでいたよ。

 

   そんな表現の裏に、会頭も副会頭もパーク理事もみんな同類にしてしまって〈どうだ、ゲスだろう、あの連中?〉と僕に言ったときの編集長のホンネがすっかり隠れてしまっているところが、僕にはなんだか不思議に思えてならなかった…。

 

   いや、いまでは、〈そうか、おおやけに論を張るにはこんな技術、というのでなければ、冷めた分別みたいなものが必要なのかな〉と感じているけどね。

 

           ※

 

 

留学生・横田等のロサンジェルス・ダイアリー (1995) =10= 

8月25日 金曜日

 

この声の日記をつけ始めた日から数えて十一日目。
   今朝は、江波さんに不意打ちを食らわされてしまった。
   そもそも、いつもよりも遅く目を覚ましたのがいけなかったんだよね。あとの行動パターンがすっかりずれてしまって、あの人のところに顔を出したときも、まだ、気持ちがぴりっとしていなかったから。…そうじゃなきゃ、もうちょっとはましな対応ができていたはずだよ。
          ※
   またまた、ちょっと遠回りの説明。
   『南加日報』社があるのは、[ヤオハン・プラザ]があるサードとアラメダの交差点から少し東に行った、倉庫街って趣のある通りだ。…ユニオン・ステーションからあまり遠くないこの辺一帯は、数十年前に鉄道輸送が盛んだったころには、南カリフォルニアの物流基地だったんじゃないかな。使われなくなった線路が、撤去されないまま、まだ、あちこちの路上に残っているんだよ。
   元は倉庫だったと思われる大小の建物をいま使っているのは、(外から見て分かるものをいくつか挙げておくと)厨房器具卸小売業者や、広告看板製作所、インテリアデザイン工房、フィットネス・クラブなどだ。
   児島編集長が前に一度説明してくれたところによると、この一帯の企業は、たいがいは、事業を開始したばかりで、土地代や賃貸料の高い、発展中の地域や場所に会社を構えるに至っていない〔これから〕という企業か、まったく逆に、市場の競争から落ちこぼれそうになりながらも、賃貸料や人件費を削ってなんとか営業をつづけている〔そろそろ〕という企業かの、どちらかなんだそうだ。
          ※
   編集長が何を根拠にそう判断したのかは聞きもらしてしまったけど、通りで見かけるのは、なるほど、トゥエンティーあるいはサーティー・サムシングといった(はつらつとした歩き方の)若い世代か、中間が飛んで、どこか時間を持て余しているといった感じの五十代、六十代の人たちかの、どちらかだって気がするよ。建物の前に、高級ではないにしてもスポーツタイプの車が何台かとめてあるところ(インテリアデザイン工房やフィットネス・クラブなど)では若い世代が明るい将来を夢見ながら、一方、買った当時はステイタス・シンボルにもなっていたはずの大型の(古い)国産(つまり、アメリカ)車が並んでいるところ(厨房器具卸小売業者や広告看板製作所など)では高齢世代が見通しの暗さを嘆きながら、日々働いているんだろうか。
          ※
   そういえば…。編集長には、聞く人や読む人がつい〔なるほど〕と思わせられてしまうようなことを言ったり書いたりする、独特で貴重な才能があるんだよね。観察力が鋭いというのか、分析力に恵まれているというのか、とにかく、物事をうまく、ある型にはめて比べ論じる才能がね。
   そばで働いていて、〔もったいない〕って気がするときがたまにあるよ。だって、(偉そうなことをいうようだけど)あの人、バランスよく物事を見る、独断をさける、きちんと論拠を挙げる、そんな教育や訓練を若いころにちゃんと受けていたんだったら、たとえば『朝日新聞』ででも、いい新聞記者に、どころか、切れ者の論説員にだってなれていたかもしれないよ。たぶん、それぐらい鋭いところのある人だよ、児島さんは。…少なくとも、僕はそう思うよ。
   児島さん自身は〔オレは大新聞社で働きたがるような人間じゃないんだ〕、あるいは(そこまでは肩を張らずに)〔オレは『日報』程度が性に合っているんだ〕と言うかもしれないし、そもそも、論拠をいちいち気にしていたんじゃ、あんなふうにユニークな分析や意見は生まれてこないのかもしれないんだけど…。
           ※
   そんな場所に会社がある『日報』は、じゃあどうなんだって?
   企業としてはやっぱり、〔落ちこぼれそうになりながら〕組に属するんだろうけど、社員の車からは、そのことは分からないんじゃないかな。なぜかと言うと、フレッド社長が[アキュラ・リジェンド]、経理のグレイスさんが[リンカーン・タウンカー]、(無給で働いているタイピストの)伊那さんが[ビューイック・リーガル]、(もう一人のタイピスト)克子さんが[ボルボ850]でそれぞれ通ってくる一方、新聞社の前の路上には、ほら、光子さんの[ホンダ・シビック]や辻本さんの[フォード・エスコート]、田淵さんの[GMキャバリア]、前川さんの[フォルクスワーゲン・ビートル]などといった、かなり古い車もとめてあるわけだから。
   経済的な意味では何もこの新聞社で働かなくてもいいという人たちが、比較的に新しい高・中級車に、全収入をこの新聞社から得て暮らしている人たちが古びた大衆車に乗っているんだなんて、外からじゃ見えるわけがないだろうし…。
          ※
   で、元は倉庫街だったと思われるこの一帯には、僕が知っている限りでは、レストランはない。
   さほど遠くないところに[ヤオハン・プラザ]があって、中にはいくつもレストランがあるし、一階のマーケットでは出来合いの弁当を買うこともできるんだけど、『日報』の社員は、ふだんは、ランチのためにそこまで出かけることはない。みんな、自宅でつくったサンドウィッチなどを持ってきて、(食事用の部屋なんか別にないから)それぞれ自分の席でそれを食べるわけだ。
   工場の一角にあるキッチンでこしらえた(具が入っていない)インスタント・ラーメンをランチとして食べることがたまにはあるものの、僕も、まあ、サンドウィッチ派だ。朝、ホテルを出る前に(ホテルの共同キッチンで)さっとつくっておいたものを工場のキッチンの冷蔵庫に入れておき、ふつうは正午過ぎ、仕事が一段落したところで、急いで食べてしまう、というのがここ五か月間ほどの僕の習慣なんだ。
   だから、ホテルのキッチンの(一つしかない)冷蔵庫な中にはいつも、食パンとハム、チーズ、それにレタス、マヨネーズ、ケチャップが入れてある。選択の幅は、きょうはどの種類のハムにするか、どれぐらいの量のケチャップを使うか、といった程度に限られているわけだから、サンドウィッチをこしらえるのに時間はあまりかからない。…食べ物は、自分の名前を書いた紙を貼ったスーパーマーケットのプラスティック・バッグに入れておく、というのが宿泊客の習慣みたいだよ。小型冷蔵庫を買って自分の部屋に置いている(ガイドの)武井さんみたいな人もいはするけども。
          ※
   きょうは違った。
   昨夜は真紀と長く話し、いつもよりは夜更かしをしてしまったもので、今朝は目覚めが遅かった。だから、サンドウィッチをこしらえる時間がなかった。…いや、この時間までに出社してなきゃだめだ、という決まりなんかない会社だから、ちゃんとこしらえてからホテルを出てもよかったんだけど、ほら、〔午前七時に〕って自分が決めた時間があるじゃない。決めたことは、やっぱり、守りたいじゃない。
   サンドウィッチをつくる時間がなかった日のランチは、この元倉庫街を(土曜と日曜を除いて)毎日巡回しているランチサーヴィスのヴァンから買った何かを食べることになる。…ホットドッグや各種ハンバーガーのほか、ブリトーやタコなどのメキシカンフード、それにソーダやジュース、ミルクといった飲み物がメニューだ。
   新聞社から一番近いところにそのヴァンがやってくるのは、だいたい十一時ごろだ。ラッパみたいな音で合図して、やってきたことを辺りで働いている人たちに知らせるんだ。
   出来合いのコールド・サンドウィッチにしておけばよかったのに、きょう買ったのはホットドッグ。ふだんのランチタイムよりは一時間以上早い、いつもなら、まだ最初のニュースの翻訳に追われている時間だったんだけど、冷めてからよりはいまの方がおいしいだろう、という思いに負けて、僕はすぐに、それも、丸ごとのみ込むような勢いで、そのホットドッグを食べてしまった。…みなが仕事をしている編集室は避けたかったし、通りにただ突っ立ってでは様にならないって気がしたから、新聞社の外壁に背でもたれかかりながらね。
          ※
   (『日報』で働き始める前にはそういう習慣はなかったんだけど)食べ終わると僕は、いつもどおりにコーヒーが飲みたくなった。僕は、グレイスさんが電話をかけていた事務室を無言で通り抜け、『ウォールストリート・ジャーナル』の記事に赤のボールペンでアンダーラインを引いていた編集長にちらりと視線をやりながら、自分の机の上に置いてあったカップを取り上げると、そのまま編集室を通り過ぎて、コーヒーメーカーが置いてある工場のキッチンに向かった。
   工場に足を運んだついでにきょうの広告の量(つまりは、編集部が記事や写真で埋めなくてはならないスペースの大きさ)を確認しておこう、と思いついたのは、コーヒーをカップにつぎ終えた瞬間だったよ。
   僕は(レイアウト係の)江波さんの仕事台に近づいた。江波さんはその時間にはいつも、(写植係の)相野さんと打ち合わせながら、その日に掲載する(生け花教室の発表会の案内やコミュニティー団体の新役員就任報告、あるいは、そうそう、『日米新報』も含めて、いわゆる海外日本語新聞が読まれる最大の理由ともいわれる会葬・葬儀通知などといった)広告の版下づくりをやっているんだ。
          ※
   けれども、僕が近づいたときに江波さんが手にしていたのは、そんな広告の版下じゃなかった。
   「あ、横田君」。江波さんは、一八〇センチメーターほどの背の高さには似合わない、なんだか変に小さな声で言った。「ちょうどいま。これをどうしようかと考えていたところだよ」
   江波さんは、すでにできあがっている求人広告の版下を僕の方に差し出した。
   いや、どこかの企業が掲載してほしいと言ってきたものじゃなくて、『南加日報』社自体が出す、ほら、僕が二月に見たのとおなじ〔編集員募集〕ってやつ。
          ※
   食べたばかりのホットドッグが胃袋から食道に戻ってくるかと思ったよ。
   実際に、頭には血がどっとのぼってきたんだよ。…だって、僕の胸の中では、その広告が次に出されることがあるとすれば、それは、僕が編集長に〔予定どおりにやめさせていただきます〕って正式に伝えたあとのことになっていたし、当然、けさはそんなことを江波さんから聞く心の準備なんかできていなかったから。
   江波さんはつづけた。「月曜日からでも出すようにした方がいいかな、それとも…、なんてね」
   〔それとも〕のあとの空白がずいぶん長かったよ。たっぷり三秒間はあったんじゃないかな。…僕は考え込んでしまった。〈江波さん、〔それとも〕のあとに何が言いたかったんだろう〉って。
   その空白はいろんな言葉で埋めることができそうだったな。〈なるべく早く、きょうからでも?〉とか〈君がやめてしまってからでもいいかな〉とか、そうでなきゃ、一転して、〈ひょっとしたら、君は心変わりして、ここで働きつづける気になっているかもしれないから、この広告は出す必要はないのかな〉とかいった言葉でね。
          ※
   いや、ほんとうをいうと、僕は、江波さんが口にしなかったのは最後の〈ひょっとしたら、君は心変わりして…〉ってやつだったんじゃないかと、ほとんど決め込んでいたような気がする。
   なぜといって…。僕が感じていたことがひどい見当違いじゃなかったら、ときどきわがままを言ってだれかに無理やり[海流]を書かせたくなる児島編集長や、僕の英語力を実力以上に評価してくれている(らしい)辻本さんばかりじゃなく、会社のみんなが、僕ができるだけ長く『日報』で働くようにと願ってくれているみたいだったから。
   思うに、イマムラ社長やグレイスさんは、たぶん、僕が給料の額に不平をいわないという点を、タイピストの人たちや(英語欄レイアウト係の)前川さんは、(やる仕事の質はともかく、見かけによらず)僕がまじめで熱心に働くという点を、それぞれに評価してね。
   だから、僕の方から江波さんに〈その広告を出すの、しばらく待ってください〉だとか〈どうしようかと迷っている最中なんです〉だとか、あいまいなことをいうわけにはいかなかった。…いかないと思った。
   そうだよね?だって、いったん期待を高めさせておいて、あとであっさりやめていく、みたいなことになってはいけないじゃない。そういうのが一番まずいじゃない。…違う?
          ※
   「さっき、ふと気がついたんだけど…」。江波さんは数度、首を横に振った。「もう半月ちょっとしかないんだよね、君がアリゾナへ行ってしまうまでには」
   「ああ、そうですね」。僕はそう言っただけで、あとをつづけることができなかった。
   「編集の方で次にどうしても人が必要なのは、クリスマス・正月特別号を出す十二月だから、まだ慌てなくてもいいような気もするけど、新聞の経験のない人だったら、君はそうじゃなかったけど、ふつうは、仕事を覚えるまでにけっこう時間がかかるみたいだし、何より、これを出しても…」。江波さんは指先でつまむように持っていたその広告版下を上下に数度振りながら苦笑した。「働いてくれる人、今度もすぐには決まらないだろうからね。広告を見てやってきて児島さんと〔委細面談〕した応募者は、ほとんど例外なく、給料の額を聞いた段階で腰を上げるそうだから…。君はたまたま、その〔例外〕だったわけだけど…」
   僕の顔にも(江波さんとは違う種類の、複雑な)苦笑が浮かんでいたはずだ。
   「ときどき、そんな例外の人間が現われて」と江波さんはつづけた。「編集員として働きだしても、若い人は長くつづいたためしがないんだ。少なくとも、僕が見てきたこの十七年間ほどはずっとそうだったよ。…無理もないけどね。『日報』には若い人を引きつけておく〔明るい未来〕みたいなものがどこにもないからね」
   心底からそう思っている、そのことを悔しがっているって感じがあっただけで、皮肉な調子は少しも含まれていなかったんだよ。でも、僕は、なんだか自分が責められているような気がして仕方がなかった。
   「児島さんは…」。江波さんはそこで小さく笑った。「たまたま長くなったよ。だけど、あの人は、ここにやってきたときには、もう四十歳を過ぎていたはずだし、日本でおくさんと別れてから間がなく、人生の先も見え始めていたころだったからね。それに、ここだと、言ってみれば、〔お山の大将〕でいることができたから、あの人、思いのほか居心地がよかったんじゃないかな。〔所を得た〕というのかな。…そうはいかなかったんじゃない、あの人、日本では?」
          ※
   編集長のことをそんなふうに評する江波さん自身はどういう人か、少し説明しておくね。
   国籍でいうとペルー人なんだ、江波さんは。太平洋戦争が始まる前にペルーに移民した日本人夫婦に生まれた六人兄弟姉妹の末っ子で、(ほら、一九八七年まで『日報』で働いていたジャネットさんが幼いころにそうされたように)小学校に上がる直前(一九六三年)に、父親の故郷、宮城県に住む祖父母のもとに送られ、高校を卒業するまでそこで暮らしたんだそうだ。
   「両親の暮らしが楽になってから生まれた子だから、〔口減らし〕のためとかいうんじゃなかったんだよ」と六月の初めごろ、江波さんに話を聞かせてもらったことがあるよ。「そうじゃなくて、ペルーでの暮らしが良くなってきて、心にもゆとりができた親父が〔日本人意識〕みたいなものを自分の胸の中に復活させて、〔子どものうちのせめて一人は日本で育てたい、日本人にしたい〕と考えるようになって、それで、末っ子の僕を日本に送ることにしたみたいなんだ。…いや、〔日本人にしたい〕というのは国籍のことじゃなくて、精神的に、ということね。ちょうど、東京オリンピックの前で、ペルーの日本人移民たちの目が日本に向いてもいたころでね」
   父親の希望どおりに、江波さんは(〔学校の勉強は好きな方じゃなかったけども〕)精神的にはりっぱに日本人として育った。というか、ペルーにいたころの記憶は薄れる一方だったし、日本人以外には、もうなりようがなかったんだね。…そういえば、(ロサンジェルスの日本語テレビ局が南カリフォルニアで毎週土曜日の夜に放映している、NHK製作の)[八代将軍吉宗]を欠かさずに見るほどの時代劇好きに江波さんがなったのは、日本で祖父母といっしょに、ほら、[水戸黄門]や[大岡越前]みたいなドラマを見ながら育ったせいかもしれないね。
          ※
   ところが…。高校を卒業した年(一九七六年)にいったんペルーに戻った江波さんは、たちまち、いわゆる〔アイデンティティー・クライシス〕ってやつに襲われてしまった。
   何より、スペイン語がほとんど話せないことが(〔覚悟していた以上に〕)大問題だった。ちゃんとした日本語が使えるというのは、一方でスペイン語が自由だというのでなければ、大学に進むにしろ、職に就くにしろ、何の助けにもならなかったんだ。…江波さんは〔自分の日本での十数年間はいったい何だったんだろう〕と考えずにはいられなかったそうだ。
   ペルー社会に根を張り、少しずつ地位を向上させている(兄や姉たちを含めた)日系人たちに比べると、自分があまりにも〔ふつうの日本人〕であることも、江波さんには大きなショックだった。兄や姉たちがペルー社会で、一人は医者、他の一人は食品輸入会社の経営者といったふうに手にしていた地位が、江波さんの目には、自分が日本で努力してなんとか行き着けそうな地位よりも何倍も高いところにあるように見えたそうだ。…いや、日本に戻れば、〔ふつうの日本人〕である江波さんにも、物質的には兄や姉たちにはそれほど劣らない暮らしができるかもしれなかったけれども、(〔兄たちがペルーでどんな社会的な地位にあるかを自分の目で見たあとだったからね〕)日本でのそうした暮らしに自分が満足していられるかどうか、江波さんは分からなかった。
   江波さんは、とにかく、ペルーを去ることにした。…事実上日本語しか知らない江波さんはペルーでは、ほら、〔ふつうのペルー人〕にさえなれそうになかったから。
          ※
   「僕を日本へ送り出したとき、親父はどうやら、〔一等〕の国で育てれば自分の子も 〔一等〕の人間になれるのではないか、と考えていたようだけど」と江波さんは言った。「そうはいかなかった。僕は、発展しつづける日本のことを自分自身のことのように誇らしく思うように育っていたんだよ。でも、よく考えてみると、その僕自身は何者でもなかった。…ペルーに戻った僕は、自分が何なのか、どうしたらいいのか、分からなくなってしまっていたよ。だからと言って、そのことで親父に不服を言ったりはしなかったけど…。あの人が僕のために良かれと思ってしたことだからね」
   江波さんは第三の道を選ぶことにした。ペルーと日本はどちらとも避け、アメリカで(英語を勉強して)出直す、というものだった。
   二十歳になる少し前に、江波さんは南カリフォルニアにやってきた。ガーデナ市にある日本食レストランで下働きをしながらアダルトスクールに通って英語を勉強し始めた。…けれども、勉強は長くはつづかなかった。
   江波さんの説明はこうだったよ。「だって、ここじゃ、英語ができなくてもちゃんと暮らせそうだったからね。ペルーと違って、ここには日本人がぞくぞくとやってきていたし、そういう人たちが常に、新しい自分たちの社会を築きつづけていたから、日本語しかできない〔ふつうの日本人〕でしかない僕でもちゃんとやっていけそうだった。…『日報』で〔日本語欄割付係求む〕って広告を見たのはそんなころだったよ。僕はそれに飛びついた。…いや、その仕事に就いたからといって、兄たちとおなじ〔社会的地位〕を手に入れることは望めそうになかったけれど、日本にいたんでは、僕なんかが簡単には就けない類の、けっこう〔社会的意義〕のある仕事のように思えたからね。日本で身につけた日本語の読み書き能力がじかに役立つ、つまり、日本語は会話がいくらかできるだけの兄や姉たちには勤まりそうにない、だれに知られても恥ずかしくない、そんな仕事じゃないかと僕には思えたわけだ」
          ※
   あ、そうだったかもしれないな。…いや、僕自身のこと。
   そんな話を江波さんから聞いた六月初めごろの僕は、この新聞社での仕事が案外おもしろいものになりそうだと感じ始めてはいたものの、まだ半分ぐらいは、ほら、〔時間つぶし〕気分で働いていたわけだから、話を聞いても、江波さんと僕自身を比べてみるようなことはしなかったんだけど…。
   あのあとも、はっきりとこんなふうに意識したことはなかったように思うけど…。
   僕の気持ちが七月に入ったころから少しずつ〈『日報』でこのまま働きつづけてみようかな〉というふうに揺れ動き始めたのは、もしかしたら、この仕事が僕にも、ほら、〔兄や姉たちには勤まりそうにない〕ものに見えてきたから、だったかもしれないな。収入だとか働く環境だとかは、どう見てもいいとはいえないけれども、この仕事だと〔だれに知られても恥ずかしくない〕のじゃないかと僕にも思えてきたから、だったかもしれないな。
   もちろん、それだけが〔揺れ動き〕の理由ではなかったはずだけど。
          ※
   そんな江波さんが『日報』で働きだしてから十七年以上が過ぎている。
   あの人も(児島編集長とは事情が違うにしても)ここに〔所を得た〕一人なんだろうね。
          ※
   「光子も…」。〔編集員募集〕の版下を手にしたまま、江波さんは言った。「編集長と似たところがあるな。もう若いって年齢ではないし、あんな調子で、何を考えて生きているのか分かりにくい女だからこそ、ここで働いていられる、みたいなところ…」
   〔あんな調子〕というのは、もし〔時間に厳しくなれない人だ〕とか〔古い車に乗っているからといって、そんなことを恥ずかしがりはしない人だ〕とか言っているんじゃなかったら、何を指してのことか、僕には見当がつかなかったけど、あのときの僕には、まあ、どうでもよかった。…江波さんがいいたかったことは、たぶん、僕には、『日報』で〔お山の大将〕になる気も、(それが何であれ)〔あんな調子〕で生きていくつもりもないだろうから、僕が去っていくのは当然だ、ということだったんじゃないかな。
          ※
   「いや、実際、若い人が何人も、来てはまた去って行ったよ」。そういいながら、江波さんは高々と視線を上げた。…次々と去っていく〔若い人たち〕を見ながら十七年間黙々と働きつづけてきた自分自身のことを思って、ある種の感慨にふけっていたのかもしれないね。
   「君は学生で…」。江波さんは僕の方に向き直った。「初めから半年間ぐらいだという話だったけど、彼らはたいがいは一、二年。長くても三年。…つまり、ほとんどの場合は、〔『日報』にスポンサーになってもらって永住権が取れたら間もなく〕ね。…しょうがないね」
   この〔しょうがないね〕も僕には意味がよくは分からなかった。江波さんが〔しょうがない〕と思ったのは、あっさりと(『日報』はただの踏み台だった、といわんばかりに)やめていった若い人たちのことのようでもあったし、その人たちを引きとめることができなかった『日報』のことのようでもあった。
   僕はレイアウト台の前に立ち、年間の通し広告以外は、まだ何も貼られていない版下台紙を黙って見下ろしていた。そうしているしかなかった。…江波さんの〔これをどうしようか〕にはまだ結論が出ていなかったからね。
          ※
   幸いなことにというか、思いのほかというか、僕の立ち往生は長くはつづかなかった。
   ちょっと感慨にふけったあとの江波さんは、あっけないほど事務的だったよ。「まあ、いいか。東本願寺の講話の会の広告があとで入ってくるかもしれないとさっきグレイスさんが言っていたから、しばらく待ってみて、これをどうするかは、そのときのスペースの空き具合を見て決めることにするか」
   そういうと、江波さんは、問題の〔編集員募集〕の広告版下をレイアウト台の横の机の上に(ラスベガスのカシノのディーラーがカードを客の前に投げ出すときみたいに)さっと放った。
   僕は何より先に、やれやれ、と思ったんだよ。だけど、一方では、自分の運命がみょうに軽く扱われたような気がして…。
   いや、僕の運命なんて、もともと、そんなふうに軽く扱われても仕方がないぐらい軽いものなのかもしれないんだけど…。
          ※
   とにかく…。アリゾナに移動しなきゃならない日までに僕がどう決断するかは別にして、きょうからだろうと月曜日からだろうと、やっぱり、〔編集員募集〕広告は出してもらうしかないようだった。出すのは待ってください、というわけにはいかなかった。
   広告が出れば、江波さんの読みが外れて、たちまち、〔その条件でけっこう。働かせてもらいましょう〕という人物が出てくるってことも、つまりは、僕の気持ちが去るとも残るとも決まらないうちに次の編集員が見つかって、『日報』に僕の居場所がなくなってしまうってことも、ないとはいえなかったけども、そうなれば、〔それも運命〕だと考えるしかないようだったよ。
   『日報』が急に遠のいたようだったな。
   働きだしてから五か月間ほど。初めてだったよ、あんなふうに感じたのは。
   僕にそんな〔不意打ち〕を食らわせたことに、もちろん、当の江波さんは気がついていなかった。
          ※
   というような具合で、きょうの午前中は最低だったよ。そのあと自分の机に戻ってからでも、〈ああ、決断しなきゃならない日が迫っている〉と思うと、気持ちが乱れてしまって、仕事がまるではかどらなかった。
          ※
   突然だけど、ここでテープレコーダーを置いて、真紀に電話をかけることにするよ。…この週末はリバーサイドには行けないって。
   進路のことで考えなきゃならないことがたくさんあるから、とはいえないから、何か嘘をつくことになってしまうけど…。
          ※
   (十五分後)
   結局、児島さんを悪者にしてしまった。また[海流]のエッセイ書きを急に押しつけられ、原稿を月曜日の朝に提出するよう命じられた、ということにしたんだ。「何を書こうかってさっき考え始めたところだけど、頭の中が空っぽで、こんな調子じゃ、書きあげるまでにうんと時間がかかりそうだから」って。
   何も疑わないんだよね、あの子。
   たとえば、(こんなところでいきなり例に出して悪いけど)遼子さんだったら、〈それ、今夜のうちになんとかならないの?〉だとか〈あすは会えると思っていたのに〉だとか〈ひどい編集長ね。そんなところで働くことないわよ〉だとか、不平や恨みがましいことを何かいいそうな場面じゃない?
   だけど、真紀は違うんだ。そういう類のことをいうかわりに、「大変ね。でも、がんばって」なんてことが、自然にというか、無理も嫌味もなくというか、とにかく、すなおにいえる子なんだ。
   そりゃあ、もっと甘えられてみたいって気がすることもあるよ。ありはするけど、自分がはっきりしない性格だからなのか、僕は、真紀のそんなふうに(いわば)淡白なところに知性みたいなものを感じるし、そこに惹かれてしまうんだよね。
   やっぱり、真紀を〔裏切る〕なんて僕にはできないのかな。…そんな結論になってしまうのかな。
          ※
   振り返ってみると…。
   [ロサンジェルス都市圏日系商業会議所]の〔内紛〕事件の報道が最初だったんだよね。『南加日報』での仕事が(想像していたのをはるかに超えて)おもしろいものになりそうだって感じたの。
   というんじゃ足りないな。だって、ほんの数日間のことだったんだけど、あの事件、頭の中をじかに掻き回されるみたいに刺激的だったんだよね、僕には。…自分が責任を持って取材したとか記事にしたとか、そういうのではまったくなかったのにね。編集長の精力的な働きをそばで見ていただけだったのにね。
          ※
   あれは四月の中ごろだった。…と言ったのでは、なんだか、手軽に製作されたテレビドラマのナレーションみたいだから、ここは新聞記者の〔はしくれ〕らしく、日時をはっきりさせた方がいいな。
   児島編集長が取材先から少し興奮気味で戻ってきたのは、四月十二日の夜八時過ぎだった。
   いや、正直にいうと、あのころはこんなふうに日記をつけていたわけじゃないから、何日だったかは正確には覚えていないんだけど、僕がそんな時間まで居残って、翌日に掲載される(はずの)[海流]の原稿を必死の思いで書いていたのだから、あれが水曜日だったってことは確かだし、おなじ〔四月の中ごろ〕と言っても、十九日だと、ほら、〔大阪からきた女の子〕の出来事があったときに近づきすぎて、僕の記憶とのズレが大きくなってくるから、あれはやっぱり十二日だったと思うわけ。
   あす会社で、あのころの新聞を引っ張り出して調べなおす必要は、ないよね?
          ※
   で、戻ってきた編集長は自分の椅子に腰を下ろすと、(たぶん、僕に聞かせるつもりで)独り言を言った。「あの連中ときたら、ほんとうに、救いようのないゲスばかりなんだから…」
   あのとき僕が書いていたのは、編集員になってから二本目の[海流]用原稿だったんだよね。だから、僕はワープロの前で四苦八苦していて、編集長がどんな様子で帰ってこようと、そんなことにかまっている余裕はなかった。〔あの連中〕がだれのことかも、まあ、どうでもよかったし、〔ゲス〕も最初は、〔推測する〕とか〔当て推量する〕とかいう意味の英単語の日本語ふう発音に聞こえてしまい、〔下司〕か〔下種〕、そうじゃなきゃ〔下衆〕という日本語の単語だったんだと気づくまでにはちょっと時間がかかってしまった。
          ※
   でも、いったんそう気がついてみると、〈どの漢字を当てるにしろ、取材してきた相手のことをそんなふうに呼ぶのはふつうじゃないんじゃないか〉と僕には思えてきた。だから、僕はなんとなく手を休めてしまった。
   僕が顔を上げたことを見て取った編集長は、〔オレ、じゃまする気はないんだよ〕みたいな表情をいったん見せたあと、今度ははっきりと僕の目を見据えながら言った。「欲はいかんぞ、横田君」
   僕は、自分が欲深いとか欲張りだとかいわれているんじゃないってことは、編集長の口調と表情から分かったものの、その〔欲〕が何を指しているのか、〔いかん〕のがだれなのかはまるで見当がつかなかったから、精一杯に怪訝そうな目つきで編集長の目を見返したよ。
   児島さんは僕のそんな反応を待っていたみたいだった。「それぞれ、自分の仕事では社長や会長と呼ばれている連中なんだけど、ああなると、見苦しいな」
   その〔ああなると〕も、当然、何のことだか僕には分からなかった。
          ※
   あのころの僕は、編集長が(どういう人物であるかについては、まだよく理解できていなかったけれども)そんな話し方が得意な人だってことには、もう気がついていたよ。…まず、いきなり、聞き手がまったく予期していなかったこと(ここでは「欲はいかんぞ」)を口にして、相手が〈何を言ってるんだろう、この人?〉みたいな(編集長が計算したとおりの)反応を見せると、次に少しだけ、〈〔欲張り〕だといわれているのは〔社長や会長と呼ばれている人たち〕なんだ〉と分かる程度のヒントを出して、相手の注意や関心をつないでおき、そこで再び〔ああなると〕みたいなあいまいな言葉づかいをして、相手を完全に自分の話に引き込んでしまう、そんな〔話し方〕がね。
   そうそう、ほら、あの人が六月に書いた例の、[ドジャーズ]の野茂投手に関するエッセイが大方そうだったじゃない。〔筆者はこういうのが嫌いだ。こういうのとは、日本人の態度のことだ。どんな態度かといえば…〕って書きだしのやつ。…あそこでは、相手の反応を見ながら、というわけにはいかなかったから、いったん意表をついたあと、たたみかけて書いたわけだけど、読む人はまず〈〔こういうの〕って何のこと?〉〈その〔日本人の態度〕ってどういうの?〉って、やっぱり思っちゃうじゃない。先を読んでみようかって思うじゃない。
          ※
   で、〈うん、これはなかなかの話術だ〉みたいに感心しながら、僕は〈その〔社長や会長と呼ばれている連中〕がいったい何をしでかしたのだろう〉といっそう耳を傾けたわけだ。…その時点で僕は、書きかけの文章を〔保存〕して、ワープロのスイッチを切ったはずだけど、そこまでは覚えていない。
          ※
   そのあと編集長が話してくれたこと、その後数日間に編集長が記事にしたこと、[海流]で論じたことなどをまとめて、その四月十二日に起こったことを説明すると…。
          ※
   あの日編集長が取材に出かけていたのは、リトル東京の東の端に近いところにある禅宗寺の付属施設の一室を借りて開かれた[ロサンジェルス都市圏日系商業会議所]の〔秘密〕緊急理事会だった。
   [会議所]は、実は、一階にデューティーフリーのみやげ物店が入居している(サード・ストリート沿いの)ビルにオフィスを構えていて、そこには会議室もあるんだけども、あの夜は、部外者をすべて遠ざけておいて密かに懸案について話し合おうというので、人目につきにくい(はずの)禅宗寺の部屋を借りていたんだそうだ。
   〔秘密の〕理事会だったはずなのに児島編集長が取材に出かけていたのはどうしてかって?
   そこなんだけど…。実は、会頭と副会頭の仕事を支える形で十二人いる理事の中に一人、〔秘密〕理事会がその日、何時に、どこで開かれるかを編集長に漏らした、というか、通報した人がいたんだよね。
          ※
   裏切り者?
   そう言えないこともないんだろうけど、あのころ、理事会内部は、そんな通報者が出てもおかしくない程度に混乱していたみたいだよ。
   というのは…。議決権を持つ(会頭と副会頭を含めた)十五人で構成されている理事会は、当時、四派に分かれていて、しかも、その四派がそれぞれ自分たちのグループの利益を守り通そうというので、議題によって(編集長の言葉でいうと)〔合従連衡の組み合わせを融通無碍に変えて〕いたんだって。だから、何かを決めるにしても、全体が一致してそこに向かって前進するということは少なく、合意事項にも、本来なくてはならないはずの拘束力がなくなっていたんだね。
          ※
   その四派というのは、一つは、リトル東京を中心とする地区で昔から事業・商売を営みつづけている(編集長の命名によると)〔土着派〕日系人グループ(代表理事七人)。もう一つは、この二十年ほどのあいだに日本からやってきて(ロサンジェルスダウンタウンから一〇マイル、一六キロメーターほど南に位置する)ガーデナ市やトーレンス市に営業拠点を設けた〔進出派〕日本人グループ(代表理事六人)。三つ目は、〔経営者が老齢化したけれども後継者がいない〕などの理由で事業・商売をやめた日系人に取って代わるようにリトル東京地区に入ってきたチャイニーズやコーリアンの(なぜか)〔外国人〕グループ(代表理事一人)。最後は、この数年のあいだに日本から移ってきて南カリフォルニア各地でレストランや貸しビデオ屋、美容院などの商売を始めた〔新参派〕日本人グループ(代表理事一人)。
   [会議所]のメンバーとしては、ほかに、戦前あるいは終戦直後からガーデナ市一帯で商売をしてきた、もとは[ガーデナ日系商業会]に属していた、〔土着派〕に近い人たちがけっこうたくさんいるんだけど、このグループはもう長年、理事を出していないそうだ。
   いや、実をいうと、会頭はもともとこの[ガーデナ日系商業会]グループに属していた人なんだそうだ。だけど、商売上の利害は〔進出派〕と共にすることがほとんどだから、というので、この人、いつの間にか〔進出派〕に鞍替えしてしまったんだって。
   で、問題の四月ごろ、副会頭は〔土着派〕が出していた。
          ※
   いうまでもなく、チャイニーズとコーリアンのグループは、民族についていえば、いわゆる〔日系〕じゃないんだけど、(おもに)リトル東京地区で増大しつづけている影響力を反映して、理事を一人出していたんだ。
   この人たちを[会議所]のメンバーとして迎え入れるかどうかでは、数年前に、日系・日本人メンバーが〔純潔派〕と〔交流派〕とに分かれて、ずいぶんもめたことがあるそうだよ。…そのときは、自分の地区の発言力を強めたいリトル東京の〔土着派〕が一致して〔交流派〕に固まって奮闘し、迎え入れを承認させたんだって。
   で、あの日。児島編集長に通報してきたのは、〔土着派〕でも〔進出派〕でもなく、リトル東京のセカンド・ストリートで焼き肉レストランをやっている、〔外国人グループ〕のコーリアン、パーク理事だった。
          ※
   編集長からこの辺りまで説明を聞いたとき、僕はもう、いくらか気分が昂ぶっていたよ。
   なんでって…。あのころの僕は、十月からはフィニックスの大学で経営学を勉強するんだって、何の迷いもなく思っていたわけじゃない。だから、南カリフォルニアの小実業家たちが(たぶん、経営学の理論や数字が教えないだろうところで)繰り広げる競争の現実がどんなものなのかについては、当然、興味を覚えた、というか、知りたいと思ったし、しかも、その現実というのが、なにやら、ひどく生臭いもののようだったから…。
          ※
   パーク理事が児島編集長に通報してきたのは、だけど、二人が友人同士だったから、とかいうんじゃなかった。実際、編集長はパーク理事のことを見知ってはいたものの、それまで親しく話したことはなかったし、パーク理事が編集長のことを知っているとも思っていなかったんだ。だから、編集長にとって、この通報はまったく〔意外な人物〕からのものだった。
   一方、パーク理事の方は、編集長のことを間接的に、特に[海流]のコラムニストの一人として、よく知っていた。…ああ、そうなんだ。パーク理事は(日本には観光目的で短期間行ったことがあるだけなんだそうだけど)、日本が〔占領統治〕していた時代に朝鮮半島で育った多くのコーリアンがそうであるように、いまでも日本語の読み書きができるんだって。で、できるから、『日報』を定期購読していて、編集長の論の張り方、特に〔日本に住む日本人〕に批判的なところにしばしば共鳴していたんだそうだ。           ※
   編集長は、パークさんのことを僕に話したとき、説明ができるだけ客観的に聞こえるよう努めてはいるようだったけど、表情がときどき〔得意満面〕ってふうになるのを抑えることはできていなかったな。…〈この人、けっこう無邪気なところもあるんだな〉って感じたことを覚えてるよ。
   いや、もちろん、いまでは、ただ〔無邪気な〕だけの人じゃないってことが僕にもよく分かっているんだけどね。
          ※
   [海流]を読んで児島さんの物の考え方がよく分かっていたパークさんは、その、問題の〔秘密〕緊急理事会にはぜひとも編集長に顔を出してもらわなくては、と考えたんだそうだ。
   なんでそう考えたかというと…。パークさんは以前から、編集長が、一、南カリフォルニアの日系・日本人社会について真摯で多大の関心を持ちつづけている、二、常に日系・日本人社会の利益を擁護する観点、立場から意見をいう、三、その意見は切れがよくて、公正で分かりやすい、四、何者も恐れずに発言する、などといった点を高く評価していたんだって。
   僕は、〔常に日系・日本人社会の利益を擁護する〕と〔公正〕とは並び立たない、というか、そもそも、すっかり矛盾しているんじゃないかと思うんだけど、とにかく、編集長の説明はそうだったよ。
          ※
   で、パーク理事はあの日、予定されていた緊急理事会は〔秘密〕にしない方がいい、と考えていた。〈秘密にしたために歯止めがなくなり、話し合いがもつれて[会議所]が分裂するようなことがあってはならない〉〈分裂すると、日系人、日本人、それに、その人たちに混じって事業を営むチャイニーズやコーリアンたちの、立法や行政などに対する発言力が低下する〉〈発言力が低下すると、関係当局からの支援や援助が受けにくくなり、コミュニティー内の商業経済活動が停滞してしまう〉〈そんなことにならないよう、ここは、話に適度なブレーキをかける第三者の公正な目があった方がいい〉といった具合に考えていた。
   そして、その〔第三者〕は、パーク理事にはどうしても、〈たとえ会頭あるいは副会頭が理事会の会議場への入室を拒んでも入りきるだけの〔力技〕を備え、しかも、経済活動とは違った分野でコミュニティーに〔影響力〕を持っている人物でなければならなかった〉のだそうだ。
          ※
   緊急理事会はは午後四時から開かれることになっていた。
   児島編集長は三時過ぎにはもう、禅宗寺の駐車場の一角に自分の車([ポンティアック・グランダム])をとめ、中から、会議で使われる二階の一室の出入り口とそこにつづいている通路とを見張る態勢に入っていた。…理事会が始まる前に、その部屋の外でだれかがだれかと〔密談〕するかも知れなかったし、それを見れば、だれとだれが〔つるんでいる〕かが分かって、記事が書きやすくなるから、というのが編集長の説明だったけど、どうしても事前にしておかなけれならない〔密談〕だったら、みんなとっくに、どこかほかの場所ですませていたんじゃないかな。
   いや、実際に、その点では収穫は何もなかったらしいよ。…それぞれ自分の車でやってきた理事たちは、一人の例外もなく、まっしぐらにその部屋に入って行ったそうだから。
          ※
   その見張りは、それでも、〔秘密〕理事会に入り込むための作戦を考える時間を編集長に与えたようだよ。
   編集長が立てた作戦はこうだった。「入室を拒むのが〔進出派〕だったら、(ガーデナ市内の家庭用電気製品販売店のオーナーである、六十代も半ばを過ぎた)会頭が、実は、賭けゴルフ狂いで、一ラウンドで数千ドル負けたことが何度もあるのに、その負けた分をなかなか払わない、[ロサンジェルス都市圏日系商業会議所]の会頭としては、これは二重三重の意味で、品位に欠ける、けしからん行為だ、というエッセイを、もし〔土着派〕だったら、(リトル東京にある保険代理店の経営者である、会頭とほぼ同年齢の)副会頭が、別れた夫とのあいだに三人の子を持つメキシカンの女性を数年前から、副会頭の自宅から遠くないサンゲーブリエル市内のアパートに囲っているが、これは、副会頭夫人が長年病弱だからといっても、道徳上問題ではないか、というエッセイを、それぞれ[海流]に書くつもりだ、と言って脅して黙らせる…」
          ※
   編集長の話では、会頭の行ないが〔けしからん〕のは〔賭けゴルフ〕をすることなのか〔負けた分をなかなか払わない〕ことなのかがはっきりしていなかったし、副会頭が〔メキシカンの女性を囲っている〕というやつでは、病弱な夫人がいる副会頭に編集長がいくらか同情しているようにも聞こえたから、そんなことでほんとうに〔脅して黙らせる〕ことができるんだろうかと怪しんでしまったけれど、僕はとりあえず、「そういうやり方って、新聞記者としての倫理みたいなものに反するんじゃないんですか」というふうにたずねてみた。
   〔倫理に反する〕と決めつけたんじゃ生意気すぎるように聞こえるだろうと考えたから〔みたいなものに〕などとぼかしたんだよね。でも、編集長には、そんな違いはどうでもいいことのようだった。
   「そうだろうな」。あの人は、僕が拍子抜けしてしまうほどあっさりと、そう答えたよ。「だけど、横田君、公共の利害に大きく影響するかもしれないことをこっそり話し合おうと考える連中が相手なんだよ。汚い手を使う覚悟も少しはしておかないと、取材なんかできないよ」
   「でも、〔賭けゴルフ〕とか〔囲っている〕とか、そういうの、事実なんですか」と僕はたずねた。
   遠慮がちにたずねたつもりだったけど、考えてみれば、これはずいぶん危ない質問だったんだよね。だって、〈根も葉もないことをいい立てて、それで取材させろと要求するつもりじゃないでしょうね〉とたずねたのも同然だったじゃない。
          ※
   ほっとしたことに、編集長はここでも、別に気を悪くしたような様子じゃなかった。
   「〔一ラウンドで数千ドル負けたことが何度もある〕というのは、まあ、はったり、でたらめ、言葉のアヤ。ほんとうは〔数百ドル〕だってことだけどね…」。そういうと編集長は片頬で笑った。「少しは的外れを言っておく方が、愛嬌がっていいんだよ、新聞記者は。刑事や検察官じゃないんだから。…だけど、ほかの話はある筋から僕が直接聞いたもので、間違いないよ」
   〔新聞記者は愛嬌がある方がいい〕というのは、編集長が自分の経験から得た貴重な知恵なんだろうと思うと、理解できなくはないって気がしたよ。でも、〔ある筋から僕が直接聞いたものだから間違いない〕というのは、(偉そうなことをいうと)ちょっとおかしいと思わないわけにはいかなかったな。だって、〔直接〕というのは、会頭から〔数千ドル〕を巻き上げた人物(たち)から自分がじかに証言を取ったとか、そのメキシカンの女性が住んでいるアパートを確認し、副会頭が通ってくるところを自分の目で見たとか、そういうのじゃなきゃいけないんじゃない?…まして、そういうのを〔脅し〕のネタとして使おうというんだから。
   僕がまだ不審そうなそうな表情をしていたからか、編集長はつけ加えた。「ほら、例の〔信頼できる筋〕からの情報だよ」
          ※
   会頭のシルバーグレイのメルセデスベンツが駐車場に入ってきたのは、ほかの理事たちが全員部屋に入ったあとの三時五十五分ごろだった。編集長は(見張りに成果がなかったことにいくらか落胆しながら)自分の車から出て、会頭の車に近づいた。
   そんな場所にいるはずのない編集長の姿をウィンドーのガラスの外に見た会頭は、これ以上はないというほど不快そうな表情を見せたものの、とりたててうろたえることもなく、静かに車から出ると、背広のポケットから[ダンヒル]の箱を取り出しながら編集長にたずねた。「だれなんだ、君に知らせたのは?」
   編集長はそれには答えず、こう応じた。「〔秘密〕はいけませんよ」
   会頭はタバコに火をつけ、不快さをいっそうあらわにした顔で言った。「事を混ぜっ返す、君みたいな人間がいるから、秘密にしなきゃならんときがあるんだよ」
   僕は〈ああ、そうなのか。児島さんは、少なくとも一部の人たちには〔事を混ぜっ返す〕人物と見られているのか〉と思いながら耳を傾けていたよ。
          ※
   編集長は負けていなかった。「コミュニティーの中のおかしな動きにブレーキをかけるのもわたしの役目だと自分に言い聞かせて、誠心誠意で働かせてもらっているんですがね」と会頭に応えた。
   会頭はいっそう顔をしかめて言った。「君の筆の暴走はどうなんだ?…ブレーキをかけてくれる者がどこかにいるといいんだがね」
   というような話を、児島さんは(やはり、いくらか得意げに)してくれたわけだけど、自分のどんなところが〔筆の暴走〕と言われているんだろう、というふうにはぜんぜん考えていないようだったよ。…そんなことを言われるのは、自分の記事やエッセイが相手の痛いところを突いているからだ、とでも受け取っていたのかな。
          ※
   会頭は憮然とした表情のまま、会議室に向かって歩きだした。肩を並べるような格好で、編集長も足を運んだ。
   会頭は言った。「むだだよ、ついてきても。取材はさせないよ、きょうは。全員一致で決めたことだから」
   用意していた手を編集長が使うときだった。編集長は会頭の耳に口を近づけ、ささやくように言った。「最近あちこちで、会頭が賭けゴルフに狂っているって話を耳にするんですがね。それも、数千ドル単位の額のカネが動く賭けで…。ずいぶん負けているそうじゃないですか」
   〔脅し〕は、編集長が期待していた以上に効果があった。
   会頭は、編集長の〔数千ドル単位〕という指摘をあえて否定することもなく、ただ、苦々しそうにつぶやいた。「僕が黙認しても、ほかの理事が反対するさ」
          ※
   会議室のドアを開けると会頭は、中のだれかが口を開く前に、背後の編集長をあごで指し示しながら言った。「どなたかこの男を追い返してくださいよ。どこで聞きつけたものか、そこで待ち伏せしていたらしくて…」
   会議があることを編集長に知らせていたパーク理事は、いったん顔を上げはしたものの、すぐに机の上の書類みたいなものに視線を落とした。
   「いや、いや、〔秘密〕はいけません」。駐車場で会頭に言ったことを編集長は、だれへともなく、大声でくり返した。
   部屋の奥から副会頭が進み出てきた。
   副会頭は、だけど、しかめっ面ではなかった。「よりにもよって、会頭、コミュニティー内で最悪の人物に捕まってしまいましたね」というと、背後の理事たちに向かって、皮肉な調子で叫んだ。「どうしましょう、みなさん?腕力で追い返しますか?」
   何人かが冷ややかに笑った。
   〔コミュニティー内で最悪の人物〕と評されたことについても、児島さんは何もコメントを加えなかったよ。そんな評も、あの人にとっては、改めて反応するほどめずらしいものではなかったのかもしれないね。
          ※
   ところで、五月になってから編集長から聞いたことなんだけど、〔副会頭がメキシカンの女性を囲っている〕という話は、まるっきりのでたらめだったんだって。
   いや、副会頭がときどき訪ねるメキシカン女性は実際にいたんだよ。でも、この女性は、数年前から(副会頭の病弱なおくさんが特に体調を崩したときに)副会頭の自宅で家事をやってくれている人で、緊急の際には副会頭が自分で送り迎えをしていたんだそうだ。…その女性の家で副会頭を(たまたま何度か)見かけただれかがあんな噂を立てたんだろうね。
   「〔信頼できる筋〕にも信頼できないときがある、ということだよ、横田君」。編集長はあっけらかんと言った。「だけども、あのときは、僕は、まあ、ついていたといえるよ。だろう?駐車場で捕まえたのが会頭でなくて副会頭だったのだったら、僕は、ありもしないことをタネにして〔脅す〕ことになっていたわけだから、副会頭を無用に怒らせて、理事会の取材はまったくできていなかったかもしれないからな」
   〈取材ができたかできなかったかを気にするよりも、そんなあやふやな情報を鵜呑みにしていた自分を反省した方がいいんじゃないかな、編集長は〉と僕は思ったけど…。
          ※
   児島編集長を室外で待たせておいて行なわれた理事たちの話し合いは五分間ほどで終わった。
   編集長があとでパーク理事から聞いたところによると、〈いまさら追い返したのでは、かえってうるさうことになってしまうかもしれませんな〉という副会頭の意見に、一人を除いて全員が同意したんだそうだ。…〔うるさいこと〕というのは、ほら、何を書きたてられるか分からない、というような意味だったんじゃないかな。
   〈一度決めたことだから、編集長の取材はやはり拒むべきだ〉と主張しつづけたのは、会頭の〔進出派〕でも副会頭の〔土着派〕でもなく、そのどちらからも中立だと思われていた〔新参派〕の理事だったらしいよ。…古参理事たちのあまりにも〔変幻自在〕で〔ご都合主義〕の会運営に反発した様子だったんだって。
          ※
   編集長を部屋の隅に座らせておいて始まった理事会は、議長である(〔進出派〕の)会頭が「きょうは議決することが目的ではありませんから、みなさん、一つ、忌憚のないところで、おおいに話し合っていただいて…」と言ったところで、たちまち 〔荒れ模様〕 となった。
   〔土着派〕の理事の一人が〈会頭が〔さきの問題発言〕に関して正式に謝罪するのでなければ、会頭不信任案を提出しなければならなくなる〉とまくしたてたからだった。
   これに対して、〔進出派〕の理事の一人が〈それは約束と違う。きょうは、例の発言について会頭の再説明があるだけだ、というので出てきたのであって、何かを議決するというのなら、いますぐ退席させてもらう〉といきり立った。おなじ派の理事二人がこれに合流した。…会頭を含め、〔進出派〕の六人全員が考えを一つにしていることが他派に伝わるにはそれで十分だった。
   会頭不信任決議は、十五人の理事のうちの三分の二、十人以上が賛成しなければ成立しないという規定だから、〔進出派〕は、六人が全員そろって反対すれば、決議案をあっさり拒否することができたわけで、〔土着派〕理事の〔まくしたて〕と〔進出派〕理事の〔いきり立ち〕には事実上、何の意味もなかったんだけど、会の雰囲気を決める働きは、それぞれ十分に果たしたんだって。
   もっとも、パークさんは、会が終わったあと、この理事会が分裂の危機を迎えることなく〔荒れ模様〕ですんだのは、出席していた理事たちが編集長の目を気にして、過激な意見の提出をひかえたからだ、と評したんだって。…編集長は、自分の存在価値が認められたものと受け取ってにんまりしているようだったけど、パーク理事はむしろ、〔児島編集長をこっそり招いておこう〕という自分のアイディアを自画自賛していたんじゃないかな。
          ※
   念のために言っておくと…。こういう話を僕は編集長から日本語で聞いたわけだけど、理事会で公式に話されるのは英語なんだよね。ともに戦後の移民である会頭や副会頭、パークさん、それに、〔進出派〕と〔新参派〕の理事たちは日本語を使いたいところだろうけども、なんと言っても、[会議所]はアメリカの団体だし、しかも、副会頭を除けば〔土着派〕の理事たちは(そのうちの四人が三世で)日本語がほとんど理解できないそうだから…。
          ※
   [ロサンジェルス都市圏日系商業会議所]というのはもともと、内部がそんなふうにぎすぎすした団体だったのかって?
   いや、そうじゃなかったらしいよ。…どちらかといえば、親睦が主な目的みたいな団体で、例の[リトル東京フェスティバル]を支援したり、中南米の日系商工団体と交流したりはしていたものの、独自の事業や経済活動はほとんどやったことがなく、したがって、[会議所]内で利害や意見が深刻に対立するようなことはなかったんだって。
   じゃあ、その日にもめていたのはなぜ?
   児島編集長によると、「日本の〔バブル経済の崩壊〕が原因といえば原因」なんだそうだ。というのは…。
          ※
   ロサンジェルスダウンタウンにはまだ、リトル東京を含めた周縁部に、空き地というか、ビルが建っていない空間というか、駐車場としてしか利用されていない土地というか、とにかく、その価値が最大限に活かされているとはいえないスペースがけっこうあるんだよね。
   空き地が目立つようになったのは、一九八七年に発生したウイッティア地震のあとだそうだ。この地震によるロサンジェルス一帯の被害は、(日本でも大きく報道された)去年(一九九四年)のノースリッジ地震のときほどには大きくなかったんだけど、それでも、あちこちで古い(特にレンガ造りの)建物が壊れた。そこで、州や郡、各市は、耐震構造を強化する方向で建築基準を見直すことにした。
   ロサンジェルスダウンタウンのあちこちに数多く残っていた古い建物も、地震で受けた損害の程度に関わりなく、すべてが新基準の適用対象となった。そして、改善・修繕命令を受けた建物のうちの多くが、費用がかかりすぎるとして、次々と取り壊され、そこが更地になって行った。
          ※
   その後の一、二年間は、空き地の再開発・有効利用のアイディア・コンテストのような状況が展開した。〔いくつかの商業ビルとオフィスビル、ホテルをつなぐ形でプロムナードを敷き、その両側に小粋な小売店を並べる〕というようなアイディアを盛り込んだ完成予想図がしばしば[ロサンジェルス・タイムズ]などに掲載された。ロサンジェルス市はどの再開発アイディアも大歓迎し、事業遂行には協力を惜しまないという姿勢を見せた。
   で、提出される再開発アイディアには、ほとんど常に、日本の大きなホテルやディベロッパー、建設・建築会社などが絡んでいた。…あのころの日本は、それほど景気がよかったんだね。
          ※
   ところが、一九九〇年代に入ると、その日本の経済がおかしくなった。華々しく発表されたアイディアの大半があっさりと放棄された。あちこちに手つかずのまま、空き地が残った。駐車場として利用された土地はましな方だった。
   リトル東京のセカンド・ストリート沿いの、[ホンダ・プラザ]の向かい側の土地も、やはり、日本企業が絡んだおおがかりな再開発計画が前にあったところだ。
   で、その計画が実現していたら、[会議所]のあの〔内紛〕は起きていなかった…。
          ※
   この空いた土地をうまく利用して地区を活性化したいと、ほかのだれよりも真剣に考えたのが(リトル東京で保険代理店を営んでいる)〔土着派〕の副会頭だった。…いや、(編集長がいうには)リトル東京が賑やかになったところで、副会頭は、自分の代理店が扱う保険の加入者が増えるわけではなかったけれども、活性化すれば、その推進者としての栄誉はコミュニティー内で得られそうだったし、[会議所]での地位も確かになるに違いなかったからね。※
   「副会頭がそんな栄誉だとか地位だとかをほしがるのは…」。編集長は言った。「横田君、なぜだと思う?」
          ※
   日本の大学でいちおう経営学を勉強してはいたものの、実社会のことはほとんど何も知らないみたいなものだからね、僕には、そんな人たちが人生の終盤近くになって何をどう考えるかなんて、見当もつかなかったよ。
          ※
   編集長は(たぶん副会頭の姿を思い浮かべながら)冷ややかな口調で言った。「褒章だよ、横田君。…日本政府から褒章を受けたいんだよ。勲六等なんとかって、ああいうの。副会頭だけじゃないよ。こっちで〔功なり名とげた〕と自分で思い込んでいる日本人は〔身引く〕前に、みんな褒章をほしがるんだ」
   〈なるほど〉と得心してから、僕は編集長に言った。「でも、褒章ほしさにしろ、コミュニティーの利益のために動くんだったら、それはそれでいいことなんじゃないんですか」
   「たしかに、そういう意見もあるだろうな」。編集長は答えた。「しかし、ほしがるのは副会頭一人ではない。〈あいつがもらったのなら、俺も〉〈あんなやつが褒章を狙って動いているのだったら、俺だって〉と考えるやつがほかに出てくる。そこで、欲と欲がぶつかり、おかしなことになる」
          ※
   副会頭が〔土着派〕のほかの理事たちに呼びかけて私的な勉強会を始めたのは昨年(一九九四年)の中ごろだったそうだ。
   勉強会に結集した理事たちはすぐに、〈南カリフォルニアの日系・日本人コミュニティーの将来の充実と発展のためにはリトル東京の活性化が欠かせない〉という点で合意した。〈韓国系コミュニティーにコーリアタウンが、中国系コミュニティーにチャイナタウンが、ベトナム系コミュニティーにリトルサイゴンがあるように、日系・日本人コミュニティーにも、やはり、その発展の核となる町がなければならない〉〈その核となるべきところは、当然、移民史の中で日本人と日系人の暮らしの中心でありつづけてきたリトル東京でなければならない〉〈一九九〇年代になってから、リトル東京の再開発が停滞しているのはまったく残念なことだ〉といった意見も簡単にまとまった。
   副会頭と理事たちは、そのコーリアタウンとチャイナタウン、リトルサイゴン、それに、ロサンジェルス市の東に位置する(おもに)アルハンブラ、モンタレーパーク、サンゲーブリエルの三市で発展しつづけている〔新中国人街〕の視察も実行したし、一方で、過去に一度浮上したもののいつの間にか立ち消えていた、いくつかのリトル東京再開発アイディアの見直し、研究も行なった。
          ※
   〔土着派〕の活動が勉強会程度にとどまっていたあいだは、[会議所]内に反発する者はいなかった。…どうせ〔絵の描いた餅〕に終わる、と見られていたんだ。再開発を自力で促進する資金が〔土着派〕にあるわけはなかったし、彼らのアイディアに乗って資金を提供する日本企業も(なにしろ、バブル経済崩壊後のことだから)あるはずはなかった。
   様相が変わってきたのは、ことしになって、副会頭が〈日本資本とは違って、まだまだ南カリフォルニアに投入されつづけている韓国または台湾系の資本の協力を得てリトル東京の再開発を進めるというのはどうだろうか〉という試案を出してからだった。この試案には〈多民族の移民が集中しているロサンジェルスならではの、特色のある再開発ができるかもしれない〉というコメントがついていた。
          ※
   つけ加えておくと…。
   副会頭はもともと、ほら、〔交流派〕の代表として、コーリアンやチャイニーズの商業経営者を[会議所]に積極的に迎え入れた人で、その新しいメンバーが熱心に経営を行なえば、その分だけリトル東京の活力が増すはずだ、という考えを持っていたわけだから、〔韓国または台湾系の資本の協力を得て〕というアイディアには、(その〔韓国系〕であるパーク理事を含めて)だれにも影響されることなしに、ごく自然にたどり着いたんだそうだ。
          ※
   で、副会頭の新たなアイディアを耳にして、だれにもまして〔おもしろくない〕と受け取ったのは、自分自身は戦後すぐに移民してきた〔古株の〕日本人なのだけれども、いま家庭用電気製品販売店を営んでいるのがガーデナ市内で、店の客の大半が近年日本から渡ってきた日本人だから、というので、〔いつの間にか〕進出派〔の代表におさまってしまっていた会頭だった。
   会頭がおもしろくなかったのは、個人的には、ほら、自分とおなじころにアメリカにやってきた副会頭に褒章の先手争いでひどく後れを取ったように感じたからだったんだろうけど、一方、リトル東京から南へ一〇マイルほど離れた地域で事業を行なっている人たちの集まりである〔進出派〕の代表としては、韓国または台湾系の資本の協力を得ようという副会頭の考えを〔現実的ではない〕あるいは〔そんなことであの土地の再開発ができるわけはない〕と決めつけて、ただ無視しているわけにはいかなかったからでもあった。
   というのは、この二つの国からの南カリフォルニアへの資本進出はここ数年間、それぐらい、つまり、どんな開発計画でもたちまち実行してしまうのではないかと思えるぐらい、激しく積極的なんだって。だから、だれかが〔土着派〕と話を進め、リトル東京での商業開発に乗り出す可能性はけっしてゼロではなかったし、万が一にもそうなれば、ガーデナ・トーレンス地域の日系人、日本人の目と足が再び(昔みたいに)リトル東京に向くことにもなりかねなかった。
   会頭としては、(褒章の先手争いのことも頭をかすめていたかもしれないけれども)まずは、〔進出派〕内でのいまの地位を失わないために、〔土着派〕のアイディアに(編集長のいい方にしたがうと)〔少なくともケチをつけておく〕必要があったわけだ。
          ※
   会頭はコミュニティー内のメディアを利用して劣勢から抜け出そうと考えた。
   会頭が選んだのは ともに歴史と伝統のある『日米新報』でも『南加日報』でもなく、会頭の家電販売店が毎刊一ページ広告を出している(日系スーパーマーケットなどで月に二回無料配布されている)日本語情報誌だった。その雑誌の[がんばれ社長さん]という(いかにも〔ローカル〕って感じがする)シリーズもののインタビュー記事の枠を、(〔土着派〕の理事の一人が調べ出して分かったことらしいんだけど)店の広告掲載契約を長期更新するという形で買い取ったのだった。
   このインタビューでは、社長たちがそれぞれの〔夢〕を披露することになっているんだよね。
   で、会頭もおおいに自分の〔夢〕を語った。…家族が安心して手軽に遊ぶことができるアミューズメントパークと〔日本人〕向きの商品が何でもそろっているショッピングモールとを一体化した、〔日本人〕ファミリーのための商業センターをガーデナ・トーレンス地域につくりたい、という内容の夢をね。
   僕が『日報』で働きだす少し前、三月初めのことだったそうだ。
   このインタビュー記事は[会議所]の〔進出派〕メンバーに大歓迎された。ガーデナ・トーレンス地域の日本人商業経営者たちがいかに日本人コミュニティーに貢献したいと考えているかがよく伝わっている、という評だった。
          ※
   副会頭は怒った。…〔土着派〕が地道に勉強・研究会を重ねながら再開発アイディアを練り上げようとしていることを十分に知っていながら、会頭があえてその時期に、それも唐突に、大規模な商業開発を行ないたいという〔夢〕を発表したのは、〔土着派〕の活動に水を差す、というか、そんな活動なんかたいしたものじゃないんだ、という印象を周囲に与えるためだ、としか思えなかったからね。
   いや、副会頭たちも、自分たちのアイディアが簡単に現実化するとは思っていなかったんだよ。だけど、地元の事業家たちがその地域の発展に無関心なところが活性化することはありえない、と信じていた。勉強会の成果が知られ、韓国・台湾系に限らず、どこかの大資本が興味を示してくる可能性もなくない、と見ていた。勉強会の成果をもとにして、どこかの大資本と話し合うことぐらいはできるかもしれない、と考えていた。
   副会頭から見れば、会頭の〔夢〕はそうじゃなかった。単なる思いつきにすぎなかった。
            ※
   問題の情報誌が発行されてから二、三日後には、[会議所]の〔土着派〕メンバーたちが 〈会頭のインタビュー発言の中には〔日本人〕という言葉はあったけれども、〔日系人〕(ジャパニーズ・アメリカン)という単語が一度も出てきていない。これは日系人と日本人を区別しないで扱おうという[会議所]の精神に明らかに反している〉〈〔進出派〕に鞍替えした会頭の頭には、やはり〔日本人〕のことしかないようだ〉〈そんな人物を会頭にしておくのは、もともと〔土着派〕だけでスタートした[会議所]の利益に反する〉などといいだした。会頭と副会頭の〔欲と欲のぶつかり合い〕が[会議所]の内紛へと変化し始めたわけだ。
   中旬に開かれた三月の定例理事会は、一時、険悪な雰囲気になった。
   会頭は〈南カリフォルニアの〔日系人〕の存在を軽視して会頭の職務を遂行したことはないし、個人としてもそんなふうに事業を行なったことはない〉〈インタビューのあいだは常に〔日本人〕と〔日系人〕とを並列してしゃべった〉〈記事に〔日系人〕という言葉が出なかったのは、情報誌の、コミュニティー事情に無知な若い日本人記者が〔日系人も日本人もおなじだろう〕ぐらいに考えて、勝手に削ったからだろう〉と弁明した。
   〔土着派〕は〈では、インタビューの録音テープを提出して、理事全員に聞かせろ〉と応じた。
   〈情報誌が各所に配布された段階でテープは破棄されたはずだ〉と会頭は答えた。
   この回答に不満な理事の一人がその場から情報誌の編集部に電話をかけて問い合わせた。編集者の返事は会頭とおなじだった。
          ※
   四月ごろの僕は、たぶん、〔コミュニティー事情に無知な若い日本人記者〕以上に、日系人と日本人の違いには無頓着だったから、なぜそんなことで[会議所]のメンバー同士が争うのかがよくは分からなかったよ。
   その〔なぜ〕についての児島編集長の説明は(ほんとうは、もっと長くて、力の入ったものだったけど、手短に言ってしまえば)こうだった。
          ※
   明治の初めに本格化した日本人のハワイ、アメリカ本土への移民は、実は当初、いずれは日本に戻るつもりの出稼ぎ者集団、という性格が濃かった。けれども、(農場などでの労働の)現実は厳しく、短期間のうちにまとまった額のカネを手にする機会は限られていた。移民たちは、足を地につけ、長い目で将来を展望する暮らしを強いられることになった。
   昭和になり、二世たちが(アメリカ人として)成人するようになると、一世も大半が永住を覚悟するようになった。…集団としては、意識の上でも〔日本人〕の〔日系人〕化が急速に進み始めたのだった。
   やがて、(ほら、『南加日報』の歴史についてしゃべったときに触れたように)日米関係が不安定になり、日本からの新たな移民が途絶え、日本軍が真珠湾を奇襲した数か月後には、太平洋沿岸部に住む日本人、日系人十二万人が収容所に送られた。
   多くの二世が自ら志願して従軍し、アメリカのために戦った。彼らを送り出した一世たちの意識の 〔日系化〕が加速した。
   そして、〔終戦〕。一世や二世が理不尽につらい思いをさせられた時代が終わった。
   朝鮮戦争による〔特需〕をきっかけに経済復興に向かった日本は、移民よりは商品をアメリカに送り出す国になろうとしていた。
   多くの一世や二世が(そのころ国際的には二流だった)日本商品のアメリカ市場への売り込みを助けた。
   やがて、日本企業のアメリカ進出が始まった。南カリフォルニアでは、進出企業はほとんどが(リトル東京とガーデナ市を二つの核とする)〔日系〕コミュニティーに寄り添えるような場所や環境を事業拠点として選んだ。…日本から進出してきた企業と〔日系〕コミュニティーとの〔蜜月時代〕だった。…この時期の進出企業は多くが、アメリカ全土を市場として活動しようという大資本だったから、地元の小資本と利害を対立させてコミュニティーの秩序を乱すようなことはまずなかったのだ。
   一九七〇年代の後半になると、様子が目立って変わってきた。日本企業の活発な活動を支える形で、大量の日本人がやってきて、その多くがガーデナ・トーレンス地区に住みつき始めたのだ。…南カリフォルニアに新たな〔日本人〕コミュニティーが生まれたわけだ。
   その日本人たちを相手に商売をしようという者たちが日本から次々とやってくるようになるまでに、時間はあまりかからなかった。…この新たな商業進出は〔日系〕コミュニティーとの〔蜜月〕という具合にはいかなかった。最新のノウハウを伴った日本からの資本流入は、たとえば、リトル東京にショッピングモール[ウェラー・コート]が誕生したように、一部では地元を活性化する役割も果たしたけれども、一方では、〔日系人〕たちの事業と競合したしたばかりか、高齢化や後継者難などで旧態経営を強いられがちだった彼らを廃業に追い込むようにさえなったのだった。
   戦後すぐに、リトル東京地区の商業経営者たちを中心にして設立されていた[ロサンジェルス日系商業会議所](旧会議所)とガーデナ地区の日系商業経営者の集まり[ガ−デナ日系商業会]が、日本からの商業進出を〔秩序あるもの〕にするために、何か手を打たなければならないときだった。
   二つの団体は合流し、名称を[ロサンジェルス都市圏日系商業会議所]と改め、南カリフォルニア(特に、ガーデナ・トーレンス地区)に新たに進出してきた〔日本人〕経営者たちにも新[会議所]に加入するよう積極的に呼びかけることにした。…進出自体はとめることができなかったから、せめて、すでに進出をすませた企業には平穏に地元に融和してもらおうという狙いだった。
   しばらくは平穏に時が過ぎた。
   再びおかしくなり始めたのは、日本からの(商業を含めた)企業進出と(土地建物などへの)資本投資が異常に激しくなった一九八〇年代の中ごろからだった。この時期の進出と投資は、リトル東京地区でも[ヤオハン・プラザ]のオープンという形に結実しはしたけれども、大半はガーデナ・トーレンス地区に集中したのだった。
   南カリフォルニアの日系・日本人コミュニティーのバランスが大きく傾きだした。リトル東京の衰退が目立ち始めた。
   〔進出派〕はますます勢いを増し、〔土着派〕はいよいよ危機感を大きくして行った。[会議所]内に〔内紛〕の種がまかれたのだ。
   それから数年後。突然、日本経済が破綻した。日本からの企業進出と資本投資が激減し、ガーデナ・トーレンス地区から日本へ撤退する企業が続出した。〔進出派〕の黄金時代が終わったのだ。
   一方、リトル東京地区には、再開発アイディアの名残の空き地がいくつも残っていた。
   縮小した南カリフォルニアの日系・日本人市場で、〔土着派〕と〔進出派〕とによる客の奪い合いが始まった。…リトル東京地区とガーデナ・トーレンス地区の(編集長が[海流]の中で使った言葉を借りていうと)〔南北商業戦争〕が始まったのだった。
   もとの[ガーデナ日系商業会]のメンバーの一部が、会頭を先導者にして、〔進出派〕に転じ、[会議所]内での旗色を明確にした。
          ※
   児島編集長はさらにこう説明してくれたよ。
   「戦前に移民してきた一世とその子や孫である二世、三世、それに、戦後すぐにやってきた移民たち、つまり〔土着派〕にはどうしても、〈南カリフォルニアの日系・日本人市場は自分たちが大変な苦労をして守り育ててきたのだ。自分たちの苦労がなかったなら、今日の市場はなかったはずだ。だから、自分たちの利益がまず優先されるべきだ〉という思いがある。彼らは〈日本からやってきて間もない連中に成果の甘いところだけを吸われてはかなわない。ましてや、自分たちの商売をじゃまされては困る〉と考えてしまうんだな。これに対して、一九七〇年代の半ばから八〇年代の終わりごろまでに日本からやってきた商売人の集まりである〔進出派〕は〈商売は自由に行なうのが当然だし、自分たちが相手にしているのは、南カリフォルニアのあちこちに分散しつづけ、その結果、集団としての購買力を失いかけている〔日系人〕の市場なんかではなくて、近年新たに生まれた〔日本人〕の市場なのだ〉と思っている。〈南カリフォルニアで早くから商売をしているというだけの連中にあれこれ指図は受けたくない〉と考えるわけだ。
   「会頭のインタビュー記事が出たときに〔土着派〕が怒ったのは、そういう背景があったからだよ、横田君。中で会頭が〔日系人〕という言葉を使わなかったことが、〔土着派〕をないがしろにする態度だと見えたんだ。…その見方は正しかった、といえるな。実際、会頭があんなふうに唐突に自分の〔夢〕を語ったのは、〔土着派〕のリトル東京再開発アイディアにケチをつけるためにほかならなかったんだから。
   「ガーデナをビジネス拠点にしていて、いまは客のほとんどが日本からきた日本人で占められているとはいえ、もともとは[ガーデナ日系商業会]、つまりは〔土着派〕に属していた会頭のそんな態度は、副会頭たちにとっては許しがたい裏切りだったんだな」
   
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留学生・横田等のロサンジェルス・ダイアリー (1995) =9= 

8月24日 木曜日


   きょうは真紀に電話をかける日だから、話はあまり進まないかもしれない。いや、横道にそれてなきゃ、きのうだって先へ進んでいたんだろうけど、あれこれ頭に浮かんでくることがみな重要なことに思えてしまったもんだから。
          ※
   今夜の[フレンズ]も再放送だろうな。最初には聞き取れなかったことが二度目には分かったりするから、(だいたいのところ)五月から九月までのオフ・シーズンのプライムタイプに人気番組を再放送するというこちらの慣行は、僕らみたいな、英語力がまだまだの外国人にはけっこうありがたいんだよ。…もちろん、ビデオテープに録画して何度も見るという手もあるわけだけど、そこまでやっちゃうと、ほら、勉強そのものになってしまって、ストーリーやユーモアが楽しめなくなりそうじゃない。
          ※
   秀人君のけがの話に戻るよ。
   前に言ったように、英語学校に歩いて通っているぐらいだから、想像できるよね。ああ、遼子さんは自動車を持っていないんだ。すぐにも日本に行けると信じているからか、リチャードさんもおなじだ。
   アメリカ中を転々とする柴田さんも(持っていた[フォード]のピックアップ・トラックを二年ほど前に売り払って以来)車は持たないことにしている。よその都市でそうしているように、〔必要なときには借りる〕という考えなんだ。…柴田さんをレンタカー会社まで運んでやるのは、まわりにいる(僕のような)車を持っている人間の仕事になるわけだけどね。
   このホテルには、自動車を持っている日本人が、もちろん、ほかに何人もいるんだよ。そうそう、だれよりも先に、ロビーで秀人君のことを心配していたもう一人の人物、武井さん。…自分で大小のヴァンを運転しながら日本人観光客を案内して回るのが仕事だし、ロサンジェルス空港の近くにあるガイド会社まで毎日自分の車で通っているんだから、あの月曜日の夜は、武井さんが秀人君を病院に連れて行くこともできたはずだったんだよね。なのに、柴田さんは僕の部屋のドアをノックした。
   それは、たぶん、僕がほかの人たちよりはいくらかましな英語をしゃべるからだったんだと思うよ。これから秀人君を病院に連れて行こうというんだから、できれば、なるべく英語をしゃべる者がいっしょの方がいいじゃない。
          ※
   ホテルの長期逗留日本人のあいだには(気の合う者どうしがいくつかのグループに分かれて、ではあるけれど)たとえば、車を持っているものは車を、時間が余っている者は時間を、腕力のある者は腕力を、経験を積んでいる者は経験を、知恵のある者は知恵を、みたいに、それぞれが持っているものを互いに提供し合うようなところがあって、あの夜はたまたま僕の英語力が(車といっしょに)求められていたわけだ。
   武井さんが車を、僕が英語力を、という分業にならなかったのは、そうしたんじゃ、いくらなんでも頭数が多くなりすぎる、と柴田さんが判断したからだったと思うよ。…その柴田さんがつき添ったのは、ほら、あの人は何かと〔経験〕を積んでいる、面倒見のいい人だから…。
   遼子さんとスティーブさんが〔見送り組〕に入ったのは…。(車がなくて英語力もまだまだといったところらしい)遼子さんには、いつものように、腐るほど〔時間〕が余っていたらしいんだけど、あのときはそんなことが求められていたわけじゃなかったし、(あの夜は警備の仕事がなかった)スティーブさんは、英語は完璧でも日本語ができないから、医者だか看護婦だか受付の職員だかに秀人君が何かを質問されても通訳してやることができないから、だったんじゃないかな。
          ※
   というようなわけで、月曜日の夜、僕はパッセンジャーシート(助手席)に柴田さん、リアシート(後部座席)に秀人君を乗せ、(柴田さんが調べていた中ではリトル東京からいちばん近いところにある救急病院)[ホワイト・メモリアル・メディカルセンター]に向けて僕の車を走らせた。…恨みがましげな表情で三人を見送った遼子さんのことは、(気の毒だったかなって気が、いまはするけど)ファースト・ストリートを(東に向かって)右折したころにはもう忘れてしまっていたような気がする。
          ※
   秀人君がけがをさせられた状況が分かりやすくなるはずだから、あの子が最近どう暮らしていたかを先にしゃべっておくと…。
   サンタモニカの砂浜でふと〈電子工学がなんだ〉と思ったあと、なんとなくロサンジェルスに居ついていた秀人君は、実は、二か月ほど前から、ダウンタウンにある(あの子がいうには)〔弁当屋〕で〔コック見習い〕として働いていたんだ。「英語学校に通っているって嘘をついて送金してもらいながらただ遊んでるだけじゃ、親に申し訳ないと思ったもんですから」というのが、まあ、動機といえば動機だったそうだ。…そんな求人があることは、リトル東京のウェラー・コートにある[紀伊国屋書店]から持ち帰ってきた(無料の)ローカル日本語情報誌に出ていた広告で知ったんだって。
   その弁当屋は、オフィス・コマーシャル・ビルディングが建ち並んでいるヒル・ストリートにあって、〔シュリンプ・テンプラ〕や〔テリヤキ・チキン〕などをメインにしたコンビネーション料理を十種ぐらい用意しているんだそうだ。客は(事実上、みな)周辺のビルで働く(人種はともかく、ふつうは倹約家の)アメリカ人だし、近くの〔ハンバーガー屋〕などと差が大きすぎてはいけないというので、値段は「けっこう安くしてありますよ」ということだったよ。…僕自身は(一度は、と思ってはいるものの)まだ顔を出したことがないんで、比較ができないんだけど。
   二週間ほど前にロビーで顔を合わせたときの話では、秀人君の仕事の内容はまだ(コック見習いからはほど遠く)、出来合いの料理をテイクアウト用のスタイロフォーム(発泡スティロール)の器に盛るだけで、「米とぎもさせてもらっていません」ということだった。…もっとも、実際にコックになる気は初めからなかったんだろうね、秀人君は、そのことに不服はまったくなさそうだったな。
          ※
   秀人君の勤務時間は(店が開店する三十分前の)午前十時から(だいたい)午後八時まで。といっても、あいだで(ふつうは二時から五時まで)無給の昼休みを取らせられるから、実働時間は七時間ぐらいだ。
   その三時間もの昼休みを秀人君は、たいがいは、ダウンタウンをぶらぶら歩き回ることで過ごしてきた。西は([ロサンジェルス・コンベンション・センター]がある)フィゲロア・ストリート、東は(ダウンタウンのバスターミナルがある)ロサンジェルス・ストリート、北は(「ブロードウェイを上がってチャイナタウンまで足を伸ばすこともありますけど、ふつうは、まあ、ロサンジェルス郡の裁判所のビルなんかがある」)テンプル・ストリート、南は(「なんとなく、ダウンタウンの中心部というのはこの辺りまでかなって気がする」)ピコ・ブルバードまでが、秀人君の一人歩きの区域らしい。
   (こちらは、たまたま、先週金曜日に聞いていた話だけど)秀人君はちょっと前までは、ラジカセから大きな音でスペイン語のラブソングなどが聞こえてくるジーンズショップなんかをのぞいたりしながら、ブロードウェイを宛てもなく、ラティーノの人たちに混じって、南北に歩くのが好きだったそうだけど、最近は、ロサンジェルス市役所前にある広場が気に入っていたんだって。木陰に座ったり寝転んだりしていると、「これが、なんだか、気持ちいいんですよね」ということだったよ。
         ※
   で、そう聞いたとき、僕は、ほとんど反射的に、というか、深い考えもなしに、というか、とにかく、秀人君の言葉が終わりきらないうちに、「危なくない、あの辺り?ホームレスの人が多くて?」とたずねてしまったよ。秀人君は静かに「そんなことはありませんよ」と答えると、ひと呼吸したあとほほ笑みながら、「ぼくもホームレスみたいなものですから」とつけ加えた。
   暮らし方や暮らしの質という面から見れば、秀人君とホームレスの人たちとの距離は実際にはずいぶん遠かったはずだよね。でも、ロサンジェルスで中途半端に暮らしている自分を、そんな人たちへの同情や親近感から〔ホームレスみたいなもの〕という秀人君の気持ちは理解できるような気がしたから、僕はそれ以上は何もいわなかった。
   それに…。僕の問いには〔ホームレスだから何か悪いことをすんじゃないか〕って、いわれのない偏見が含まれていたことに気づかせられて、僕、そのことをしきりに反省していたし…。
          ※
   あのとき、あんなふうに理解したり反省したりするんじゃなくて、〈観光の名所でもあるサンタモニカの砂浜でなら分かるけど、あの市役所前の広場で寝転がっていると〔気持ちがいい〕というのは、やっぱり、変なんじゃないか〉あるいは〈あの広場に限らず、ダウンタウンではどこででも、だれに対してもでも、警戒を怠らないのがほんとうなんじゃないか〉〈アメリカでは、特に僕らみたいな外国人は、十分過ぎるぐらいに用心しながら暮らすべきなんじゃないか〉というふうに考えていれば、僕は秀人君に何か違うことを言っていただろうし、三日後の月曜日のあの事件も起きていなかったかもしれないのにね。
          ※
   思うんだけど…。
   僕自身の(ホームレスに対する)偏見のことは忘れて言うと、(このごろでは、移民が急増しているヨーロッパでもそうらしいけど)難しい国だよね、アメリカは。
   平和で安全に日々を過ごしたいという大多数の気持ちが誤って表現されると、ほら、日米戦争中に日本人、日系人が収容、隔離されてしまったように、いつの間にかマイノリティーへの偏見や差別という形にまとまってしまいかねないし、その一方では、月曜日の〔秀人君がホームレスにやられた〕事件にも表れているように、マイノリティーに対する理解や思いやり、優しさなどといったものが、意図したとおりに機能するとは限らないみたいだから。
   そういう難しさを抱えていても国全体がダイナミックに動いているところが、また、この国の魅力でもあるわけだけど…。
          ※
   (おなじ金曜日に聞いたところによると)秀人君がいまもらっている給料は一時間あたりで五ドル一五セントだそうだ。だから、日給としては三六ドルぐらいになるわけだ。テイクアウトが中心の店だし、秀人君の仕事はカウンターの中に限られているから、チップを客からもらうことはないんだって。
   月曜から金曜日まで五日間働いて、秀人君が手にする額は一八〇ドルほどだ。これは、僕のいまの週給よりは二〇ドル少ないんだけど、あの子は別に、四ドルほどの〔弁当〕を毎日食べさせてもらっているそうだから、現実的には、僕の週給とほぼおなじ額になるんだよね。…もっとも、僕の方は、勤務時間があいまいなまま、超過勤務手当なしで、週に〔六日間〕働くんだけどね。
          ※
   何もたずね返されなかったから、僕の給料がいくらだなんてことは秀人君に告げなくてもすんだけど、僕は内心で、〈なるほど、こういうふうに比較してみると、広い世間の物差しが当たって、『南加日報』がどういう経営状態の企業であるかが浮き彫りになる、というか、よく分かるじゃないか〉なんて、変に感心してしまったよ。
   ついでに言っておくと、この店のオーナー・経営者は日本人だ。オレンジ郡のどこかに大きな日本食レストランを持っている人で、先でファストフードのチェイン店を展開させるための実験として、この〔弁当屋〕を始めたんだって。
   そんな大きな計画のある人なら、例の〔三時間もの無給昼休み〕なんてケチ臭くて、働く者に不便なことは考え出さなくてもよかったろうに、みたいなことを(同情のつもりで)言ったら、秀人君は「そんなふうに〔ケチ臭く〕なかったら、大きい事業はできないのかもしれませんよ」って、みょうに大人びた口調で答えたよ。
          ※
   で、月曜日。リトル東京からほんのちょっと東に当たるボイルハイツにあるその病院に着くまでに説明してもらったところでは、秀人君はこんなふうに〔ホームレスにやられた〕んだって…。
          ※
   あの日は、秀人君がその一八〇ドルの週給を受け取る日だった。…正社員である日本人の店長と(二、三人が交代で七時ぐらいまで働く)パ−トタイムのラティーノの女性たちは、二週間ごとの金曜日に小切手で給料を受け取るようだけど、(不法就労者である)秀人君は毎週月曜日に現金(つまりは、たぶん、帳簿外のカネ)で払ってもらっていたんだ。
   受け取った給料をズボンのポケットに入れて、秀人君はいつもどおりに、夜八時ごろ店を出た。その時間になるとダウンタウンの店はほとんどが閉まっているから、どこといって寄り道するところもない。ヒル・ストリートを北に上がった。あとはシックススかフィフスを東に向かうだけだ。その夜は、前の週とおなじように、西向きに一方通行の、つまりは、自動車が秀人君の方に向かって走ってくるフィフスを通ってホテルに戻ることにした。あとは、ホテルのあるスタンフォード・アベニューまで一直線だ。
   歩道の端に、ともに背の高そうな痩せたアフリカン・アメリカンが二人うずくまっているのに、秀人君は気づいていた。けれども、もう何回も通った道だったし、そんな光景は見慣れていたから、恐いというふうには感じなかった。ポケットの中の現金を一度にぎりしめてみたぐらいで、特に警戒もせず、その二人の前を通り過ぎた。
   背後から襲われたのはウォール・ストリートとの交差点の近くだった。一人に組みしかれた。両腕を背中でねじ上げられ、顔を路面に押しつけられた。すっかり無防備になった秀人君のズボンのポケットに、もう一人が手を差し入れた。ポケットが破れた。
   二十秒とはかからなかった。二人はウォール・ストリートを北に向かって(秀人君がいうには「人を襲って現金を奪ったにしてはのろい走り方で」)去って行った。
   左手の中指がひどく痛かった。左のこめかみ辺りから少し血が流れていた。
          ※
   秀人君には、ホテルまでの道のりがいつもの数倍に感じられた。でも、急ぎ足にはならなかった。
   [ムスタング]の中。(僕がロビーに降りて行くまでに着替えていたのだろう、路上にねじ伏せられた形跡などどこにもない、さっぱりした服装になっていた)秀人君は苦笑まじりで言った。「ズボンのポケットが破られ、顔にもすり傷を負った、いまだれかに襲われたばかりだってことがありありの人間を〈俺も襲ってみよう〉なんて考える者なんかいないと思いましたからね」
   秀人君はつづけた。「ぼくがいけなかったんです。市役所前の広場でホームレスの人たちと顔見知りになり、そのうちの何人かとは、片言の英語でですけど、ちょっと話をしたりするようになって、ぼく、あの人たちのことは、たいがいの日本人よりは分かっている、と思っていました。…いい人が多いんですよ。ほんとうですよ。…絶対に、進んで罪を犯すような人たちじゃないですよ。なのに…。ふだんはそう思っているのに…。ずっとそう思っていたのに… 。
   「ぼくは今夜、少し現金を持っていました。持っていたから、あの二人の姿を見たとき、思わず、ポケットに手を入れてしまいました。…さっきは〔特に警戒もせずに〕っていいましたけど、やっぱり、警戒しちゃったんです、ぼく。あの人たちのことを、疑ってしまったんです。…ぼく、あの人たちのこと、ちっとも〔分かって〕はいなかったんです。
   「そういうしぐさって、〔ここにカネがあるよ〕ってわざわざ告げるようなものですよね。そんなところを見せられれば、カネを奪うつもりなんかなかった人でも、ふとその気になっちゃうかもしれませんよね。…ぼくが犯罪を誘ったようなものです。
   「貧しいとか、カネがないとかいうのは、行き着けば、そういうことですよね。個人的にはいい人だとか、気持ちの優しい人だとか、そういうことに関係なく…。困りきってしまえば…。
   「結局は、ぼく、一つの国の中で貧富の差が大きいというのはどういうことなのか、とか、アメリカって国はどんなところなのか、とかが、よく分かってはいなかったんですよね。
   「ホームレスの人たち何人かと知り合って、ぼく、もしかしたら、そのことを心のどこかで密かに自慢にさえ思っていたかもしれません。ほかの人たちにはできないことを自分はやっているんだ、みたいに…。そのくせ、さっきは、何より先に、ポケットに手を入れたりして…。
   「ぼくがいけなかったんです。ぼくの考えが甘かったんです。間違っていたんです。だから、こんなことになっちゃったんです」
   一気に、というほどじゃなかったけれど、つづけてそれだけことをしゃべったんだから、秀人君は、やっぱり、まだいくらかは興奮していたんだろうね。
          ※
   秀人君のそんな話を聞きながら僕は、〈あれ、ちょっとの間に、秀人君は児島編集長とおなじように考えるようになっている〉と思ったよ。だって、ほら、ハロウィーンの日に拳銃で撃たれて死んだ日本人留学生について編集長は〔アメリカがそんな国だと知らないで暮らしていた当人が悪い〕って主張していたじゃない。考え方、似ているよね。…秀人君が思いやりみたいなものをベースにして自分を責めているのに対して、編集長は(そこは新聞人らしく)現実主義に徹して第三者を批判していた、という大きな違いはあるにしても。
          ※
   柴田さんはそのどちらとも違っていたよ。    秀人君の話を聞き終えると、あの人はこう言った。「秀人ね、そんなことをいうやつがいるから、この国では犯罪が、減らない、どころか、増えつづけるんだ。お前は人が良すぎるよ。優しすぎるよ。他人を襲ったやつが悪いに決まってるじゃないか。他人を傷つけてカネを奪ったやつはみな死刑にしちゃえばいいんだよ。そうすりゃ、この国はもっと住みやすくなるんだ」
   すしを握るという〔特殊な技能〕が必要な仕事に就いてとっくに永住権を手に入れていて、しかも、働き口に困ることがない、つまりは、アメリカでいちおうは好きに生きることができるようになっている柴田さんならではの意見だ、と思いながら僕は聞いていたよ。
   いや、柴田さん自身は、経済的に成功しているわけではないし、新参日本人移民(〔新一世〕)の一人で、あくまでもマイノリティーに属している人間なんだけど、〔好きに生きることができる〕という点で、意識はすっかり〔マジョリティー〕になっているんだね。…身分上の保障や経済的な見通しがないまま(違法と知りながら)働きだした秀人君がホームレスに同情的になってしまう理由が理解できないほどに〔マジョリティー〕にね。
   柴田さんが(日本人以外の)犯罪者に対して厳しいことをいうのは、(一般的に言って)犯罪に走ることが少ない日本人を、自分を含めて、全体として優越視しているから、という面も一方にはあるのかもしれないけど…。
          ※
   柴田さんのコメントに秀人君は答えなかった。
   僕も何もいわなかった。
   秀人君の考えが小島編集長の考えと通じるところがあるとすると、柴田さんの(少しよじれた)意見は、マジョリティーである白人でいながら、そのことの恩恵を十分には受けていないらしいスティーブさんのに似ていると思ったよ。…アメリカでいま、だんだん勢力を強めているというエクストリーミズム(極端・過激主義)っていうのかな?
   たしかに、柴田さんが言ったように、〔他人を襲ったやつが悪い〕のだし、スティーブさんが町役場の仕事に就けなかったのは〔白人に対する逆差別〕なのかもしれないんだけど、襲った者を死刑にし、マイノリティーの優先雇用を全部やめてしまったからといって、それだけじゃ、問題は解決しないんじゃないかな。新たな問題が別に起きるだけなんじゃないかな。この国は〔住みやすく〕はならないんじゃないかな。
          ※
   で、病院でのこと。
   着いてみると、(秀人君と看護婦さんなんかの会話を通訳することも僕の仕事のうちと、いちおうは心構えしていたのに)僕の出番は事実上、どこにもなかったよ。柴田さんが豊富な経験と度胸に物をいわせて、何もかもてきぱきとすませてしまったんだ。…僕は〈こんなところはやっぱり、この人、大人だな〉って、ずいぶん感心させられてしまった。
   〔事実上〕というのは、受付の窓口にいた男性に向かって柴田さんが(秀人君に左手を差し出させながら)、「アイ・シンク・ジス・ヤングマン・ニード・〔レントゲン〕」と言ったのを、(〈〔ニード〕はやっぱり 〔ニーズ〕にして、〔ニーズ・トゥ・ゲット・ヒズ・レフト・ミドルフィンガー・エクスレイド〕というふうにつづけた方がいいな〉と思いながら)その〔レントゲン〕を〔エクスレイ〕と訂正したことがあった、ということなんだけど、僕が口をはさんだのは、とにかく、そのときだけだった。
   柴田さんがホテルで僕に声をかけてきたのは、(僕の車、運転のことを別にして言えば)思うに、言葉が通じないこともあるかもしれない、だから〔念のために〕、という考えからだったんだろうね。…その〔エクスレイ〕のひと言で、柴田さんが期待していた役割を十分に果たしたんじゃないかな、僕は。
          ※
   真紀に電話をかける八時が近づいているから、あとは大急ぎになってしまうけど…。
   三十分ほど待たせられたあと撮ってもらったXレイ写真で、秀人君の指は、脱臼しているだけで、骨折しているわけではないことが分かった。アフリカン・アメリカンのドクターが、第一間接のところで人差し指の方に曲がっていた秀人君の中指を、あの子が痛がっているひまもないうちにまっすぐにして、その指に軟膏みたいな薬をぬり、ガーゼとプラスティックの固定板を当て、そこを包帯で巻くと、手当てはそれで終わりだった。
   ドクターは、あとですごく痛むようだと[アドビル]か[タイラノール]を買ってのむようにと口頭で指示してくれただけで、処方箋は別に書かなかった。左のこめかみのところのすり傷については(秀人君が診てくれといわなかったからか)、手当ては何もしてくれなかったよ。
   緊急の診断・治療費は全部で一二〇ドルだったそうだ。…三週間ほどの予定でやってきていた旅行だったから、日本を発つ前にかけていた([東京海上火災]の)海外旅行者保険はとっくに期限が切れていて、全額が秀人君の自己負担だった。あの子はそれをトラベラーズ・チェックで払ったよ。
          ※
   当人のチェックであることを確かめたいから身分を証明するものを何か見せてくれ、とキャッシャーに求められたとき、秀人君は一瞬ためらったようだったな。…差し出したパスポートを詳しく調べられると、不法に長期滞在していることがばれてしまう、とでも思ったのかもしれない。
   (秀人君にとっては幸いなことに)キャッシャーはパスポートの名前と写真にちらりと目をやったあと、サインをチェックのものと見比べただけで、入国日付などには(もちろん)まったく関心を示さなかった。…悪質な罪を犯したのでもない限り、警察だって(間違って人権を侵害してしまうことを惧れて)人のビザ上のステイタスがどうなっているかなんて調べない国なんだから、病院のキャッシャーがそんなことに関心を示すなんて(まして、秀人君が不法滞在者だってことを移民局に通報するなんて)ことはありえなかったわけだけど、やっぱり…。
          ※
   僕は〈フィニックス行きをやめ、学生ビザが切れたあとも『南加日報』で働きつづけるとなると、僕もあんなふうに、何かにつけて怯えたり、気後れしたりしながら暮らすことになるんだろうな〉と、その瞬間は考えてしまったけど、「ひどいけがでなくてよかったな」みたいな話をしながら三人で病院の駐車場に戻ったころには、そのことはもう忘れていたような気がする。
   僕自身にとってはまだ現実の問題じゃなかったからかな。
   
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(ストーリー中の人物、企業、団体などはすべて創作されたものです)

*参考著書*
アメリカの日本語新聞」田村紀雄(新潮選書)
「藤井整の言論活動 - 『加州毎日』創刊から日米開戦まで」関宏人(慶応大学卒業論文

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横田等のロサンジェルス・ダイアリー =7-8=(1995)

*** 8月22日 火曜日 ***



  昨夜はほんのちょっとしゃべっただけで終わってしまった。…九時少し前に、このホテルの住人の一人である柴田さんが僕の部屋にやってきて、それっきり、カセット・レコーダーに向かうことができなかったから。

 

   柴田さんというのは、全部で三十五室あるこのホテルの、僕とおなじ二階に、あいだで何度も出入りをくり返しながら、もう十年間近くも住みつづけているという、四十歳ぐらいの、背の低い、肉づきのいい、独り者の〔スシマン〕だ。長く住んでいるし、年も取っているほうだから、自然に(僕が密かに〔エスメラルド・ホテル日本人会〕と呼んでいる)十五人ほどいる〔常住〕日本人たちの世話役みたいになっていて、ときどき僕にも〈いまから下(のロビー)で、みんな集まってビデオを見るから、横田君、君もどうだ〉などと声をかけたりしてくれるんだよね。

 

   ビデオの中身は、たいがいは日本の最新人気ドラマ。僕は自分で借りたことがないから、確かなことはいえないんだけど、そういうのは、日本で放送されてから一週間後にはもうリトル東京(だけじゃなく、南カリフォルニア中の日本人相手)の貸しビデオ店の棚に並んでいるんじゃないかな。…著作権なんか無視して不法にコピーしたものみたいだけど、そんな貸しビデオ店がリトル東京にだけでも何店もあるんだから、日本語ビデオへの需要の大きさが知れるよね。

 

          ※

 

   ところで、知り合いに誘われて一九八〇年代の初めに日本からカリフォルニアにやってきたという柴田さんが、この十年間ほど、このホテルに入ったり出たりしているのには、ちょっとしたわけがあるんだ。

 

   柴田さんは、その年齢からもだいたい想像がつくように、〔すしを握りだしてから二十年〕というベテランのスシマンだ。だから、こちらでは、働き口はいくらでもあるらしい。

 

   というのは…。もともと、二十年ほど前からアメリカ人のあいだで日本食、特にすしの人気が高まっていたところへ、一九八〇年代になると、日本から新たに渡ってくる日本人の数が急増し、それに合わせて〔スシバー〕つきの日本食レストランが(カリフォルニアはいうまでもなく)全米各地に次から次へと店開きした。だから、アメリカ中でスシマンが不足し始めた。…レストランの中には、間に合わせに、日本人留学生にすしを握らせるところまで出てきたそうだ。

 

   いや、日本の〔バブル経済の崩壊〕後は、アメリカの日本食レストラン業も当時ほどには景気がよくないらしいんだけど、それでも、慢性的なスシマン不足は解消していないんだって。だから、柴田さんぐらいのベテランになると、〔引く手あまた〕なんだそうだ。

 

   ホテルの玄関わきにある、みんながロビーと呼んでいる部屋で二か月ほど前に(たまたま二人だけになったとき)柴田さんが話してくれたところによると…。そういう背景があるものだから、スシマンは概して、おなじ店で長くは働かない。給料や労働時間に不満があったり、仕事のやり方について経営者と考えが合わなかったりすると、すぐにやめてしまう。やめても、すぐに次の働き口が見つかるんだ。柴田さん自身も(「こっちに来てからしばらくはオレも、修行と思って辛抱するようにしていたけど」)三十歳を過ぎてからは、一つところで長く働いたことがないそうだ。

 

   「だけどね」。あのとき、柴田さんはそうつづけた。「オレはちょっと違うんだよ。オレは不満があってやめるんじゃない。オレが短い期間働いただけでやめちゃうのは、横田君、なぜだと思う?」

 

   僕は首を横に振ってからたずね返した。「なぜなんですか」

 

   柴田さんはこう言ったよ。「ほら、アメリカは大きいんだよ。場所によって、景色も人も人情もずいぶん違うんだよ。あちこち見ておきたいじゃない。一つの店で長く働いていたら、ほかのどこかが見られなくなるわけだろう?」

 

   「そういえば」と僕は応じた。「僕がここに来たころは、たしか、テキサス州サンアントニオでしたよね。戻ってこられて一か月も経たないうちに、フロリダ州のマイアミに行かれて…」

 

          ※

 

   こういうのを(ある種の)偏見というんだろうね。…額に手ぬぐいを巻いてスシバーの向こう側に立つと様になりなりそうではあるものの、ずんぐりとした体形の、かなり髪が薄くなっている柴田さんからそんなスケールの大きな、というか、自由の香りがする、というか、夢のある話を聞かせられようとは想像もしていなかったから、僕はなんだかみょうに心打たれてしまったよ。

 

   だって、日本で、たとえば、盛岡、高知、松江と数か月ごとに転々とした、と聞くと、〈この人、ただ飽きっぽいだけなんじゃないかな。そうじゃなきゃ、よほど腕が悪いとか、客への愛想が悪すぎるとか…〉なんて、あれこれ悪い方へ想像をめぐらせてしまいそうだけど、アメリカでサンアントニオ、マイアミと聞かせられると、なぜかすなおに〈かっこうがいいな、そういうの〉みたいに受け取ってしまうじゃない。…僕だけ?

 

   僕が感動したのを見て取ったのか、柴田さんは一度、満足そうにうなずくと、こう言った。「だから、オレはもう、この近所じゃ働かないことにしている。南カリフォルニアは大方見てしまったからね。いまは、シカゴのどこかの店に空きが出ないか待っているところなんだ」

 

          ※

 

   僕は半ばうっとりしながら、〈へえ、次はシカゴか〉と思ったよ。…シカゴは、ハリソン・フォードが主演した映画[逃亡者]の舞台となっていた都市だから、映画の中の場面をいくつか思い浮かべながら。

 

   柴田さんはもともと、遠いところでの仕事をこんなふうに探していたんだって。

 

   ロサンジェルスにいるあいだに、日本語新聞などに掲載されている求人広告を一週間ごとぐらいの間隔で見る。…柴田さんは僕に遠慮して〔日本語新聞〕と言ったんだけど、『南加日報』にそんな求人広告が出ることはめったにないから、これは事実上『日米新報』のことなんだよね。

 

   で、広告が一か月以上掲載されっぱなしになっているか、〈あれ、この店、また募集している〉という店があったら、そこに電話をかけてみる。そういう店は(柴田さんが苦笑混じりで言ったところでは)〈店主の性格が悪くて人が居つかないことがほとんどで、とにかく、切羽詰っていることが多いから〉たいがいはすぐに〔次が見つかるまでのつなぎでいいなら〕という柴田さんの条件をのむ。週休はつづけて二日もらう。往復の旅費と、働いているあいだの住居費も店に持ってもらう。…初めから、従業員用の部屋を用意している店も多い。長く働く気はないから、店主の性格は気にとめない。

 

   その町、その都市、その地方を十分見たと思うと、次のスシマンが見つからないうちでもさっとやめて、ロサンジェルスに戻ってくる。そういう店はたいてい、スシマンに突然やめられることに慣れていて、引きとめようとはあまりしないんだって。…働いているあいだは、休みの日にレンタカーを借りて狂ったようにあちこち見て回るから、ふつうは三、四か月もすれば〔十分見た〕という気がするそうだ。

 

   柴田さんは、でも、ここ数年間は、求人広告を見なくなった。その必要がなくなったんだって。「この世界は狭いし、そんな働き方をすることで、オレ、有名になったのかね。次はどこそこで働きたいなんてだれかに話して、しばらく遊んでいると、不思議だね、どこでだれに聞いたのか、店の方からオレに電話をかけてくるからね」ということだったよ。

 

          ※

 

   その柴田さんが昨夜僕の部屋のドアをノックしたのは、だけど、ビデオを見ようと誘うためじゃなかった。僕の顔を見ると柴田さんは眉をひそめながら、こう言った。「秀人が指を骨折したらしいんで、君の車で病院に連れて行ってもらえたら、と思ってね」

 

          ※

 

   秀人君というのは、姓は小堀。僕よりちょっとあと、四月の中ごろからこのホテルに住んでいる(ふだんは)口数の少ない十九歳の男の子だ。東京のある私立大学の電子工学科を受験して失敗したあと、来年に向けた受験勉強にとりかかる前に、(一度訪ねてみたいと中学生のころから思っていた)アメリカを(高校時代に近所の酒屋で配達のアルバイトをして貯めていたカネを使って)一か月ほどかけて見ておこうと思い立ち、まずは、最初の訪問地、ロサンジェルスにやってきたんだけど…。

 

   もう八月も終わりに近いころだから、〔一か月ほど〕は〔四か月ほど〕の間違いじゃないかって?

 

   そこなんだよね。…でも、それ、間違いじゃないんだ。

 

   もともとの計画では、秀人君のロサンジェルス滞在は五日間で終わることになっていたんだって。次の訪問予定地はニューオリンズ。あとはワシントン、フィラデルフィア、ニューヨーク、(可能ならボストンを挟んで)最後はサンフランシスコと、旅行のコースもいちおうはちゃんと決めてあって、五月の中ごろには日本に戻っているはずだったんだ。ところが、(日本の旅行ガイドブックで知った)このホテルに宿を取り、あちこち見物し始めてみると、秀人君はロサンジェルスがすっかり気に入ってしまった。ホテルの住み心地も悪くなかった。

 

   秀人君は予定表からまずニューオリンズを、数日後にはワシントンとフィラデルフィアを外した。たちまち三週間が過ぎた。ニューヨークにも行く気にはならなかった。またいく日かが経ち、サンフランシスコから日本へ発たなきゃならない日が迫ってきた。だけど、秀人君は動かなかった。ロサンジェルスにとどまりつづけた。

 

   〈いくら〔気に入ってしまった〕と言ったって、来年また日本で受験するつもりだったら、いつまでもここでぶらぶらしていちゃよくないんじゃないか〉とだれだって思うよね。だから、六月の初めごろだったかな、(余計なことだと感じなかったわけじゃないけど)僕は秀人君にじかに、「どうするつもり?」ってきいたことがあるんだ。あの子はそのとき、〔ぽつりぽつり〕といった調子で、こんなふうに僕に答えたよ。「どうしましょう?親には、僕はいまチャイナタウンの近くにある英語学校に通っているって言ってます。ですから、親はそれで安心して、送金もしてくれてますから、おカネには困らないんですけど…。まずいですよね、こういうの」

 

          ※

 

   あのころの僕はまだ、『南加日報』で働きつづけようか、なんて迷い始めてはいなかった、というより、自分はしっかりした目標があってアメリカにいるんだって(無理にでも)思い込んでいたから、(どちらかというと怠け者だった自分の過去のことはすっかり忘れて)〈そりゃあ〔まずい〕なんてものじゃないんじゃないの。そんなことしてると将来がなくなっちゃうよ。いま、そんなふうに自分を甘やかさない方がいいと思うよ〉などと考えたけど、秀人君には何もいわなかった。…だって、大学受験に失敗して間もない秀人君の目には、アメリカの大学でMBAを取得したいという僕が(実はまったくそんなんじゃないのに)ずいぶんな優等生に見えていたかもしれないし、そういう人間が(秀人君自身がちゃんと分かっているはずの)何かを、ほら、したり顔で言ってしまうと、やっぱり、いやらしいじゃない。

 

          ※

 

   秀人君は半ばうつろな目つきでつぶやいた。「アメリカを見れば気分がすっきりして、また一年、受験勉強に集中できると思ってたんですけど…。サンタモニカの砂浜がいけなかったですね。夏のような日差しを浴びながら、太平洋に向かって両脚を投げ出すようなかっこうで、一人で寝そべっているうちに、ああいうのを〔魔がさした〕と言うんでしょうか、急に〔電子工学がなんだ〕なんて思えてきちゃって…」

 

          ※

 

   僕は(早くも新聞編集員ふうの物の見方に染まり始めていたのか、というとちょっと変だから、そう、慣れかけていたのか)みょうに冷静に〔魔がさした〕はどうも、その状況にはふさわしくないようだ、と思いながらも、一方で〈うーん〉とうなってしまったよ。

 

   なぜって…。そういう感覚は分かる、と感じたんだよね。南カリフォルニアの日差しには、(〔クォンタム・リープ〕っていうの?)突然人をどこかに飛ばしてしまうような(ちょっと大げさにいえば)魔力があるんじゃないかって、僕自身が感じ始めていたからね。

 

   たとえば、広大な牧草地の真中の、自動車なんかめったに通らない、曲がりくねった道を、[ムスタング]で(だれもがそうするように五五マイルの制限速度を無視して)六五マイルぐらいで走る。快晴。乾いた風。…頭の中がすっと空っぽになってしまうんだよね。

 

   危ないよ、ああいう瞬間って。

 

   いや、たとえサンタモニカの砂浜で〔電子工学がなんだ〕と思ったとしても、結局はみんな、予定どおりに、自分の(日本での)現実に戻っていくわけなんだけど…。

 

   秀人君は戻らなかった。

 

          ※

 

   柴田さんといっしょに一階のロビーに入ってみると、秀人君は、左手の中指を右手で包むように握りながら、ソファーに腰を下ろしていた。…うずくまっていた、とかいうんじゃなくて、ただ〔腰を下ろしていた〕というのは、彼があまり痛そうにはしていなかったからだけど、わきにいた、日本人観光客を相手にガイドをやっている(二十代後半の)武井さんと、秀人君が勉強していることにしているチャイナタウン近くの英語学校に(こちらは実際に)毎日歩いて通っている(三十歳は過ぎていると思われる)遼子さん、それに、このホテルに三人住んでいる白人男性のうちの一人(で遼子さんとおなじ年頃に見える)リチャードさんは、ずいぶん心配している表情だった。

 

          ※

 

   また話がそれてしまうけど、その三人の白人男性のことにちょっと触れておこうかな。

 

   さっき、このホテルには三十五の部屋があって、住人というか、長期逗留者というか、そんな日本人が十五人ほどいるって言ったよね。…で、あとの二十人ほどについても、どういう人たちなのかを説明しておいた方がやっぱりいいようだから。

 

   と言って内訳は単純なんだ。まず、いま言ったように、白人の男性が三人。あとは中国人の(他人同士の)男性と女性が一人ずつ。ベトナム人の男性が一人。残りは日本からやってきて短期間宿泊しては去っていく男女の(ほとんどは)若い旅行者。…それだけ。

 

   白人は三人ともアメリカ国籍だと思うけど、中国人二人とベトナム人一人の国籍は知らない。

 

          ※

 

   ついでに言っておくと、このホテルのオーナーはジェイスン・イーさんという韓国系アメリカ人で、その人の甥夫婦(テッドさんとキャッシーさん)が、三十五室のほかにもう一つある部屋に寝泊りしながら、マネジャーとして働いている。

 

   客室やロビー、廊下、階段などの清掃にはメキシカンの男女が(入れ替わり立ちかわり)雇われている。…テッドさんとキャッシーさんが気に入る仕事をするメキシカンがあまりいないのか、それとも、雇われた方が二人を嫌うのか、とにかく、だれも長つづきしない。

 

          ※

 

   中国人の男性はチェンという名だ。リトル東京にあるチャイニーズ・レストランでコック見習いみたいなことをしているらしい。何週間か前に(ホテルの一階にある)ローンドリールームでちょっと立ち話をしたとき、チェンさんは片言の英語で、晴れやかに(というか、誇らしげに、というか)「カネもだいぶ貯めたし、もうすぐここを出て、アパート住まいを始めるつもりだよ。こんなところに住んでいたんじゃ、だれも結婚してくれないからね」って言ってたよ。

 

   そんないい方をしちゃ、〔こんなところ〕に長く住むしかないほかの人たちが気を悪くするんじゃないかと、僕は(なぜか、自分のことは頭に入れずに)思ったけど…。たしかにね、このホテルに住みつづけながら人生の成功者と見られようたって、そりゃあ無理だよね。

 

   この人、一年半ぐらいここに住んでいるんだって。

 

          ※

 

   女性の方は、ダウンタウンのバスターミナルの近くにある小さなビジネスホテルで、客室の清掃係として働いているらしい。ほとんどだれとも口をきかないから、この女性から何かを直接聞き出した日本人はいないようだ。でも、(マネジャーのテッドさんがだれかにそう話したことでもあるのか)職場まで歩いて通うことができるというんでここに住んでいるんだって。それも、十数年間もね。…チェンさん以上にカネを貯めているはずだ、という人もいるけど、いまだにここに住んでいるところをみると、稼いだカネはほとんど全部、台湾か香港、そうでなきゃ中国本土に住んでいる家族に送っているのかもしれない。

 

   この女性の名はリンさん。だけど、それが〔林〕なのか、たとえばキャロリンまたはキャロラインの愛称のリンなのか、その辺のところは、確かめた人がいないみたいだよ。

 

          ※

 

   ベトナム人はみなにジャックさんと呼ばれている。本名じゃないんじゃないかな。五十代の半ばぐらいの年齢だと思うよ。リトル東京から遠くないチャイナタウンにあるベトナム系食品貿易会社で雑役をやっているそうだ。…ジャックさんは、韓国系アメリカ人が経営している(客のほとんどが日本人である)リトル東京近くの小さなホテルに住んで、中国系移民がつくりあげた町で営業しているベトナム系企業で働くという、いかにもロサンジェルスらしい、カラフルな国際的環境の中にいるわけだけど、自ら望んでそんな暮らしをしているわけではないんだよ。ほんとうは、ロサンジェルスダウンタウンから南東方向へ四〇キロメーターほど離れたところにあるリトルサイゴン(のベトナム人ベトナムアメリカ人の中)で暮らしたいんだって。

 

   じゃあ、そうすればいいのにって?

 

   それが、簡単じゃないみたいなんだよね。ジャックさんは(ジャックさん自身がいうには)以前はアルコール好きのギャンブル(特に競馬)狂いで、それが原因で、そのリトルサイゴン近辺に住んでいる家族や親類に見捨てられ、放り出された人らしいからね。…周囲の親しい人たちには〈アルコールとも馬とも切れたけど、もうちょっとここでがんばってかっこうをつけなければ、みなのところには戻れないよ〉みたいなことを話しているんだって。

 

   もう若くはないんだし、家族や親類が住んでいる町に早く戻れるといいんだけどね…。

 

          ※

 

   で、三人の白人。

 

   日系人と日本人の町であるリトル東京(とアフリカン・アメリカンのホームレスの人たちが多く集まっている地区)の近くのこの安ホテルに、アジア人たちの中に混じ込んで長く住んでいるんだから、この三人は、街なか(や取材先)で見かける大方の白人とは、やはり、どこかが違って見える。

 

   第一に言えることは、三人とも、周囲に与える印象が暗い。…何てったって、このホテルは、移民してきた中国人やベトナム人が、なんとか早く抜け出したい、と夢見ているようなところなんだから、アメリカで生まれ育った白人がすっかり満足して長期逗留しているわけはないんだろうけど、とにかく、暗い。もっとはっきり言ってしまうと、〔わたしは人生の落伍者です〕って看板を背負って歩いているかのように、暗い。

 

   いや、リチャードさんはいくらかましだけど、あとの二人は、見ていて気の毒に感じてしまうほど暗いんだ。

 

   しゃべらない。笑わない。…そういえば、その二人がともに、三階や二階と比べると日当たりも風通しも悪い一階にあえて住みつづけているのは、ほかの住人、逗留者たちとなるだけ顔を合わせないためなのかもしれないな。

 

   それに、これは性格や態度、風貌などとはまったく無関係なことだけど、三人とも、どういうわけだか、自動車を持っていない。持つ気もないみたいだ。…(スシマンの)柴田さんが前に、「警察なんかに追われていれば、免許証は取らない、自動車登録はしない、これ、常識だよ」と言ったときには、〈そういう柴田さんも、免許証はともかく、車は持っていないじゃないですか。でも犯罪者ってわけじゃないでしょう?〉と思ったけども。

 

          ※

 

   三人のうちの最初はスティーブさん。年齢がときによって三十代にも五十代にも見える人だ。

 

   と切り出したけど、実は、そのファーストネームのほかはほとんど何も知らないんだ。あの人は(ハリウッドの方に向かってトンネル掘りが進められている)地下鉄工事の現場で働いているんじゃないか、というのがみなの推測だ。だけど、確かなところはだれも知らないみたいだよ。

 

   でも、地下鉄の、かどうかはともかく、毎朝早く(五時半前には)作業員ふうの服装でホテルを出て、歩いてダウンタウン方向へ向かうし、午後四時ごろにはおなじ方向からまた歩いて戻ってくるっていうから、ふつうは六時‐三時のシフトで働く(という)建築工事現場で働く労働者だろうって説は当たっているのかもしれない。…もっとも、この説には、大きな工事の現場で働く労働者は組合に加入していて賃金も悪くないはずだから〔こんなところ〕に住む必要はないだろうに、スティーブさんはなぜ、という(やはり柴田さんが持ち出した)疑問に答えられないという弱点があるけどね。

 

   この人がこのホテルに入ってから、もう二年近くが経っているんだって。

 

          ※

 

   二人目は、もう六十歳に近いはずのブレットさん。

 

   この人のことはいくらか分かっているんだ。六年ぐらいここに住んでいるそうだし、この人と直接立ち話をしたことのある日本人もいるにはいるみたいだから。…ダウンタウンの少し南、サンタモニカ・フリーウェイの高架のそばにある(みながいうには)〔洗濯会社〕でアイロンを当てる(というより、当てる機械を操作する)仕事をしているんだって。レストランから集めてきたテーブルクロスやナプキンを洗濯、プレスする会社だそうだ。

 

   ロサンジェルス・ストリートを南北に走る路線バスで通勤しているらしいよ。

 

   そうそう、この人については、(日本にいたときは、新宿西口にある高層ビルの中にある会社で事務の仕事をしていたという)遼子さんが「白人がメキシカンや黒人に混じって最低賃金で単純労働を長くつづけていれば、性格、暗くもなるわよね」って(露骨なことを)言ったことがあるよ。それだけが〔暗い

 

原因じゃないんだろうけどね。

 

   〈俳優になろうと思って、三十年ほど前にオクラホマからやってきたんだ〉と話しているそうだよ。でも、いまの姿からは、そんな野心を抱いたことがあるようにはまるで見えないな。

 

          ※

 

   この二人には、たとえば、週末にいっしょにどこかに出かけたり食事を楽しんだりするような友人はいないみたい。仕事場ではどう振る舞っているんだろう?

 

   だれかが訪ねてきたところを見た人もいない。

 

   それも分かるって気もするけどね。…というのは。

 

   「新しい暮らしを始めた等さんの部屋がどんなふうか、一度見ておこうかな」という真紀をこのホテルに、四月の初めごろ、連れてきたことがあるんだよね。でも、正直にいうと、僕はあのとき、あまり気乗りがしていなかったんだ。…周囲の雰囲気、建物の様子、外観。アメリカの大都会のダウンタウン周辺はどこも似たようなものだと思うけど、このホテルのまわりにも、殺風景な、人の温かみの少ない、ちょっと荒涼とした感じがあって、やはり、だれかをわざわざ招待する場所のようには思えなかったからね。真紀もあれを最後に、ここで会おうとはいいださないし…。

 

          ※

 

   あ、そうか。スティーブさんとブレットさんは、こういう場所だと、たとえば、家族だとか昔の友人、知人だとかに姿を見られたり発見されたりする可能性が小さいはずだ、あるいは、自分がこんなところで暮らしていようなんて考えるものはいないだろう、と読んでここに住んでいるのかもしれないな。

 

   あの二人は、(柴田さんが示唆した〔犯罪者〕説は、やはり、いきすぎだと思うけど)何か事情があって、人目を引きたくないと思って暮らしているうちに、自然に、あんなふうに暗い印象を与える人間になってしまったのかもしれないな。

 

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横田等のロサンジェルス・ダイアリー =8=

*** 8月23日 水曜日 ***



   先週書いておいた[海流]用エッセイ(ほら、〔日本とアメリカでは記事の書き方が違う〕ってやつ)を編集長に渡して、きょうは早々と引き揚げてきた。

 

   もらった小切手が不渡りになったという人はまだいないようだったな。…でも、週末までは、みな、まだ安心できないかな。

 

          ※

 

   タイピストの克子さんが仕事中に急に気分が悪くなって、一時はちょっとした騒ぎになったんだよ、きょうは。

 

   克子さんは(編集長と近い)五十五歳ぐらいかな。ちょっと太り気味で高血圧だから、いつも自分の体を気づかいながら暮らしているようだけど、ときどき急に息苦しくなったりするんだって。きょうは工場の隅に置いてあるソファーで十五分間ほど横になっていたら、元に戻ったし、電話で知らせを受けて駆けつけてきた旦那さんのトニーさんといっしょに会社を出るころには笑えるようにもなっていたから、まあ、よかったけど。

 

   このトニーさんという人は、ロサンジェルス郡の土木工事局で二十数年間、さらには、民間の建設会社で何年間か働いたあと、三年ほど前に引退したという日系二世だ。四十歳になる少し前に、(やはり二世だった)最初のおくさんに死なれ、その後克子さんと再婚したんだって。死んだ父親の故郷を一度見ておきたい、という名目をつけて日本に行き、親戚に紹介されて会った克子さんを(トニーさん自身がほかのタイピストたちに話したところでは)〔たちまち気に入り〕一年ほどかけて結婚にこぎつけたんだそうだ。…そのころの克子さんは英語がまったくできなかったけれども、トニーさんが日本語をじょうずに話すから、意思を通じさせるのに困るようなことは少しもなかったらしいよ。

 

   トニーさんも(ジャネットさん、グレイスさん、フレッド社長たちとおなじように)子供のころ日本語学校に通わせられたんだね。克子さんによく、〈あのころは、白人の友だちが遊んでいる土曜日に日本語を勉強させられるのが嫌でしょうがなかったけど、いま、ちゃんと役に立っているよ〉っていうんだって。…とてもいい夫婦みたいだね。

 

          ※

 

   ふと思ったんだけど…。おなじ会社で働いているというだけの人(とその旦那さん)のことなのに、僕、ずいぶんよく知っているね。…近い親類のことだって、ここまでは知らないよ。

 

   そりゃあ、たとえば、僕の父親の(うんと年の離れた)弟、俊治叔父さんは東大の法学部を出た、東京地検の検事だ、ぐらいのことは知ってるよ。でも、育子おばさんとどこで知り合い、どういういきさつで結婚したかなんて、知りもしないし、知りたいと思ったこともなかった。

 

   そういえば、僕は、横田家の昔のことなど、ほとんど何も知らないのに、今村家のことなら三代にわたって、ある程度、というより、けっこう詳しく知っているんだよね。

 

   何なんだろうね、これ?

 

   自然に耳を傾けてしまうんだよね。見るもの、聞くものすべてに、なぜか、すごく興味を覚えてしまうんだよね。

 

   やっぱり、僕がいままで住んできた世界とはまるで違っているからかな。…違う世界に触れることが楽しいのかな。           ※

 

   ま、そういうことはともかく、数台の扇風機と天然の風通しだけを頼りにしている(エアコンのない)会社だから、まだ暑い盛りのいまの季節は、克子さんだけじゃないよ、みなもばてないように気を配りながら働かなきゃね。…ほら、この会社、従業員に健康保険を提供できるような状態じゃないから、倒れて寝込むようなことになっちゃ、大変だもんね。

 

          ※

 

   というところで、昨夜のつづき。…リチャードさん。

 

   この人は、ロビーで秀人君のけがを心配していたことからも知れるように、スティーブさんやブレットさんよりは、いくらかは、そう、社交的だ。印象は、やはり暗いんだけど、ちょっとは社交的なんだ。

 

   で、リチャードさんが日本人の僕らを相手に〔いくらかは社交的〕なのには、それなりの理由があるんだ。…というか、この人は、ほかの白人二人とは(たぶん)違って、〔日本人と接するために〕自ら進んでこのホテルで暮らしているんだ。

 

   なぜ日本人と接したいのかって?

 

          ※

 

   話を聞いてから、〈ああ、そんなことをどこかで耳にしたことがあったな〉と思ったんだけど、あれはたしか、文部省がやっているプログラムなんじゃないかな、英語のネイティブスピーカーを年間何百人か日本に招いて、全国各地の中学校、高校で生徒たちに生きた英会話を教えてもらおうっていうの。…リチャードさんはまた、そのプログラムに応募するつもりなんだ。〔また〕というのは、昨年は採用してもらえなかった、ということだけどね。

 

   だから、また応募するんだったら、その前に日本のことをもっと知っておいた方が採用してもらえる可能性が大きいのではないかと考えて、カリフォルニア州中部のフレスノ市の近くにある町からリトル東京に出てきたんだって。出てきて、このホテルに住んで、警備会社に雇ってもらい、夜はダウンタウンの大きなビルで警備員として働きながら、昼間は、リトル東京のサンペドロ・ストリート沿いにある日米文化会館の中の図書館で毎日、日本のことを勉強しているんだそうだ。

 

          ※

 

   日本で英会話を教えたい、というからには、リチャードさんはちゃんとした教育を受けているだろうし、なにも(中国人のチェンさんがいう)〔こんなところ〕に住むようなことはしなくったって、道は開けるだろうにって、そう思わない?

 

   いや、実際に、リチャードさんはカリフォルニア州立大学フレスノ校で心理学を勉強して、学士号も取っているんだって。…取ってはいるんだけど。

 

   そこからなんだよね、この人の、なんというか、苦労が始まるのは。

 

   リチャードさんも暗い印象を与える人だって言ったよね。…それがこの人の性格なんだ。もともとが、かなり内向的な性格の人なんだ。で、そのことは、この人、自分でもよく分かっているんだよね。知っていたから、大学を卒業したときも、(ロサンジェルスみたいな)都会に出て働こうとは思わなかった。そういう暮らしは自分に似合わないし、したくない、と考えていた。自分の故郷の町で、できれば町役場みたいなところで働きながら、静かに暮らしていきたかった。

 

   現実に、何年間も定職にはつかずに、ファストフードのチェーン店でアルバイトをしたりしながら、その町の役場や近隣小都市の市役所に、欠員が出るたびに、職種は問わず、応募もしたんだって。だけど、採用されなかった。…自分より劣る資格しかない(と見える)人たちが次々に雇われていくというのにね。

 

          ※

 

   リチャードさんはそれがおもしろくなかった。不公平だと思った。

 

   五月だったかな、日米文化会館前の広場でたまたま顔を合わせ、なんとなく立ち話を始めたときでも、まだリチャードさんはそのカリフォルニア中部の町で起こったことに不満を抱いていた。…顔見知りどうしだというだけの僕に向かって(ちょっと陰鬱な声で)「俺より劣る学歴や能力しかない黒人やラティーノ中南米系移民)が優先されるんだよ。ばかげているじゃない。雇用する際には、人種・性別のバランスを考慮するんだなんて言っているけど、これは明らかに〔逆差別〕だよ。たとえば、おなじ資格・能力の白人と黒人の求職者がいて、その際、バランスを取るために黒人を採用したというのだったら、まだ理解できなくもないけど、そうじゃないんだ。黒人よりも能力があっても、白人は雇われない。いや、〔白人だから〕という理由で採用されない。これは白人差別だよ。白人が仕事の機会を不当に奪われているんだ。日本人の君に言っても仕方がないけども、アメリカはいま、いったいどうなってるんだ?もう十分だよ。三十年前まで差別していたからって、いつまでも黒人の機嫌を取りつづけることはない。そうだろう?白人だろうと黒人、ラティーノだろうと、アジア人だろうと、能力に応じて処遇されるべきじゃないのか?リベラルの連中がいけないんだ。民主党アメリカをだめにしてしまったんだ」とまくしたてずにはいられなかったほど、怒っていた。

 

          ※

 

   話を聞きながら僕は、〈そのいなかの町役場などで雇われなかったのは、〔白人差別〕のせいというよりは、リチャードさん、面接の際にあなたが与えた印象が暗すぎたからじゃないのかな〉〈だって、積極的にばりばり仕事をするタイプの人間には、どうしても見えないですよ〉〈それに、心理学の学士号を持っているって聞いてますけど、そんなものがじかに役立つ仕事は、町役場みたいなところにはあんまりないんじゃないですか〉〈そういえば、その〔三十年前まで〕アフリカン・アメリカンを先頭に立って差別していたのは、実は、物事をいつもそんなふうに、つまり、だれかのせいで俺の人生が冴えなくなってしまっている、みたいに考える白人たちだったんじゃないんですか〉などと思ったけれども、リチャードさんの(また、児島編集長が嫌いな常套句)〔やり場のない怒り〕に満ちた顔をただ黙って見つめていたよ。…人種が絡んだ話には、自分や日本人、アジア人が直接差別されたり侮辱されたりしてるんじゃなきゃ、口を出さない方がいい、という知恵も働いて。

 

          ※

 

   カリフォルニア中部の町でおもしろくない暮らしをしていたリチャードさんに、日本に行って一年間英会話を教えてきたらどうだ、と(いとも簡単そうに)言ったのは、そのプログラムで実際に日本に行き、戻ってきたばかりの、大学時代からの友人だったんだって。〈給料も悪くないし、何も難しいことを教えるわけではない。たいていは、アメリカ人にはいままで直接会ったことがないって人がほとんど、というような町に派遣されるから、学校でもホームステイ先でもみなに大事にされる。立場もあるから、ふしだらなことはできないけど、女の子にはもてる〉といったふうに、この友人の話しはいいことずくめだったし、自分はアメリカが嫌になっていたところでもあったから、リチャードさんはすぐにその気になったそうだ。

 

   リチャードさんはそのとき、日本のことは事実上、何も知らないに等しかった。だけども、一九八〇年だったかに最初に放送され(その後何度も再放送されてきた)テレビのミニシリーズ・ドラマ[ショーグン]の中で、この東洋の島国がずいぶん優美に描かれていたことは覚えていたんだ。だから、日本という名を聞くと、たちまち、〈あんな国なら俺にも気持ちよく暮らせそうだな〉って思ったんだって。

 

          ※

 

   〈それは偏見ですよ。いまの日本はもうそんな国じゃありませんよ〉とは言わなかった。そういう忠告は不要だと感じたんだ。…だって、たとえば、僕の父親。

 

   「MBAのコースはフィニックスにある大学で取ることにしたよ」と電話で報告したとき、父はちょっと頼りない声で「昔、西部劇か何かで見たような記憶があるが、あの辺りはサソリが多いところじゃないか?気をつけるんだな」なんて、(ふだんは知的なあの人らしくない)ちょっと焦点の外れたことを言ったんだよね。…そりゃあ、たしかに、サソリはいるかもしれないけども。

 

   映画とかテレビとかいうのは、そこで見たものに対して人が抱く印象を単純化する、というか、典型化する、というか、とにかく、そんなふうな影響力を持っているみたいだね。…だから、僕の父親がフィニックスを訪れてみれば、砂漠に囲まれたこのアリゾナ州の州都が実は人口百万ぐらいのけっこう大きな大都会だし、隣接する四つの市(テンピ、スコッツデイル、メサ、グレンデイル)にだって、合わせて七十万人もの人間が住んでいるんだってことを知って、驚いてしまうかもしれないように、リチャードさんも日本に行ってみれば、予想や期待とは違い、ドラマで見た〔優美さ〕になかなか出合えないんで、いくらかショックを受けるかもしれないけど、そういうのは仕方がないんだよね。

 

          ※

 

   もとに戻ると…。ところが、その友人の(いかにも簡単そうな)話から想像していたのとは異なり、ここでも競争は激しかった。すべての人種、あらゆる文化を背景にした人たちが大勢、全米各地からこの仕事に応募していたんだ。

 

   リチャードさんは採用されなかった。

 

   どうやら、外国人に英語を教えた経験のある人や、大学で語学を専攻した人たちが(リチャードさん自身がいうには、「ここでは、たぶん、人種に関係なく、公平に」)優先して採用されたようだった。…リチャードさんは、採用された人たちを日本に向け送り出そうという目的で、リトル東京の[ニューオータニホテル]で開かれた歓送パーティーを覗きに出かけ、実際にどんな顔ぶれになっているかも見たし、中の何人かには直接話しかけて、経歴の聞き出しもしたんだって。…リチャードさんの執念みたいなものが感じられるエピソードだね、これ。

 

   で、リチャードさんにはその二つ、〔経験〕と〔専攻〕がともに欠けていた。何かで埋め合わせをしなければ、と考えた。

 

   考えて、リチャードさんは、そのままリトル東京に残って日本のことを学ぶことにした。

 

          ※

 

   目的を果たすためなら、日系人と日本人の町に出てきて〔こんなところ〕に住みつくだけの実行力があるんだから、もっと積極的に動けば、フレスノ近くの田舎の町で、に限らず、どんな仕事にだって就けるだろう、という気がするけど、どうも、そういうものではないらしい。日本で働くためにだったらできることが、アメリカ国内で働くためにはできないみたいなんだ。…それぐらい、アメリカの現実に失望してしまっているんだね、リチャードさんは。

 

          ※

 

   この人、日本に行けると思う?

 

   自分の国、アメリカについてもっとポジティブにならなきゃ、役場のときみたいに面接(があれば、そこ)で落とされてしまうんじゃないかな。…そんな予感がするよ。

 

          ※

 

   三人の白人について僕が知っているのは、それぐらいかな。

 

   たった三つの例だけど、いろんな生き方があるもんだなって、やっぱり、思っちゃうね。

 

          ※

 

   と長々としゃべったあとで、やっと、月曜日の夜に起こったことに話を戻すと…。

 

   一階のロビー。

 

   「待たせてしまって…」。だれへともなく、僕はつぶやいた。…日本語が分からないリチャードさんが、武井さんと遼子さんの動きにつられ、僕に向かってうなずきかけた。

 

   秀人君が顔を上げた。それまで隠れていた左のこめかみに(もう血が流れたりはしてなかったけど、けっこう大きな)すり傷があるのが見えたよ。

 

   「ホームレスにやられたんだって」と遼子さんが僕に言った。やはり、少し興奮しているような口調だったな。…新宿西口の高層ビルの中で働いていたという遼子さんはOLとしては、ほら、ちょっとエリートの方に属していた人だから、身近に暮らしている善良な日本人の若者がロサンジェルスダウンタウンで〔ホームレスにやられた〕というのは、一生に一度しか経験しない、といった類の、生臭い、頭を熱くさせるに値する大事件だったのかもしれないね。

 

   「そのことは…」。柴田さんが遼子さんをさえぎった。「オレがあとで、車の中で、横田君に説明するから」

 

   秀人君が立ち上がりながら僕の方に頭を下げた。「どうも、すみません」

 

   けがのことについて秀人君に何かたずねるか、慰めるようなことを言った方がいいかな、とも思ったけど、柴田さんに〔それはあとで〕と言われそうな気がしたから、僕は「いや」とだけ言って、その場に突っ立っていた。

 

   秀人君につづいて立ち上がろうとした遼子さんと秀人君のあいだに割り込むような形で、柴田さんが秀人君の背に腕を回した。「さあ、行こう」

 

   遼子さんは、そんなことではめげなかった。「わたしも行く」

 

   「いいよ、遼子は」。柴田さんは言った。

 

   この二人は〔仲がいいようで悪いような、悪いようでいいような、みょうな間柄だ〕と武井さんからだいぶ前に聞いていたけど、柴田さんのあのときの口調にも、どこか中途半端な響きがあったな。

 

          ※

 

   また横道へ。

 

   武井さんによると、二人の仲がおかしな具合、というか、柴田さんが遼子さんに(少なくとも、表面上は)冷たく当たるようになったのは、自分も三十歳は過ぎているはずなのにまだ独身でいる遼子さんが、四十歳を過ぎるまで〔一度も結婚したことのない〕柴田さんを(「新宿の、西口の高層ビル内ではなくて、歌舞伎町で聞かれそうな露骨な言葉を使って」)手ひどくからかってからだそうだ。…それでも、そのとき、柴田さんの方に心のゆとりがあれば、〈遼子、自分の方はどうなんだ?〉とか〈そんな言葉で、もしかしたら、オレを誘っているのか〉とかいうふうに対応することもできたんだろうけど、柴田さんはただ、顔を真っ赤にして黙り込んでしまったんだって。

 

   〔一度も結婚したことのない〕というのは柴田さんにとって、なんとしても他人には触れられたくない、といった類の不名誉な過去だったんだろうか。…「次はシカゴだ」と言ったときには、あんなにスケールが大きく見えた人なんだけど。

 

   そういうのって(この二人の状況は職場の上下関係なんかではないわけだけど)、やっぱり、女性の方が仕掛けるセクシュアル・ハラスメントの一例なんだろうね。…遼子さんにどういうつもりがあったんだったにしろ。

 

          ※

 

   とまあ、僕は一瞬のうちに、そんなことを思い出したり考えたりしていたんだけど、〔いいよ、遼子は〕だけじゃちょっと冷淡すぎる、とでも感じたのか、柴田さんはこうつけ足したよ。「横田君の[ムスタング]は後部座席が広くないんだから」

 

   僕はたちまち、〈柴田さんはやっぱり、遼子さんが嫌いじゃないんだな〉と思ったよ。…嫌いなんだったら、そんな弁解がましいこと、わざわざつけ足さないはずだもんね。

 

   そういわれた遼子さんの方は、柴田さんの後ろ姿に向かって(リチャードさんや武井さん、それに僕にみられていることを意識しながら)口を尖らせて見せた。遼子さんは、そのしぐさはかわいく見えるはずだと信じているようだったけど…。

 

   いや、十八歳のときの遼子さんだったら、実際にかわいく見えたかもしれないんだよ。

 

   柴田さんが見たら、どう感じたかな?

 

          ※

 

   長く逗留している日本人の中には、ほかにも女性がいるのかって?

 

   ああ、二人いるよ。いるんだけど、僕はこの二人のことは、何を仕事にしてるかってことを除けば、ほとんど何も知らないんだ。二人とも、ロビーに出てきたみなと話すようなことはしないし、一階にある共同キッチンで顔を合わせるようなことがあっても、〔今晩は〕程度のあいさつを交わすだけだから。

 

   それに、正直にいうと、ファースト・ストリートにあるレスタランでウェイトレスをやっている方の女性は六十歳に近い人だから、やっぱり、興味がわくような対象じゃないし、もう一人は、[ジャパニーズ・ビレッジ・プラザ]だか[ホンダ・プラザ]だかにあるクラブのホステスさんで、まだ二十代に見えはするけど、目鼻や唇の輪郭がはっきりしないもともとの顔立ちにまるでマッチしていない、ずいぶんはでな化粧、突飛な赤っぽい髪をした、気性の激しそうな人だから、ちょっと怖くて、僕の方からはできるだけ視線を合わせないようにしているし…。

 

          ※

 

   三日間、五日間、十日間といった短期宿泊者はほとんどが男性だけど、女性がやってくることもないことはないんだよ。

 

          ※

 

   唐突にこんな話を聞くと、真紀は気を悪くするかな。…でも、きのうは、たとえば、ベトナム人のジャックさんのことまでしゃべったんだから、僕自身のロサンジェルスでの暮らしに関することは、やっぱり、何でもちゃんと触れておく方がいいだろうな。

 

          ※

 

   あれは日本のゴールデン・ウィークに当たっていた。ほっそりしていて背がけっこう高くて、夏にはまだ間があるというのにサーファーみたいによく日焼けした(ガイドの武井さんがいうには〔すごい美人〕の)女の子がこのホテルに(新しい客なら、実は、みなそう見えるものだけど)ふらりとやって来たのは。…女性のことでは陰でしか元気になれないらしい武井さんが「あんあきれいな子が一人で旅行しているなんて、しかも〔こんな〕ホテルを選ぶなんて、信じられないよ」って何度も言っていたから、これは〔やって来た〕というよりは〔迷い込んできた〕と言うのがふさわしい表現かもしれないな。…大阪の学生だということだったよ。

 

          ※

 

   そうだな。武井さんのことを先に少ししゃべっておくよ。

 

   この人がアメリカに戻ってきたのは四年ほど前だったそうだ。〔戻ってきた〕というのは、学生のころに一度、(アメリカのちょうど真ん中辺りにあるから、という理由で選んだ)ミズーリ大学に六か月間、語学留学をしたことがあるからだ。日本の大学を卒業したあと、関東のある鉄道会社で事務系職員として働いていたんだけど、「仕事が退屈だったから、どうしてももう一度アメリカで英語を勉強したいと上司に嘘をついて、会社をやめさせてもらい、将来のことなど何も頭にないまま、とりあえずロサンジェルスにやって来た」ということだった。

 

   武井さんは、このホテルに入ってから数か月間は、(ミズーリ州で取っていた自動車運転免許証をカリフォルニア州のものに切り替え、もうすぐ日本に帰るというホテル先住者から八〇〇ドルで買った中古の、というよりは、もうぼろぼろになりかけていた[トヨタ・カローラ]を運転して)あちこちを見物しながらぶらぶらと暮らしていたんだけれども…。それからあとは、ほら、どこかで聞いたようなコース。『日米新報』でたまたま見た求人広告に応募してみたら、すぐにも働いてくれといわれ、もう次の日には、日本人観光客相手のガイドになっていたんだって。

 

   いったんは日本に戻っているから、武井さんは典型的な〔留学生くずれ〕じゃないんだろうけど、(僕自身のことはとりあえず無視していうと)こういう具合に〔なんとなく〕居ついてしまった人がけっこう多いみたいだね、南カリフォルニアには。

 

          ※

 

   念のために言っておくと、武井さんは永住権を持っていたわけじゃなかったし、いまも持っていないようだから、もちろん、こんな雇用は違法なんだよ。だけど、日本語と英語の両方を(日本からきた観光客が不安を覚えない程度に)ちゃんと使うことができて、しかも、この業界特有の(仕事がときには何日間もまったくないことがあるし、あればあったで、早朝から夜遅くまで及ぶことがしょっちゅうあるという)不規則な労働、けっしていいとはいえない給料に長く耐えつづけることができる人は、アメリカ人のあいだにも、永住権を取得している日本人のあいだにも、やっぱり、あまりいないらしいんだよね。

 

   たしかにね。合法的に働ける、英語と日本語の両方をきちんと使える人なら、もっと条件のいい仕事がほかでいくらでも見つかりそうだよね。…『南加日報』と似た求人の悩みが観光ガイド業界にもあるんだね。

 

          ※

 

   で、大阪からきたその女の子のこと。

 

   武井さんの騒ぎ方は、いま思い返せば、ふつうじゃなかった。「あんな子が独りでいるなんて、もったいないよな」「これは〔わけあり〕の旅行だな、きっと」「僕がもう少し男前だったら、攻めてみるんだけどな。僕の勘では、あの子は落ちるよ。僕には落ちなくても、だれかに落ちるよ」などと、あの人、みょうに盛り上がっていたからね。

 

   僕が初めてその子の顔を見たのは、武井さんからそんな話を聞かせられた翌日の夕方、(仕事が早くかたづいたので、いつもよりはうんと早く)『日報』から帰ってきて、習慣どおりに、(日本の住宅でいうなら十畳ぐらいの広さの)ロビー(として使われている玄関わきの部屋)を覗いてみたときだった。…その子、午後三時に授業が終わる語学学校から帰ってきたもののまだ自分の部屋には戻っていないといった様子の遼子さんと、けっこう親しそうにしゃべっていたんだ。

 

   このホテルを根城にして外で働いている人たちが帰ってくるには(ダウンタウンの建築工事現場が仕事場じゃないかと思われるスティーブさんを除けば)ちょっと早すぎたし、夕方からの仕事に就いている人たちは、ちょうど出かける準備をしているか、もう出かけたあと、という時間だったからか、ロビーには二人のほかにはだれもいなかった。

 

   L字型に置いてある、形も色も大きさも異なる二つのソファーの一方の端に、いつものように出入り口の方に顔を向けながら座っていた遼子さんが間を置かず僕に気づいた。「あ、横田クーン」

 

          ※

 

   正直にいうと、僕は、遼子さんに〔横田クーン〕と呼ばれるのは好きじゃないんだよね。遼子さんの〔クーン〕には、なんというか、やっぱり、そう、無理があるんだもん。…『日報』の光子さんもそうだけど、三十歳を過ぎた(はずの)女性が僕ぐらいの年齢の異性と対等に、というのが変だったら、おなじレベルで友だちづきあいをするのは、実は簡単じゃないんだろうな、とは思うよ。でも、無理に若い方のレベルまで下りてくるようなことは、しない方がいいと思うな、僕は。そういうのを見ると、僕、どういうわけだか悲しくなっちゃうんだよね。

 

          ※

 

   「話していかない?」と遼子さんはつづけた。いつものように、僕が断るかもしれないなんてまるで考えていない、そんな感じの誘いだった。

 

   遼子さんの斜め前に、出入り口からは右横顔が見える位置取りで、ずいぶん日に焼けた、髪の長い若い女性が座っていた。僕はたちまち、〈あ、この子だな、武井さんが言っていた〔すごい美人〕は〉と思った。…そんな年恰好の女性はほかには泊まっていないはずだったからね。

 

   その子がどのぐらい〔すごい美人〕なのかを見ておくのも悪くないな、という気もしたから、僕はとりあえずは「そうですね」とあいまいな返事をして、入り口に突っ立っていた。

 

   僕の視線がちらりとその子の方に走ったのを遼子さんは見逃さなかった。「あ、この子はね…。あさい・みかチャン。三日前から宿泊してるの」

 

   〈この子はね、のあとの間隔がみょうに、不自然に、勿体をつけるみたいに、ずいぶん長かったな〉〈三日間あれば互いにいくらかは知り合っているんだろうけど、もう〔みかチャン〕なんて呼ばれて、この子、どう感じているんだろう〉〈〔あさい〕は浅井で、〔みか〕は美香なんだろうか〉なんてことを瞬時のうちに考えながら、僕はロビーの中にのっそりと足を踏み入れたよ。

 

          ※

 

   「座ったら?」。遼子さんは(意味ありげに)ほほ笑みながら僕に言った。

 

   僕は、二つのソファーのうちの、どちらの、どこに腰を下ろせばいいかが決められずにいたんだよね。だって、その子と並んで座れば、好奇心に満ちた目で遼子さんに(斜めから)顔を見つめ回されそうだったし、その子の前を通り過ぎてわざわざ遼子さんの横に行ったんじゃ、その子に、〈この人、遼子さんとはけっこう親しんだ〉と(いささか不当に)疑われそうな気もしたし、遼子さんには〈あ、横田クン、みかチャンの顔をちゃんと見たいからこっちに座ったんだ〉って、(言ってみれば、まあ)胸の内を見透かされそうだったから…。

 

          ※

 

   僕は結局、出入り口からすぐの、遼子さんからいちばん遠いところに、その子の横に人一人分あいだを置いて、腰を下ろした。…無難な選択?

 

   その子は、遼子さんと僕がそんなやり取りをしているあいだ、どういうわけか、一度も僕の方をみなかったな。

 

   僕が座るとすかさず、遼子さんが言った。「みかチャン、この子が、ほら、横田クン」

 

   僕は〈あれ、〔ほら〕っていうのは何なんだ?〉と思ったよ。いや、すぐに、〈遼子さんはたまたま僕のことをこの子に話していたところだったか、そうじゃなければ、きのうにでも話したことがあったんだ〉って気がついたけどね。…遼子さんみたいに長く逗留している日本人が、新しくやって来た日本人に、このホテルにどんな(変わった経歴の)人間が住んでいるかを話して聞かせるのは、格別にめずらしいことではなかったからね。

 

   「どうも」。その子が初めて僕の方に顔を向けた。

 

   たしかに、きれいな子だったよ。でも、武井さんが言っていたような〔すごい美人〕だとは感じなかったな。

 

   いや、この〔日記〕をいつか真紀に読んでもらうかもしれないから、というんで不正直にそう言っているんじゃないんだよ。…その子が聞いたら、大阪弁で〔ほっといてんか〕とか〔ほっといてえな〕とか言うところだろうけど、僕の好みからいうと、あごが尖り過ぎていたし、眉もちょっとつり上がりすぎていたからね。

 

          ※

 

   遼子さんが僕に、その子がどういう子かを説明してくれた。

 

   ほら、大阪の学生だとか、まだ十九歳だとか、身長は一六三センチメートルだとか、正月に家族といっしょにグアムで過ごしたときの日焼けがまだ抜けないんだ(つまりは、サーファーなんかじゃなかったんだ)とか、そういうの。だけど、いま話したいことにはあまり関係がないから、その辺りのことは端折ってしまうよ。…阪神・淡路大震災のときは、その子が住んでいた阿倍野区でもずいぶん揺れたんだという話のときには、真紀の例の〔すき焼きが食べたい〕事件もあったことだし、僕はけっこう真剣に耳を傾けたんだけどね。

 

   僕のことについては、遼子さんはその子に何も説明しなかったから、やっぱり、その部分は二人のあいだでとうにすんでいたんだと思うよ。

 

          ※

 

   なんだか変だ、と最初に感じたのは、遼子さんが「みかチャン、ボーイフレンドがほかの女の子と遊んだことが分かったんで、〔あんたとは絶好や〕と捨て台詞を残して飛び出してきたんだって。だから、いま、新しい恋人を探しているところなの」って言ったときだったよ。だって、僕を見る遼子さんの視線がみょうにねちっこかったし、それに、そういう話は遼子さんが知っているのはいいにしても、初対面の、異性(の僕なんか)にはふつうは告げないものじゃない?その子にとっては名誉のある話ではないわけだからね。…まあ、それを聞いたんで、〔わけあり〕の旅行ではないかと武井さんがしきりに言っていたのは、きっと、そんな事情をすでに聞き知っていたからだったんだろう、と想像がついたんだけどね。

 

          ※

 

   遼子さんが自分のわきに置いていた(英語の教科書なんかが入っているはずの)赤いバックパックを急に持ち上げ、「これを部屋に置きに行ってくる。二人でちょっと話してて」と言いながら立ち上がったときには、もっと変だと感じてしまったよ。…というのは、言い方がずいぶんわざとらしかったということもあったけど、だいたい、遼子さんはいつだって会話の中心にいたがる人で、ふだんはそんなふうに淡白には会話の場を離れたりはしないし、どうしてもちょっと離れなきゃならない場合には、必ず、〔話を先に進めちゃだめよ。わたし、すぐに戻ってくるんだからね〕みたいなことを言い残していくか、言い残したそうな表情を見せるからね。

 

   だから、あの状況にあれば、どんなに勘の鈍い人間でも、遼子さんはその子と僕を二人っきりにしたがっているんだってことに気づいたはずだよ。…テレビのドラマの見合いシーンでよく、食事がすんだあと、仲人が〔あとはお二人で〕みたいなことをいうじゃない。あれだ、と僕は思ったよ。

 

          ※

 

   だから、遼子さんがいなくなると(そのときを待っていたかのように)その子が急に、南カリフォルニアではあそこが見たいし、ここにも行ってみたい、僕はどこそこに行ったことがあるか、というようなことを僕に言ったりたずねたりしだしたときも、僕はあんまり驚かなかった。…そういうことを話題にするよう遼子さんに諭されていたんだろう、と思ったからね。

 

   僕の方は何も聞かせられていなかったわけど、その子の方は、ほら、〔これから横田クンという男の子を紹介してあげるからね〕みたいな話を遼子さんから聞いていて、いくらかは僕に興味を感じていたんじゃないかな。…出入り口に立っていた僕をその子が見なかったのは、僕に興味を感じてるってことを僕に悟られたくなかったからで、急にしゃべるようになったのは、僕の顔を見てもその興味が減退しなかったからだ、と考えるとうまく説明がつくような気がするけどな。

 

          ※

 

   その大阪の女の子の話は、この辺でやめておいた方がいいかもしれないな。ほんとうに話したいのはその子のことじゃないんだから。

 

   でも、いいか。やましいことがあったわけではないんだから。

 

          ※

 

   というようなことで、僕は、武井さんと遼子さんの言動がちょっと変だと感じていた。武井さんはきのう、(その意図の見当はまだつかなかったけれども)その子と僕を近づけようとしてあんな暗示めいた話しを僕にしたんじゃないか、と疑い始めていた。けれども、その子に「あの白い[ムスタング]は横田さんのですってね。あんな車があるといいな。どこにだって行けるから」と(実は大阪訛りで)ちょっと甘えるようにいわれたときでも、僕は〈遼子さんはそんなことまで話してしまっているのか〉と思っただけで、武井さんがみょうに自信を持って予言していたみたいに、その子が(僕に)〔落ちる〕気があってそんなことを言っているんじゃないか、などと(不埒なこと)は考えなかった。…だって、何てったって、その子と僕は初対面なんだからね。

 

   だから、少し会話があったあと、その子に突然、変に急いた様子で「あとで横田さんのお部屋に話しに行っていいですか」ってたずねられたときには、僕はすっかり面食らってしまって…。

 

          ※

 

   いや、面食らいはしたものの、僕は案外に冷静だったんだよ。…すぐに、〈いや、これは実にアブナイ話だな、等。用心、用心〉と自分に語りかけたぐらいに。

 

   と言ってしまうと、ちょっと嘘になってしまうかな。

 

   ほんとうのことをいうと、その子の言葉が終わりきらないうちに、真紀の顔がふわりと頭の中に浮かんできて、僕に「だめ!」って告げたんだよね。…もちろん、真紀にはその手の超能力はないわけだから、僕の中で(悪いことは何もしていないのに)良心の呵責みたいなものが(先走りして)動いただけだったんだけど、僕は〈こういう状況で登場してくるなんて、真紀はなんてすごい子なんだろうと〉と変なふうに感動したり、ちょっと怯えたりしながら、とにかく、もう一度自分に向かって〈いかん、いかん。こういう話には気をつけなければ〉といい聞かせたわけだ。

 

   だから…。そんなふうに自分にいい聞かせないと、ついふらふらと甘い返事をしてしまいそうなぐらいには、その子、きれいだったんだよね。

 

   どういうふうにきれいだったのかって?

 

   うまくはいえないけど、二重まぶたで切れ長の目が(涼しげっていうのかな、ああいうの?)すっきりしていたし、頬骨から口もとにかけてのラインが額の丸みにマッチしてすごくととのっていたよ。

 

          ※

 

   で、こういうアブナイ話にはきっと裏があるはずだ、といったん疑ってから、改めて考えてみると、その子の話は結局、僕の部屋で(どういうふうにかはともかく)いっしょに時を過ごしてやるから、自分がロサンジェルスにいるあいだは〔白いムスタング〕でいろんなところへ連れて行ってくれ、というものらしかった。…そのときの僕にはそう聞こえた。そう聞こえない?

 

          ※

 

   そりゃあ、〔白いムスタング〕を持っている人間であれば、それがだれであれ、その人間の部屋に行くってわけでもなかったろうから、その子、会ってみて、少しは僕を気に入りもしたんだろうけど、もし、ロサンジェルスを僕に案内させようという気でそういうことを言ったんだとすると…。そういうのって、よくないよね。

 

   それに、大阪で恋人に裏切られたから、いま新しい恋人を探しているところだ、という(遼子さんの)話がほんとうだったにしても、何日間か何週間かが過ぎれば、その子、大阪に帰ってしまうわけだろう?ずいぶん保守的なことをいうようだけど、やっぱり、〈あとで横田さんのお部屋に話しに行っていいですか〉なんて、無謀で大胆なことを口にするのはよくないよ。

 

   もしも、〈車で案内してくれる男の子を見つけたから、ロスではぜんぜん困らなかった〉だとか〈間に合わせのボーイフレンドをつくるの、どこでだって簡単よ〉だとか、その子があとで大阪の友人たちに自慢するときのタネが僕、なんていうのだったら、その子の意図、もっとよくないんじゃない?

 

          ※

 

   とにかく、そんなふうなことを(頭の中をちょっと混乱させながらも)瞬時のうちに考えたから、僕ははっきりと断ったよ。「僕は仕事が忙しいから、僕の車で君を案内してやる時間はないよ」ってね。

 

   気づく?

 

   そう、いま振り返ってみると、この断り方は(自分では〔はっきりと〕のつもりだったけれども)ひどい的外れな答えだったんだよね。だって、それじゃ、「お部屋に行ってもいいですか」という質問の答えになってないじゃない。そうだよね?

 

   その子が、僕が想像した(というより、むしろ、ほとんど決めつけた)とおりに〈部屋に行ってやるかわりに、この人に〔白いムスタング〕で案内させてやろう〉と考えていたんだったら、僕の答えはそれでよかったんだろうけど、そうじゃなかったんだったら、あれは、ずいぶん間が抜けたものに聞こえたはずだよ。

 

          ※

 

   でも、まあ、僕の答えはその子に通じたようだった。…かなり自信があったから、というか、(ボーイフレンドには裏切られたかもしれないけども)それまでにそんなふうに簡単に(自分の誘いが)断られたことはなかったから、というか、とにかく、その子、〔信じられない〕って表情で(少し大げさにいうと、呆然と)しばらく僕を見つめていた。

 

   いや、そのときの僕には、そんなふうに見えたんだよね。

 

   そのあと何度かロビーや廊下で行き合わせる機会があったけど、その子、僕から目をそらせてしまって…。

 

          ※

 

   二日後だったと思う。遼子さんに「あの子、サンフランシスコに移っちゃったよ」って、責めるような口調でいわれたのは。…〈そんなふうに言われたって〉とそのときは思ったけど。

 

          ※

 

   でも、おかしいね。日が経つに従って、僕はしだいに、〈あの子は〔白いムスタング〕であちこちを見物することなんか、ほんとうはどうだってよかったのかもしれないな〉〈〔白いムスタング〕の話はただ、(たぶん、少し好感を抱いた)僕と話すきっかけとして持ち出しただけだったのかもしれないな〉と考えるようになって行ったよ。

 

   じゃあ、〈あとで横田さんのお部屋に〉っていうのは?

 

   それだって、よく考えてみると、ただ〔遼子さんがそこのヌシみたいになっているロビーを避けて〕あるいは〔(何でも自分で取り仕切りたがる)遼子さんをあいだに入れずに〕という意味だったかもしれないじゃない。…その子が自分の部屋に僕を誘うのは、もっとまずいだろう?

 

   あの子があんなふうに〔急いた〕物言いをしたのも、だから、バックパックを部屋に置きに行った遼子さんがロビーに戻ってくる前に、次に(遼子さん抜きで)僕と話せるチャンスをつくっておきたかったからだったって、考えられない?つまり、その子は、彼女のことを親しげに〔みかチャン〕と呼ぶ遼子さんのことが、実は、あまり好きじゃなくて、できれば遼子さんを外して僕と話してみたいと感じたんだって?

 

   なんで〔僕と話してみたい〕とその子が思ったのかって?

 

   それは…。分からない。僕の顔を見て、好感を持ってくれたのかもしれない。ロサンジェルスの話を聞くのなら、遼子さんからじゃなくて僕からのほうが楽しそうだ、と思ってくれたのかもしれない。あるいは、遼子さんに〈だいじょうぶ。横田クンはみかチャンのこと、きっと気に入るよ〉みたいなことを言われていて、なんとなく、僕に対して心を開いていたのかもしれない。

 

           ※

 

   いや、その辺りのことはまだ遼子さんに問いただしてはいないし、そうする気もないよ。でも、僕のことをそんなふうにその子に紹介する動機みたいなものが、考えてみれば、(あとで触れるけど)遼子さんにはあったんだよね。

 

          ※

 

   (大阪の女の子が見せた〔信じられない〕って表情を頭の片隅に思い浮かべながら)その子のことを誤解していたんじゃないかと僕が思うようになったのには、実は、きっかけみたいなものがあったんだ。どういうことかというと…。

 

   その子が〔サンフランシスコに移って〕から数日経った土曜日だった。

 

   仕事を終え、それから(ホテルには戻らず)そのまま(真紀が住んでいる)リバーサイドに向かうつもりで新聞社の建物の外の歩道に出た僕の目の前に、光子さんの車(十数年前のモデルの[ホンダ・シヴィック])がとまった。降りてきた光子さんは手に写真屋の紙袋を持っていたから、前夜の取材の際に撮影し、その朝(『南加日報』には自前の設備がないものだから)リトル東京写真屋に現像・焼きつけを頼んでいた写真を取りに行って、いま戻ってきたところに違いなかった。

 

   「え、もうそんな時間?」。光子さんは言った。

 

   朝、会社に出てくるのが遅く、ふだんは(度胸がいい、というのか)あまり時間にこだわらない光子なんだけど、あのときは、退社しようとしている僕を見て、さすがに、取ってきた写真を早く(日本語欄レイアウト係の)江波さんに渡し、それを(写真製版の際にハレーションを起こさないよう)版下用写真に(縮小あるいは拡大して)撮影しなおしてもらわなければ、と思ったようだった。

 

   もっとも、僕が[ムスタング]のドアに手をかけるまで僕の動きをずっと眺めていたんだから、光子さんの〔え、もうそんな時間?〕には、実は、あまり緊張感はこもっていなかったのかもしれないけど…。

 

   光子さんは、ほとんどつぶやくように言った。「その車に、横田君、何年乗るのかしらね」

 

   僕は言われたことの意味が分からなかった。

 

   「十年間かな。それとも、もっと長く、かな」。光子さんの口調はいつになくしんみりとしていた。「ここで働いている限り、そんな新車はもう二度と買えないよ」

 

          ※

 

   光子さんは(僕のことだけじゃなく)ほかの社員のプライバシーについては(こう言ってしまうと、偏見だってどこからか抗議がありそうだけど、たぶん、あのぐらいの年齢の独身女性にはめずらしく)ほとんど興味を示さない人なんだよね。だから、あのときも、僕が学生で、九月にはアリゾナへ行ってしまう(はずだ)ってことなんか、(児島編集長から聞いていなかったのか、それとも、聞いたことがあったのに忘れてしまっていたのかは、判断がつかなかったけれども、とにかく)まるで頭にない様子だった。

 

   でも、ショックだったな、あの言葉は。

 

   まだ日本のカレンダーでいうゴールデン・ウィークが終わって間もないころで、僕は『日報』で働きつづけようかなんてぜんぜん考えていなかったから、「ご心配なく。ここで長く働くつもりはありませんから」と答えることもできたはずなんだけど…。

 

          ※

 

   ポモナ・フリーウェイに乗り、車を東に向かって走らせ始めたころには、僕はすっかり考え込んでしまっていたよ。〈そうなんだよな。ロサンジェルス日系人と日本人コミュニティーの日本語新聞社で働くというのは、現実にはそういうことなんだよな〉ってね。

 

   あんな給料じゃ、たしかに、新車なんかとても買えないもんね。一度買った中古車を光子さんや辻本さん、江波さん、前川さん、田淵さんたちみたいに、ほとんどつぶれそうになるまで乗りつづけるしかないもんね。

 

   いったんそう思ってから、自分が運転している車を見ると…。

 

   〈この〔白いムスタング〕は何なんだろう〉って思っちゃったよ。

 

   この日記をつけ始めた日に言ったように、僕はこの車を自分の宝物のように思っていた。…いや、そう思って大事にしていたのはいいんだよ。そうだよね?

 

   だけど、その宝物には、どうも、何かが欠けているようだった。

 

   僕の〔白いムスタング〕は、僕が使っているのに、僕のものじゃなかった。…光子さんの[ホンダ・シヴィック]や辻本さんの[フォード・エスコート]、江波さんの[トヨタターセル]、前川さんの[フォルクスワーゲン・ビートル]、田淵さんの[GMキャバリア]などと違って、僕の車にはほんとうの暮らしの匂いがしていなかった。

 

   そう考えてから、今度は自分に目を向けてみると…。

 

   僕自身にも、光子さんや江波さんたちがどことなく漂わせている、なんというか、人生の陰影みたいなものが、やっぱり欠けていた。

 

   〈学生が親に買ってもらった自動車なんだから、そんな匂いがしないのは当然だ〉とか、〈若いんだから、人生の経験が浅いんだから、そんな陰影みたいなもの、欠けているのは当たり前だ〉とかいうふうには、あのときの僕は、なぜか考えなかった。

 

   光子さんの言葉に僕はそれぐらいショックを受けていたんだね。

 

          ※

 

   僕はふと、あの大阪の子の目にはこの[ムスタング]はどう写っていたんだろうって考えたよ。

 

   それから、僕は、ひどく恥ずかしくなってしまった。

 

   だって、あの子の〔横田さんのお部屋に…〕って話に、僕はいきなり〔僕の車で君を案内してやる時間はない〕って答えたんだよ。…あの子の口から〔白いムスタング〕の話が出た直後だったからそう答えてしまったんだけど、あの子に、僕に〔案内させよう〕という気がなかったんだったら、あれは、ただ〔的外れ〕というだけじゃなく、あの子にしてみれば〔あんた、何様のつもり?〕というぐらいに不快な返事だったかもしれないよ。違う?

 

   その僕の返事で僕はあの子の目には、〔親に買ってもらったというだけのことなのに、自分が乗っている車をやたら勿体つけて考えている、変にいやらしいもののいい方をする、中身が薄っぺらな人間だ〕ってふうに見えたんじゃないかな。あの子が僕の返事を聞いて〔信じられない〕って表情を見せたのは、〔それまでそんなふうに簡単に断られたことがなかった〕からショックを受けて、なんかじゃなく、〔ほんの数分のことだったにしても、こんな人間と話してみたいと思った自分がなさけない〕みたいな気持ちになったからじゃないかな。

 

          ※

 

   いや、あの子に僕がどう見えていたか、あの子が僕のことをどう受け取ったかは、結局は分からないんだよ。確かめようはないんだよ。やっぱり、僕を利用してやろうと考えていたのかもしれないんだよ。そんな女の子、いくらでもいるらしいから。だけど…。

 

          ※

 

   あの子、いま、どこでどうしてるかなって、ときどき思うことがあるよ。…だって、ほら、僕にちょっと、ものの見方、考え方みたいなものを勉強させてくれた子だから。

 

          ※

 

   光子さんは僕にとっては、どちらかといと、影の薄い人なんだけど、あの〔ここで働いている限り、そんな新車はもう二度と買えないよ〕のひと言で、たぶん、僕の頭から一生消えない人になったはずだよ。…目を開かせられる、というのかな、ああいうの?

 

   そのあとなんだよね、光子さんが言った〔ここ〕がどんなところかを(特にその歴史について)おいおい調べてみようと僕が思ったのは。

 

          ※

 

   と長々としゃべってきて、やっと本題。…というか、僕が触れておきたかったこと。

 

          ※

 

   いま振り返ってみると、大阪の子の一件は、やっぱり、遼子さんが(たぶん、武井さんを誘い込んで)意図的に仕掛けた、というのが大げさなら、膳立てした話だった、という気がするよ。僕のことを便利だと考えてか、よさそうな人間だと考えてかはともかく、あの子が、僕と〔ロサンジェルスにいるあいだだけでもつきあってみよう〕って気にならないとは限らないから、とにかく、二人が話すきっかけを一度つくってみよう、という具合にね。

 

   遼子さんが〔白いムスタング〕まで持ち出してまで、大阪の子に僕への興味を植えつけようとした(らしい)のに応じて、武井さんは〔僕には落ちなくても、だれかに落ちる〕なんて力説して、僕をその気にさせよう、というか、けしかけようとしたんだって、考えられない?

 

   遼子さんが〔意図的に仕掛けた〕のではないかと僕が疑うのは…。

 

          ※

 

   真紀はこのホテルに一度だけ来たことがあるって、前に言ったよね。

 

   あのとき、真紀は遼子さんにも武井さんにも会っているんだ。会っているんだけど、二人(のうちの特に、遼子さん)にいい印象を与えなかったみたいなんだよね。二人の目には、真紀がうちとけにくい高慢な女だと写ったらしいんだよね。僕がそんな子をガールフレンドにしているのが、二人にはおもしろくなかったようなんだよね。

 

   というのも、あのときの真紀はひどく緊張していて、僕が何かを話しかけても、あまり返事をしなかったし、(ふだんだったらそんなことは起こりえないのに)遼子さんと武井さんにもきちんとしたあいさつをしなかった、どころか、しきりにホテルを出てどこかよそへ行きたがっていたからね。

 

   〈カリフォルニアに着くとリバーサイドに直行して、そのまま大学の近所に住みついた(自分ではけっして長距離運転をしない)真紀にとっては、ロサンジェルスダウンタウンはまだ異国の都市みたいなものだろうし、まして、リトル東京周辺の、あまり環境がいいとはいえない場所にある古くて小さなホテルとなると、いささか居心地が悪いのも無理はないかな〉と僕は思っていたんだけど、遼子さん(と武井さん)はそうは受け取らなかった。…というよりは、はっきりいうと、少しばかにされたように感じたらしいんだ。

 

          ※

 

   真紀はよせ、と直接遼子さんにいわれたことはないよ。でも、大阪の子の件では、やっぱり、僕と真紀の関係なんか壊れちゃってもいいんだ、あるいは、むしろ壊れちゃった方がいいんだ、みたいな思いがあの人にはあったんじゃないかって気がするよ。

 

   良くいえば、遼子さんはたぶん、他人(ここでは僕)への好意をそんなふうに表現してしまう人なんだよね。…その他人がどう感じるかなんてことにはかまわず、自分が〔この人のためになる〕と信じたことをそのままやってしまう、みたいなね。

 

   遼子さんには、(中国人のチェンさんが言った)〔こんなところ〕に短期間だったにしろ一人で飛び込んできた大阪の子の方が真紀よりはうんと可愛く見えたんだよね、きっと。

 

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   困っちゃうね、こういうの。

 

   だって、日ごろ仲良く暮らしている遼子さんや武井さんたちには、僕のガールフレンドのことを良く思ってもらいたいし、一方、ガールフレンドにも、僕が大事に思っている人たちのことを好きになってもらいたいじゃない。

 

   何もかもってわけにはいかないにしても、遼子さんたちには、真紀が育ってきた環境なんかに理解を示してもらいたいし、真紀には、選んで〔こんなところ〕で暮らしている人たちの生き方を理解してもらいたいじゃない。…〔長くても九月まで〕と思っているのだとしても、僕が〔こんなところ〕に住んでいることについて批判や不平、非難めいたことをいわない真紀には、それができると思うんだけどな。

 

          ※

 

   それにしても、僕と真紀とを遠ざけようと陰で動いたかもしれない遼子さんと武井さんのことを僕が悪く思わないのは、なぜなんだろうね。

 

   遼子さんたちの僕への好意の示し方はすごく生々しくて、自分の気持ちを抑えながら辛抱強く、僕をできるだけ遠くから見つめようとしてきた僕の父や母のやり方とはまるで違っている、ということだけは分かっているんだけど…。

 

   

 

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(ストーリー中の人物、企業、団体などはすべて創作されたものです)

 

*参考著書*

 

アメリカの日本語新聞」田村紀雄(新潮選書)

 

「藤井整の言論活動 - 『加州毎日』創刊から日米開戦まで」関宏人(慶応大学卒業論文